すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「クヌルプ」-山に持ってゆく本

2019-02-11 21:56:05 | 読書の楽しみ
 日帰りのハイキングに行くときに、薄い本を一冊、ポーチに入れていく。行き帰りの電車用だが、行きは早起きの寝不足を補うために寝て行くことが多いし、帰りは疲れと駅で買ったビールのせいでうつらうつらしていることが多いので、実際にはあまり読まない。でも、なぜかうまく眠れなかったとき、途中で目が覚めたときなどに、あると落ち着く。
 歩いている間は荷物になるので、ごく薄い文庫が良い。初めて読むものよりも、何度も読んで気に入っているものが良い。気に入っている箇所だけを思い出しながら拾い読みもできるし、パラパラめくって線を引いてあるところだけを読むのも良い。何べん読んでも飽きないもの、改めて感銘を受けるもの、あるいは改めて納得できるものが良い。
 となるとかなり限られてくる。思いつくままにいくつか挙げると、ヘッセの「シッダ-ルタ」、「デミアン」、「クヌルプ」、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」、コクトーの「恐るべき子供たち」、ヴェルコールの「海の沈黙」、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」、サン=テグジュペリの「夜間飛行」、ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」、ジェイムズ・バリーの「ケンジントン公園のピーター・パン」など。日本のものでは、堀辰雄の「風立ちぬ」、谷崎潤一郎の「吉野葛」などだ。もう少し厚いものでお気に入りのものはいっぱいあるが、山には持って行かない。
 これらの中でとくに気に入っているのが、「クヌルプ」だ。
 一生、定職を持たず、安定した家庭生活も持たず、放浪の職人の生活をつづけ、明るく陽気で、行く先々で人々をやさしい気持ちにさせた主人公クヌルプが、歳をとり、旅に疲れ(といっても、長生きになった現代と違って、40になったばかりなのだが)、最後は故郷に近い山道の雪の中で行き倒れになる、という話だ。
 なぜこの本に惹かれるかと言うと、主人公が一生風来坊であったというところについ自分を重ねてみてしまうこと(と言ってもぼくは彼のように愛されキャラではないのだが)、山で行き倒れになること(そのように死んだらいいかも、と心のどこかで思っている自分がいる)。
 だがそれだけでなく、彼が雪の中で意識が朦朧となって神様と対話する(幻想を持つ)場面が、繰り返し読んでもそのたびに美しいのだ。彼は「自分の生涯は無意味だった」と言う。神様が「いや、そうではないよ、思い出してごらん」と言って、彼の命が輝いていて、彼に接する人々もその喜びを共有していたことを、彼の愛した女たちのことを、次々に思い出させる。クヌルプは最後にすべてを肯定して、再びやさしい気持ちになって、雪の中で目を閉じる。
 「山で行き倒れになるのが好ましい」と書いたが、訂正。
 彼が最後に、風来坊であった自分の一生のすべてを肯定して、「何もかもあるべき通りです」と神様に告げることができるのが、好ましいのだ。このために、繰り返し読む。

 ここ数年、毎年夏に霧ヶ峰に行く。車や観光客の多いビーナスラインから外れた沢渡という静かな谷間の宿に泊まる。その宿の名が「クヌルプ・ヒュッテ」という。去年7月に亡くなられた先代のオーナーがヘッセが大好きで、特に「クヌルプ」が好きで、山小屋をはじめ、この名をつけられたという。初めは、名前に惹かれて行ってみた。小さいけれど清潔で食事のおいしい、若主人とお母さんのやさしい、良い宿だ。サロンの書棚に、山の本や画集に交じって、古い版のヘッセ全集が並んでいる。
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