あび卯月☆ぶろぐ

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あび放言 其の三(赤ちゃんポスト、天皇陛下の苦言)

2007-05-16 18:05:47 | 時事放言
・赤ちゃんポスト

昨日、赤ちゃんポストに三歳児が捨てられていたというニュース。
だから云わんこっちゃないんだ。
あんなもの作っちゃいけないんだって。
といいつつ、報道ステーションで加藤千洋さんが語ったように自分の中で賛成と反対が交叉している。
でも、やはり反対の気持ちの方が強い。

私は感情的には赤ちゃんポストには反対。
何で子供も育てられないようなオトナが子供を作る時代になっちゃったのかねぇ。
早い話が子供が子供を作る時代になったということだ。
かつての日本にも間引きという名の子殺しがあったがあれは避妊が発達していない時代の話。
様々な避妊の方法がある今の時代と比較出来ない。
また、昔は子供が捨てられても地域の皆がその子を育てたという意見がある。
しかし、それは地域社会が崩壊した今、不可能なことだろうとも。

一方、賛成派の意見もよくわかる。
子供の命を守るためという大義に反対するのは難しい。
しかし、その大義はテロと戦うためという戦争の大義と同じではないだろうか。
つまり、どちらも立派だが、いやいやそれはしかし・・・と言いたくなるのだ。

もう、この際、赤ちゃんポストを認めてもいいが、
三宅久之さんが言うように子供は子供を作るな!ときちんと教える事にも力を入れて欲しい。
問題の本質は無責任に子供を作る輩が増えたと云う事だと思うから。
(私のまわりにも中絶した人が結構います。はい。)

ところで、今後、赤ちゃんポストは
幼い子供が悪いことをした時、「赤ちゃんポストに捨てるよ!」などと云って母親が子供を躾る時に使えるかもしれない。
こういう使われ方ならば大賛成である。



・天皇陛下の苦言

天皇陛下は十四日の記者会見で次のように述べられた。

(自らの皇太子時代の海外訪問について)
「天皇の名代ということは,相手国にそれに準ずる接遇を求めることになり,私には相手国に礼を欠くように思われ,心の重いことでした。各国とも寛容に日本政府の申出を受け入れ,私どもを温かく迎えてくれたことに,深く感謝しています。」
「私どもの外国訪問を振り返ってみますと,国賓に対する名代としての答訪という立場から多くの国々を訪問する機会に恵まれたことは,国内の行事も同時に行い,特に皇后は三人の子どもの育児も行いながらのことで,大変なことであったと思いますが,私どもにとっては,多くの経験を得る機会となり,幸せなことであったと思います。それと同時に名代という立場が各国から受け入れられるように,自分自身を厳しく律してきたつもりで,このような理由から,私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません。
現在,皇太子夫妻は名代の立場で外国を訪問することはありませんから,皇太子夫妻の立場で,本人,政府,そして国民が望ましいと考える在り方で,外国訪問を含めた国際交流に携わっていくことができると思います。選択肢が広いだけに,一層的確な判断が求められてくると思われますが,国際交流に関心と意欲を持っていることを聞いていますので,関係者の意見を徴し,二人でよく考えて進めていくことを願っています。」
(宮内庁ホームページより)

明らかに皇太子夫妻に対して苦言を呈されている。
早い話が、皇太子夫妻に「私的訪問しすぎなんだよ!」ということですね。
皇太子としての立場での訪問は「私には相手国に礼を欠くように思われ,心の重いことでした。」とも仰っているのだから結構露骨である。
深読みだろうか。
親子で価値観が違う事は普通のことだが、皇室とて例外ではないようだ。
昭和天皇と今の陛下の間にも価値観の違いがあるようだし、特に問題にすることではないのかもしれないが、これを国民がどう見るかである。
私の感じるところでは国民は皇太子夫妻よりも天皇陛下のお考えの方に共感しているようだ。
皇太子夫妻の行動が皇太子夫妻、ひいては皇室に対する国民感情の悪化を促進させるのであれば残念である。

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4 コメント

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おひさしぶりです。 (いーじす)
2007-05-17 17:35:20
blogを重いテンプレートに変更されてから
開くのが億劫になり訪問する回数が減っていましたが
今回、チキソさんおblogで名前を拝見して久々に訪問してみましたら
とても、活発に活動してるご様子。
安心しました。



さて、今回の赤ちゃんポストの件ですが僕は賛成なのです。
以前、僕のblogで14歳の母のコメントを頂いた時に
知られたと思いますが
僕の命に対する感覚というのがどうも世間の一般の人とはズレてるということを
今回の一連の出来事でも再確認しているしだいです。

僕も三宅さんが言うように
「子供は子供を作るな!」と教育する事が
この問題の一番大事な点だとは思いますが
かと言って、責任の取れない親に育てられることほど
子供にとって悲惨なことはないと考えてしまうのです。

そして、いつも思うんです。
子捨てを批判する人はどうして中絶も同じく批判しないのかと
モノを言わないから殺しても良い?
モノを言うから捨ててはダメ?

たぶん、ここらへんが世間の感覚からズレてるんでしょうね・・・
Unknown (あび卯月)
2007-05-18 23:29:49
>blogを重いテンプレートに変更されてから
>開くのが億劫になり訪問する回数が減っていましたが

重いテンプレというのは桜のやつですか?
今までテンプレの重さは考慮に入れていませんでした。
今後、気をつけたいと思います。

>今回、チキソさんおblogで名前を拝見して久々に訪問してみましたら
>とても、活発に活動してるご様子。
>安心しました。

余計な御心配お掛けしていたようで失礼いたしました(笑)

>僕も三宅さんが言うように「子供は子供を作るな!」と教育する事がこの問題の一番大事な点だとは思いますが
>かと言って、責任の取れない親に育てられることほど子供にとって悲惨なことはないと考えてしまうのです。

ブログの記事も拝見しました。
なるほど、確かに仰ることは一理あると思います。
子供を捨てるような親に育てられてもまともに育つ可能性は低いでしょうね。

>そして、いつも思うんです。
>子捨てを批判する人はどうして中絶も同じく批判しないのかとモノを言わないから殺しても良い?
>モノを言うから捨ててはダメ?
>たぶん、ここらへんが世間の感覚からズレてるんでしょうね・・・

いえ、決して世間の感覚からずれているとは思いません。
私も子捨てを批難する手合はどうして同時に中絶を批難しないのか、と。
そして、安易に子供を作る手合を批難しないのか答えを得ないでいます。
Unknown (梅澤)
2007-05-20 17:39:19
「赤ちやんポスト」の設置に僕は反對でしたが僕が反對してもどうにもならないので設置しようがしまいが大して興味はありませんでした。
それより興味をそゝるのはこの事について話す人々のその態度です。なにやら曖昧な物言ひで反對派も賛成派も必ずエクスキューズをつけて何だか辯解じみてゐる。
反對派は「もちろん赤ちやんの命は大事ですが…」、賛成派は「捨て子を奨励するわけではないですが…」(笑)。
さて僕は反對派なわけですがさうすると當然「おまへは赤ちやんの命がどうなつてもいゝのか」と反駁されます。かういふ「脅し」に弱氣になつてモゴモゴ言ひ澤してはいけません。
僕はかう言ひます。「然り。多少の赤子が犠牲にならうとそんなポストなぞ要らない」と。
非人間的だと思はれるでせうが實は僕が反對するのは「赤ちやんポスト」が「非人間的」だからです。
子を捨てる親のその行為は間違ひなく惡ですが、その惡は人間的です。捨てる親の心中ははつきり想像出來る、謂はば「顏のある惡」です。
しかし「赤ちやんポスト」の善には顏が無い。そこに人間がゐないからです。僕が反對なのは、非人間的な善より人間的な悪のはうがマシだと思ふからです。簡單に云ふと「なんか氣持ち惡いから」です(笑)。
實は賛成派もこの不氣味さをどこかで感じてゐるので「命の大切さ」云々といふ綺麗な言葉でそれを糊塗しようとします。大體「赤ちやんポスト」と云ふ氣持ちの惡いネーミングがその後ろ暗さを證明してゐます(笑)。だから僕が賛成派ならかう主張しますね。
「一人でも多くの赤子の命を救ふために全國の各市役所に「捨て子収容ボックス」を設置しろ」と。これはこれで筋が通つてゐる。
まあ極論を嫌ふ日本ではどちらもまともに相手にされないでせう。
さういへば福田恆存は何かで「命そのものより命の觀念のはうを大事にすべきだ」と書いてゐました。
「命そのもの」を最高の價値にすると人間は人間でなくなります、と云ふやうな議論もやはり「觀念的」で歡迎されないんですけど(笑)。
まあ「赤ちやんポスト」も外人の真似しただけでせう。どうでもいゝですね。
Unknown (あび卯月)
2007-05-20 21:56:15
書き込み拝見して胸のすく思ひがしました。
結局、私が反対の理由も「なんか氣持ち惡いから」といふことに尽きます。
それを賛成派の反駁に弱気になつてはつきり云へないでゐました。
「賛成派の意見もよくわかる」なんて書いて脅しに怯えててゐますね(笑)

>非人間的だと思はれるでせうが實は僕が反對するのは「赤ちやんポスト」が「非人間的」だからです。
>子を捨てる親のその行為は間違ひなく惡ですが、その惡は人間的です。捨てる親の心中ははつきり想像出來る、謂はば「顏のある惡」です。
>しかし「赤ちやんポスト」の善には顏が無い。そこに人間がゐないからです。僕が反對なのは、非人間的な善より人間的な悪のはうがマシだと思ふからです。

こゝの箇所、賛成派にも反対派にも声に出して読ませたいですね。(無論、私もその一人です)

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