すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

In this life

2018-03-19 22:00:37 | 老いを生きる
 昨日は広瀬敏郎さんの弾き語りライヴに行った。ぼくは広瀬さんの歌が大好きなのだが、昨日は普段あまり歌わない日本の歌、「風に立つライオン」とか「初恋」も聴くことができてとてもよかったのだが、ここではそのことではなく、違うことを書きたい。
 実は開演前も、歌の途中も、後頭部の右下側が痛んで、今までそんなところは痛んだことがないので、いたって気の小さい僕は、「これはいったい何なんだろう? ひょっとして、脳血管系のトラブルの前兆かなんかなのだろうか?」と気になっていたのだった。だから終わってからも、ちゃんと挨拶もしないで出てきてしまった。
 そういえば、去年の秋から小さい出来事がいくつかあったから、「仕事をやめたら、これからの生活のために一度人間ドックに行ってみよう」と思っていて、まだ予約もしていなかった。
 まあ、ぼくはちょっとなんかあるとすぐに医者に行く方で、この間も、恥ずかしい話だが、胸が苦しくなって医者に行ったら、「もうちょっと様子というか、経過を見てみないと、何とも言えませんね。精密検査受けますか? 必要ないと思うけど」などと言われたくらいなのだが、自分では、「大事になるより小心の方がいい」と思っている。もっとも、今日は痛まないので医者には行っていない。
 毎年、桜が満開になると、見事な花を見上げて、「あと何回、これが見られるかなあ」とか、「僕がいなくなっても、この花はやっぱり少しも変わらずにこんなに美しく咲くんだよなあ」とか思うのだが、今年はまだ咲き始めたばかりで、もうそんな気がしている。
 桜に限らず、花や風景や空の輝きや人の心がことさら美しく感じられるのは、「末期の目」というんだそうだが、そのことは以前にも書いたが、またそのうち書きたい。
 先日、古くからの友人が、「週末になると熱が出るということが続き、なんとか恢復したけれど、これっていつか死ぬことの準備なのだなと思う」と書いてきた。
 ぼくにしたって、これからどうなるか、何が起きるか、わからない。
 そのことを恐れるのではなく、世界の美しさを十分に味わうことにしよう。そして、しばらく会っていない友人には今のうちに会っておきたいものだ。別の世界で、ではなく、ぼくとあなたとしての、この短い人生のうちに。そしてできれば、元気なうちに旧交を温めておきたい。
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