すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

工事中

2019-02-25 22:00:23 | 偏屈老人申す
 この時期は毎年だが、いたるところで道路工事をしている。あの音やアスファルトの匂いや埃が苦手なので横道にそれると、そこでもやっている。地方自治体は今年度の予算を使い切ってしまわないと来年度の予算が減らされるので、帳尻合わせにこの時期に工事をするのだ、と聞いたことがある。
 古くなった水道管やガス管の取り替え、などのように必要不可欠の工事もあるだろうが、そうではなさそうなものもある。公園の芝生をはがして花壇にする、とか、ジョギングしやすそうな木材チップの道をアスファルトにする、とか、池の底をコンクリートにする、とか。
 ぼくの通った中学校に沿った道は、車道との間の生け垣を根こそぎにして鉄のフェンスに変えた。スイカズラかツクバネウツギの仲間と思われる、しっかりと密生した、安全上の問題はまったくなさそうな、良い生垣だったのに。
 公共工事はいちばん手っ取り早い経済活動だから、想像力のない役人や政治家が地域を活性化させるために、つまりお金を使うために、まず考えるのがこれだ。「物から人へ」というキャッチフレーズは今も有効だと思うのだが。
 「経済成長は、国家が、国家の経済が、安泰であるためになくてはならない、そしてそれは人々が豊かで幸福な生活を送るために必須である」、と考えている人々が、経済界も政治家も庶民も、大多数なのだろう。先日、「庶民の暮らしを守ります」と言っているある政党の支持者と話をする機会があったが、「経済成長って、それは必要に決まっているじゃないですか。それなくしてどうするの」と、彼は言っていた。あまりにも当然のように言うので、ぼくはあっけにとられて反論する気をなくしてしまった。
 人々が幸福な生活を送るためには、いまよりは手間がかかったり物があふれていなかったりするのは、ある程度は仕方がない、工夫の余地はある、とぼくは思う。
 でも、そのように考える政治家は決して多数派にはならないだろう。票が集まらないから当選しないし、政治は経済の手下、もしくは微修正者、でしかないから。
 世の中が変わるためには、たぶん、素晴らしい政治家、ではなく、偉大な思想的リーダーが必要だろう。あえて言えば、霊的リーダーが必要だろう。
 人類は今、第二の転換期に差し掛かっている。急成長から安定状態への転換点。そこを乗り切るには、第一の転換点、定常から成長への転換点、の時に出現した思想的リーダー、すなわちシャカやイエスなどのレベルのリーダーたちが必要だろう。
 地球温暖化は、地球の気象現象の全てを混乱させつつある。環境の悪化は、地上の生き物全ての生きる基盤を変えつつある。でも、このままでは破滅に至る道しかない、ということに人々が戦慄的に思い至るまでに、まだ時間がかかるだろう。
 したがって、思想的リーダーが出現するまでには、まだ百年か二百年くらいかかるかもしれないので、ぼくは居合わせることができないのが残念だが。
 (これから、「偏屈…」カテゴリーが増えそうだなあ。)
コメント
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