すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ひまわり娘

2019-02-14 09:38:01 | 社会・現代
 ぼくは競技スポーツの記録とか順位とかに比較的関心が薄い方だが、「池江璃花子選手がまたまた日本記録更新!」というようなニュースが流れるときに映し出される明るい笑顔は、「ああ、いいなあ」と感じてきた。すごくきつい練習を重ねているだろうに、すこしもそういうことは顔に出さない満面の笑顔。
 女子の体操選手やフィギュアの選手が時にあまりにも幼く見えることがあるが、競泳の池江選手は手足が伸びて、成長していく若さと健康そのもののすこやかさに見えた。
 ぼくは彼女がTVに映ると、ひそかに「ひまわり娘」と思って、元気をもらっていたのだ。そういうふうに思っていた日本人は多いかもしれない。
 今度のことは、病気を告げられた本人がいちばん大ショックで辛いのに違いないのだが、そう思うとぼくまでかわいそうで涙が出そうになるが、彼女は「神様は乗り越えられない試練は与えない」と書いている。
 「何とかオリンピックまでに治したい」という気持ちはあるかもしれないが、どうかじっくりと完治を目指してほしい。
 そしてあのひまわり娘の笑顔をまた見せてほしい。
 彼女が病と闘い、乗り越えれば、今までアスリートとしての彼女に励まされてきた人たち、彼女の笑顔に爽やかさと元気をもらった人たちだけでなく、病と闘うたくさんの人たちを、もっと深く、励まし、乗り越えようとする勇気を与えることができるのだから。
 神様がもしいるとすれば、そして彼女に試練を与えたとすれば、その試練は同時に、病と闘うたくさんの人たちの希望となるという、大きな計らいでもあるのだ(そんな神の試練や計らいは無い方が良かっただろうが)。
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