今週のたかじん委員会は戸塚ヨットスクール校長戸塚宏が釈放されたニュースから
教育の現場での体罰の是非についての議論がなされていました。
(註:各人の発言内容はすべて大意です)
まづ、勝谷誠彦さんが「法的には戦前も学校においては体罰禁止」と指摘。
なんでも明治時代からそうなのだそうです。
小生、これは存じ上げませんでした。
戦前というと体罰は当り前というイメージがありますものね。
このことに限らず、戦前はなんでも悪かったという幻想はもはや棄てなければなりません。
宮崎哲弥さんは外国での体罰の現状を
「アメリカでは体罰は絶対に禁止だが、そのかわり警察に突き出すか、学校を追い出す。つまり臭いものにふたをする。
カナダでは親と教師は体罰を容認されている。
イギリスでは次の三つの条件の元に許される。
一.正当な理由がある。二.校長の許可を得る。三.他の生徒の前でせず、校長と教師立会いのもと個室で行なう」
これも知りませんでした。
イギリスのやり方はそこまでして体罰するくらいなら、
いっそしない方がマシかなと思います。
アメリカはなるほど合理主義の国という気がいたします。
しかし、学校に見捨てられた生徒を誰が救うのでしょう。
三宅久之さんは「子供は人間じゃなく人間の卵である。トンボをむしったりするように本来惨酷な生き物」と発言。
田嶋陽子さんが猛反発(笑)
三宅さんの言い方は極端かも知れませんが、言わんとするとことは納得できます。
橋下弁護士は「体罰で性格が直る子とそうでない子と、色々なタイプがある」と述べていました。
確かにこれが一番まっとうな意見かも知れません。
私は体罰が絶対にいけないとも思いませんし、絶対的に体罰が必要とも思いません。
要は子供一人ひとりにあった教育法があり、
体罰が必要な場合もあるでしょう。
そこを見極めるのが教育者としての役割だと思います。
田嶋さんの「子供に禁止禁止というのではなく、選択肢を与える。禁止ではなく肯定が必要」という意見に対し、
宮崎さんは「子供は禁止によって規範を覚えてゆく」と反論。
そりゃ、そうでしょう。
子供にこれこれをやっては駄目と教えなければテンデモないことばかりします。
じじつ、今、一歩外にでると規範もはったくれも無い子供が溢れています。
電車やレストランなど公共の場で走り回る子供に不快感を覚えた経験があるのは私だけではないでしょう。
もっとも、今や子供だけではなく高校生や大人までも公共の場でマナーを守らない人が沢山居ますが。
そして橋下弁護士が「子供に理論を言っても駄目」と主張。
これももっとなことで、
辛坊治郎さんも「幼い子供に理論的にストーブは熱いから近づいては駄目と言っても理解しない。絶対に近寄ってはならない、と言うべき。」と述べていました。
するとたかじんさんも「最初は犬のしつけと一緒ということやね」と同意。
結局、幼い子供に行なう教育は理論ではなく強制的に教えてゆくしかないと思います。
福田恆存さんの文章を紹介いたしましょう。
躾は理窟ではない、無条件の強制である。
なぜ膳の上に足を載せてはいけないのか、なぜ「行つて参ります」と言はなければならないのか、
三歳や五歳の子供に向かつて、誰がそれを論理的に説明し得るか。
強制的な繰り返しを以つてするほかは無いのである。
もう一つ体罰についての福田先生の御意見。
殴る教育が悪いからといつて、殴らぬ教育がいいとは申せません。
生徒を殴つてはならぬといふ原則がっつて、しかも教師が怒りを発し、我を忘れて生徒を殴つたとする。
それは悪いことかもしれない。
が、すくなくともその感情は本物であります。
殴られた生徒は本物の人間関係のうちに置かれてゐるのです。
それにくらべて、自他の意識した教師のにこやかな説得の方が虚偽であるといふ場合が、いくらでもありうる。
贋者の善より本物の悪の方が、ずつと教育的だといふことを私たちは忘れてはならない。
人間を信じるといふのはさういふことです。
子供は天使だとか、体罰は人権侵害だとかのたまふ方々は
この言葉を噛みしめてほしいですね。
そして勝谷さんは「教育の現場と家庭は別」と発言。
本来、家庭での躾がきちんとしていれば学校で体罰が行なわれることもないでしょう。
それに学校での教育は限界があると思います。
が、躾(しつけ)がなされていない子供が増えた今、学校はどう対処すればよいのでしょう。
アメリカのように学校から追い出すべきか。
私は体罰があっても子供を救おうという教師の方が好きです。
さて、話は変わって米国トヨタの215億円のセクハラ訴訟について。
橋下弁護士は「アメリカの訴訟社会の最も悪い典型」という旨の発言をしていました。
私も「バカに附ける薬はない」という以外コメントしたくありません。
村上ファンドが阪神電鉄の経営を支配しようという話題も。
讀賣新聞の渡邉恒雄会長が村上世彰を評して曰く、
「ホリエモンの出来損ないみたいな奴。断じて赦さない」
私も渡邉さんと同意見。
ホリエにしろ村上にしろ「金儲けをする為なら何をやってもよい」という考えの人間でしかありません。
そんな簡単なことを世の人は好い加減気づいた頃でしょうか。
金儲けは悪ではありませんが、金儲けの為になにをしてもよいという考えは悪に他なりません。
最後に亀田三兄弟について。
三宅さんは亀田三兄弟の下品な振る舞いを批判。
田島さんもそれに同意。
橋下弁護士が「あれは米国では普通のパフォーマンス」と反論。
私はパフォーマンスだろうがなんだろうが亀田兄弟の振る舞いを見て不快になる者です。
海外の事情は存じ上げませんが日本の武道では対戦相手にも敬意を払い、
負けた者をバカにすることは決してありません。
例えば、剣道では勝者がガッツポーズをしただけで反則負けになります。
ボクシングはあちらのスポーツですからそのへんは好きにするがいいですが、
普通あのような振る舞いをしてはならぬという意識無しに亀田兄弟を賞讃することは害になりましょう。
教育の現場での体罰の是非についての議論がなされていました。
(註:各人の発言内容はすべて大意です)
まづ、勝谷誠彦さんが「法的には戦前も学校においては体罰禁止」と指摘。
なんでも明治時代からそうなのだそうです。
小生、これは存じ上げませんでした。
戦前というと体罰は当り前というイメージがありますものね。
このことに限らず、戦前はなんでも悪かったという幻想はもはや棄てなければなりません。
宮崎哲弥さんは外国での体罰の現状を
「アメリカでは体罰は絶対に禁止だが、そのかわり警察に突き出すか、学校を追い出す。つまり臭いものにふたをする。
カナダでは親と教師は体罰を容認されている。
イギリスでは次の三つの条件の元に許される。
一.正当な理由がある。二.校長の許可を得る。三.他の生徒の前でせず、校長と教師立会いのもと個室で行なう」
これも知りませんでした。
イギリスのやり方はそこまでして体罰するくらいなら、
いっそしない方がマシかなと思います。
アメリカはなるほど合理主義の国という気がいたします。
しかし、学校に見捨てられた生徒を誰が救うのでしょう。
三宅久之さんは「子供は人間じゃなく人間の卵である。トンボをむしったりするように本来惨酷な生き物」と発言。
田嶋陽子さんが猛反発(笑)
三宅さんの言い方は極端かも知れませんが、言わんとするとことは納得できます。
橋下弁護士は「体罰で性格が直る子とそうでない子と、色々なタイプがある」と述べていました。
確かにこれが一番まっとうな意見かも知れません。
私は体罰が絶対にいけないとも思いませんし、絶対的に体罰が必要とも思いません。
要は子供一人ひとりにあった教育法があり、
体罰が必要な場合もあるでしょう。
そこを見極めるのが教育者としての役割だと思います。
田嶋さんの「子供に禁止禁止というのではなく、選択肢を与える。禁止ではなく肯定が必要」という意見に対し、
宮崎さんは「子供は禁止によって規範を覚えてゆく」と反論。
そりゃ、そうでしょう。
子供にこれこれをやっては駄目と教えなければテンデモないことばかりします。
じじつ、今、一歩外にでると規範もはったくれも無い子供が溢れています。
電車やレストランなど公共の場で走り回る子供に不快感を覚えた経験があるのは私だけではないでしょう。
もっとも、今や子供だけではなく高校生や大人までも公共の場でマナーを守らない人が沢山居ますが。
そして橋下弁護士が「子供に理論を言っても駄目」と主張。
これももっとなことで、
辛坊治郎さんも「幼い子供に理論的にストーブは熱いから近づいては駄目と言っても理解しない。絶対に近寄ってはならない、と言うべき。」と述べていました。
するとたかじんさんも「最初は犬のしつけと一緒ということやね」と同意。
結局、幼い子供に行なう教育は理論ではなく強制的に教えてゆくしかないと思います。
福田恆存さんの文章を紹介いたしましょう。
躾は理窟ではない、無条件の強制である。
なぜ膳の上に足を載せてはいけないのか、なぜ「行つて参ります」と言はなければならないのか、
三歳や五歳の子供に向かつて、誰がそれを論理的に説明し得るか。
強制的な繰り返しを以つてするほかは無いのである。
もう一つ体罰についての福田先生の御意見。
殴る教育が悪いからといつて、殴らぬ教育がいいとは申せません。
生徒を殴つてはならぬといふ原則がっつて、しかも教師が怒りを発し、我を忘れて生徒を殴つたとする。
それは悪いことかもしれない。
が、すくなくともその感情は本物であります。
殴られた生徒は本物の人間関係のうちに置かれてゐるのです。
それにくらべて、自他の意識した教師のにこやかな説得の方が虚偽であるといふ場合が、いくらでもありうる。
贋者の善より本物の悪の方が、ずつと教育的だといふことを私たちは忘れてはならない。
人間を信じるといふのはさういふことです。
子供は天使だとか、体罰は人権侵害だとかのたまふ方々は
この言葉を噛みしめてほしいですね。
そして勝谷さんは「教育の現場と家庭は別」と発言。
本来、家庭での躾がきちんとしていれば学校で体罰が行なわれることもないでしょう。
それに学校での教育は限界があると思います。
が、躾(しつけ)がなされていない子供が増えた今、学校はどう対処すればよいのでしょう。
アメリカのように学校から追い出すべきか。
私は体罰があっても子供を救おうという教師の方が好きです。
さて、話は変わって米国トヨタの215億円のセクハラ訴訟について。
橋下弁護士は「アメリカの訴訟社会の最も悪い典型」という旨の発言をしていました。
私も「バカに附ける薬はない」という以外コメントしたくありません。
村上ファンドが阪神電鉄の経営を支配しようという話題も。
讀賣新聞の渡邉恒雄会長が村上世彰を評して曰く、
「ホリエモンの出来損ないみたいな奴。断じて赦さない」
私も渡邉さんと同意見。
ホリエにしろ村上にしろ「金儲けをする為なら何をやってもよい」という考えの人間でしかありません。
そんな簡単なことを世の人は好い加減気づいた頃でしょうか。
金儲けは悪ではありませんが、金儲けの為になにをしてもよいという考えは悪に他なりません。
最後に亀田三兄弟について。
三宅さんは亀田三兄弟の下品な振る舞いを批判。
田島さんもそれに同意。
橋下弁護士が「あれは米国では普通のパフォーマンス」と反論。
私はパフォーマンスだろうがなんだろうが亀田兄弟の振る舞いを見て不快になる者です。
海外の事情は存じ上げませんが日本の武道では対戦相手にも敬意を払い、
負けた者をバカにすることは決してありません。
例えば、剣道では勝者がガッツポーズをしただけで反則負けになります。
ボクシングはあちらのスポーツですからそのへんは好きにするがいいですが、
普通あのような振る舞いをしてはならぬという意識無しに亀田兄弟を賞讃することは害になりましょう。