すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

摂食障害―もうひとつ、お粗末な話

2019-02-04 22:28:25 | 無いアタマを絞る
 実はぼく自身、摂食障害の経験がある。昨日書いた話より、さらに10年以上前の話だ。
 その経緯を、原因と考えられるものや始まったきっかけを、ここで詳しく書くことはしないし、書けない。
 経過だけ簡単に書くと、初めのうちは体が軽い。「食べ物から解放されるって、こういうことなのか」というような高揚感もある。自分が、今までの自分とは違う一段高い存在に移行した感じ。
 高揚感のある間は、食べないことが苦しくない。ジュースぐらいは飲めるが、固形物は食べる気になれない。その高揚感はどれくらい続くか、人によってさまざまだろう。ぼくの場合何日ぐらい続いたのか、もう覚えていない。一か月ぐらいは続いたろうか。
 とにかく、そのあと、非常に苦しい期間がやってくる。体は食べ物を要求しているのに、心はそれを受け付けない。体重はみるみる13キロほど減った。もう、高揚感や解放感なんてものは全く消えて、それでもまだ抵抗を続ける、打ちのめされた自分がいるだけだ。
 でも本当に苦しいのは、その後だ。ある日、抵抗を続けられなくなる時が来る。食べて、それまでのタガが外れたかのように、一気に食べ物を詰め込む。そして吐く。
 これは、不可避のコースだ。誰も、生きて抵抗を続け通すことはできない。続け通すということは、カレン・カーペンターのように死んでしまうということだ。
 だから、拒食は必ず過食に転化する。そして、敗北感に打ちのめされる。食欲に負けた自分の弱さに対する嫌悪感と無価値感。自己処罰のためにまた食べて吐くことの繰り返し。
 それは、自己処罰であると同時にある意味、心地よいものにもなってくる。「やっぱり、これが自分なんだ」と、安心するような。
 ふつうはそのあとに、長い治療期間、あるいは破綻、がやってくる。
 …幸い、ぼくの場合は、フランスにいた時に先生に言われた言葉がその状態から抜け出す転機になった。当時その先生をほとんど崇拝していて、彼の言うことは絶対だった。「歌を続けたいなら、決して吐いてはいけない」という言葉。「吐くということは、胃酸が口まで上がってくるということだ。喉を焼かれるし、歯はボロボロになる。遅かれ早かれ、歌う声は出なくなる。だから、他の何をしてもいいから、吐くことだけはやめなさい」。
 ぼくは、吐くことだけはやめることにした。「ほかのことは、多少不健康や不道徳であっても、まあ仕方がない。吐くのだけはやめる。ただし、完全に止められるかと言ったら、自信がない。またあの苦しいのをはじめからやり直すのだけは御免だ。だから一年に二回だけ、頑張ったご褒美に吐いてもいいことにしよう」…これがまあ、二十か十代ならともかく、五十歳になろうとする男の考えることですかね。
 今考えると恥ずかしい限りだ。だが、これは病だから仕方がない。
 ともかくぼくはそれを実行した。結局、そのあと二回ぐらい吐いたと記憶するが、それだけで済んだ。
 「一年に二回だけは」というのは自分で考えて思いついたのだが、これは大いに有効な方法だと思う。
 ぼくのことだけでなく、一般的に言っても自己処罰感や無価値感が食べて吐く原因だと思うが、これを頑張った自分に対するご褒美に変えてしまうのだから、そうしたネガティヴな感情から解放される可能性がある。
 10年前に、Aさんにもメールで書いた。
 「強い願望があって、それを実現するためにひたむきになることができれば、食べ吐きの輪から脱出することは可能です。大きな選択をすれば、それに反する小さい選択はしなくなるから」と。
 もっとも、今ではぼくから歌はほとんど出て行ってしまったのだが、あの時に、歌うという願望があったおかげで、とにかく生き延びて今ここにいる。
コメント (1)
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