あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

戦後民主主義の体現者、筑紫哲也逝く

2008-11-09 02:43:39 | 政治・経済
筑紫哲也は言うなれば戦後民主主義の体現者だった。
戦後民主主義下の日本においては彼の云うことは正にジャスティス(正義)であり、基本であった。
いわば戦後民主主義の教科書。
もっといえば、戦後民主主義が服を着て歩いているような人物だった。
そういう意味において彼は体制にべったりの人間だったと思う。
彼のことを反体制と思っている人は多いし、彼自身もそう思っていたに違いないが、彼は正しく戦後民主主義下の日本においては体制側だったのだ。

戦後の日本において、体制は国家や政府自民党ではない。
それらは否定されてしかるべきの存在だった。
つまり、「体制側」であるところの国家や政府自民党に反対の姿勢をとることこそがまさに体制だったのだ。
マスメディアにおいて特にそれが顕著であった。
だから、彼が戦後民主主義の申し子というべき朝日新聞を中心とするメディアにおいて寵児のような扱いを受けたのは、なんら不思議なことではない。

戦後民主主義下では新聞は政府批判と自民党批判をしていたら大丈夫だったし、テレビニュースのコメンテーターも同じ。
とにかく、政府や自民党を批判して、日本および日本人に対してはシニカルで冷笑的な態度をとっていれば安全だった。
反対に新聞やテレビで少しでも国家を肯定するようなことをいえば即座に右翼、軍国主義者のレッテルが貼られ、人の扱いを受けた。
メディア全体の空気がそうであるなら国民の空気もそうなる。
政治的意見を求められれば、みな筑紫哲也の言説を真似た。
「国が悪い」「日本人は情けない」とか。

ただ、最近ではネットの普及もあってか、戦後民主主義の化けの皮が剥がれて来た。
というより、戦後民主主義の欺瞞が国民に知れ渡るようになってきた。
筑紫哲也たち戦後民主主義者の方々が言っていたことはちょっと違うんじゃないの?と疑問を呈する本当の意味での「反体制」が出現してきたわけだ。
私がこれまで、「~だった」と過去形で書いたのはそういう理由からだ。
だが、まだまだ現在形で書くべきかもしれない。

厳密にいえば、筑紫さんたちがいう体制であるところの国家にしても政府自民党にしても、所詮、戦後民主主義の枠を超えておらず、私に言わせればマスコミと政府の対立構造なんてものはコップの中の争いでしかない。
その証拠に「日本は侵掠国家ではない」と言った空自幕僚長を仲良く一緒に叩いている。
これは、幕僚長の論文が戦後民主主義の枠組みを越えるものであった為だ。
共に戦後民主主義を奉じているという点でマスコミも国も大差はない。

筑紫氏死去に伴ってネットでは私が予想していた以上に筑紫氏に対する批判、というより罵倒が溢れかえっている。
曰く「ざまあ」だの「めでたい」だの「死んで良かった」だの、ちょっとあんまりな言葉が並んでいる。
私も氏の政治思想にはまったく相容れるものが無く、氏がテレビで垂れ流す言葉を聴くたび嫌悪感しか抱かなかったクチだが、今更、故人となった筑紫哲也個人を批判ないし罵倒する気にはなれない。
考えてみれば彼に抱いた違和感はすなわち戦後民主主義そのものに対する違和感であったし、その先導役であったマスコミに対してのものだったように思う。
筑紫氏が批判されるのは筑紫氏個人にその要素があったというより、戦後民主主義そのものに批判されるべき要素があったのだ。

近年、戦後民主主義の見直しが進んでいる。
筑紫氏の死は戦後民主主義体制の瓦解の始まりを意味することになろうか。
ただ一つ言えることは戦後民主主義の体現者であった筑紫氏はそれゆえにこれからもその象徴として反体制派から叩かれつづけるだろう。
これ、誰かと似ているが、書かないでおく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。