すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

お粗末な話

2019-02-03 20:43:07 | 社会・現代
 今から10年ほど前の話だ。
 その頃ぼくは、自分の抱えてきた問題を深く考える手がかりはないかと、カウンセリングの勉強をしていた。その過程で、自分も人の相談を引き受けるようになった。
 ある時、会ったことのないある若い女性からメールをもらった(仮に、Aさんとする)。大学生で、「摂食障害で苦しんでいる。いろいろ本を読んだら、自分はアダルトチルドレンだと思う。でも、フランスに行くのが夢で、そのために生き延びているようなものだ。ネットで検索してあなたのブログを見つけた。会って話を聞いてもらえないだろうか」というものだった。
 「外では話がしにくいかもしれないから、家に来てください。横浜駅まで迎えに行きます」と返事をした。比較的人の少ない北口改札で待ち合わせをした。ぼくは目印に、そのころお気に入りだった黄色いコートに黄色いマフラーで行った。相手の目印は訊かなかった。
 ちょうど待ち合わせの時間ごろ、痩せた、いかにも今どきのギャル風の、髪の長い女性が通りかかった。ちらっと目線が合った。「あ、この人かな」と一瞬思った。彼女はそのまま通り過ぎた。
 10分ほどしてから、ケータイにメールがあった。「急用ができて行かれなくなりました。ごめんなさい。あとでまた連絡します」とあった。
 家に帰って、こちらからメールした、「さっき、駅で通り過ぎませんでしたか?」と。やはりそうだった。
 「せっかく来ていただいたのに、ごめんなさい。樋口さんを見て少し怖くなってしまいました。思っていた人と少し違うなあ、と感じてしまったのです。本当にごめんなさい。メールにてお話がしたいのですが、大丈夫でしょうか?」と返事が来た。
 「あの後、ぼくとのコンタクトができなかったことで自分を責めて、食べ吐きをしてないでしょうか心配です」と訊いたら、案の定、喫茶店に入って食べて吐いたという。
 何度かメールのやり取りをしたのだが、けっきょくその後連絡が来なくなってしまった。
 Aさんがその後どうしたか、摂食障害から抜けることができたか、フランスに行けたか、今でも生きているか、知らない。当時のメールアドレスはまだ残っているが、こちらから連絡する気にはなれなかった。気にはなっているが、仕方がない。
 茨城で女子大生が殺されたニュースを連日報道している。ぼくも、駅で待ち合わせして家に連れてきて話をする、というのは、あとから考えればなんと馬鹿な無責任なことだったろう。
 ぼくはその時、若い女性が見ず知らずの男の家についていくなんて、とんでもなく危険だ、なんてことには、ちっとも気が付かなかった。
 ネットで知り合っただけの男の家になぞ、決して行ってはいけない。どんなに困難を抱えていて、聴いてくれる人が欲しくても、だ。相模原(だっけ?)の殺人鬼の話もそうだ。
 Aさんは少なくとも、ぼくの様子を見て一瞬で判断して接触を回避するだけの理性があった(ぼくの様子のどこに身の危険を感じたのかは理解しがたいことだが)。だからその後も危機は回避して、今も生きていると信じたい。
コメント
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