すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

立ち向かう力

2019-02-16 21:16:54 | 夢の記
 昨日書いた夢のことをぼんやり考えていたら、あの夢と池江選手の病気の報道とは、じつは繋がっているということに、ふと気づいた。

 池江選手はたとえ今現在どんなに心身ともに打ちのめされているとしても、必ずそれを跳ね除けるだろう。彼女の、アスリートとして鍛えぬいた体の若い生命力が、病気に打ち勝つに違いない。一時的に混乱や絶望的な気持ちになることがあっても、彼女の闘争心が、まっすぐ前を向いている心のありようが、必ず困難や悲観に打ち勝つだろう。 
 ぼくはそのことを、すこしも疑っていない。安心して、陰ながら応援していればよい。

 自分のことを少し心配してみよう。
 昨日の夢の中のぼくは、自分が陥った理不尽な状況に抵抗する意欲を全く失っている。その前に飛びながら必死に抵抗はしていても、それで疲れ切ってしまって、後半は、ただ休みたいと思っているだけだ。
 ぼくが今、現実に重大な病気になるとか、あるいは雪の山で道に迷うとか、のような大きな困難に直面したら、ぼくは「もう年だし、このまま受け入れればそれでいいのだ」とか、「ぼくには立ち向かう力がない。これがぼくの人生だったのだからやむをえないのだ」とか思って、あっさりギブアップしてしまうかもしれない。現に、2月11日の記事(「クヌルプ」)の中で、そのようなことを書いている。
 とすれば、夢がぼくに突き付けたのは、「お前は本当にそれでいいのか? 何か起きたときに立ち向かおうとしなくていいのか?」という問いだったのだ。
 それだけではない。それは同時に、「お前は今の自分の状況を少しでも良くしようという努力を、ほとんど投げ出していないか?」と問う声でもある。
 とすれば、池江選手の、「自分に乗り越えられない壁はないと思っている」という言葉で、ぼくは自分自身の生きる姿勢を揺さぶられたのだ(情けない話だが)。
 一昨夜の夢の中で、ぼくは銃撃されて撃ち落されてもいいから隙を見て脱出しよう、と思うべきだったのかもしれない。
 しかし、この問いに対する答えを、早急に出すのはやめておこう。時間をかけて良く考えてみなくてはわからない。慣れ親しんできた心情を振るい落とすのには生半可ではないパワーが要る。
 でもとりあえず、ひとつだけ確認しておこう。夢の中でぼくが、「寝ている間に器具を取り付けたり麻酔を打ったりしないでくれ」と言ったのは、受け身的な弱い抵抗ではあるが、困難な状況から抜け出そうとする試みを、完全に捨てたわけではない、ということを意味するだろう、と。
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