TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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「田中角栄~戦後日本の悲しき自画像~(早野透著)」を読む

2013-01-27 17:56:54 | 今週の一冊

 「田中角栄~戦後日本の悲しき自画像~(早野透著)」を読みました。

 この本は、朝日新聞記者であった著者が、戦後最大の政治家とも言われる「田中角栄」の一生を著わした本です。田中角栄は、よくも悪くも戦後日本を象徴する人間だったのではないかと、この本を読んで感じました。

 田中角栄は1918(大正7)年生まれです。中曽根康弘も同年に生まれていますが、田中角栄が政治家としてライバルであったのは、福田赳夫でした。福田赳夫は地元群馬県出身の政治家でしたから、1972(昭和47)年時の首相を争ったでき事を今でも覚えています。政治家の秘書をしている同級生が福田赳夫が負けたことを自分のことのように悔しがっていました。

 一方、群馬県人としては、福田赳夫を応援する人が多かったのですが、学歴がなく、首相までのし上がった田中角栄に魅力を感じていた人も、周辺には多かった記憶もあります。

 さて、その田中角栄も立花隆の「田中角栄(金脈)研究」で、その影の部分をあぶりだされて、石油危機等の時代背景もあり、首相としては短命で終わりました。そして、ローキーッド事件の被告となりながら、「闇将軍」となり政治力を維持しました。

 田中角栄が政治家として台頭して没落していく歴史を振り返る時に、私も同時代を生きた人間として、この事件の時はこんなことを自分はしていた、こんなことを考えていたと振り返ることができました。

 田中角栄がほんとうに政治家として力量を発揮したのは、1960(昭和35)年の池田首相から1970(昭和36)年時の佐藤首相の時期ではなかったのではないかとこの本を読んで思いました。いわゆる高度成長の時代です。この時代は、税収が増加していく時代で、その分配の時代でした。その分配に田中角栄は、政治力を発揮した人だったのではないでしょうか。

 まさに、高度成長時代を具現化した人だったのではないでしょうか。立花隆氏は田中角栄を「抽象思考ゼロの経験主義者」と評したそうです。田中角栄の人生は、ひたすら「具体」の積み重ねであったとうことです。高度成長の時代は、まさに「よりよき生活」という具体の時代であり、その象徴の人間が田中角栄だったのではと私は思います。