すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

心に痛い思い出

2018-03-08 21:10:46 | 思い出すことなど
 フランス語の学校の職員をしていたころの同僚だった古い友人(仮に、A としておく)から手紙が来た(実は、ぼくがデュモンをやめたお知らせを出したので返事をくれたのだが)。「久しぶりにぜひ会いたい」と書かれていた。「みいちゃんのお墓参りにも一緒に行きたいけど、もう場所が分からなくなっているかもね」とも。
 …お店をやめた翌日、先月の24日に、ピアニストの舘野泉さんのリサイタルを聴きに小金井に行った。駅の南側の広場のむこうに、ホールはあった。心が痛んだ。正確にはその場所なのかその隣だったか、もう覚えてはいないが、今から45年前、そこには平屋の大きな古い住居があって、そこでぼくは恋人と、たった二か月だけ、一つ屋根の下で暮らした。
 ひとつ屋根の下、と言っても、そこは部屋数のいっぱいある家で、大学でフランス語を教えているフランス人の若い夫婦と、やはりフランス人の東洋美術研究者の女性と、ぼくの恋人‐彼女の名前がみいちゃん(ただし、仮の名前です)‐が今でいうシェアをしていて、夏休みの4か月間だけの給費留学でパリから帰ってきたばかりのぼくは、とりあえず、まだ空き部屋がいくつかあったその家に住むことにしたのだった。
 ぼくのつもりでは、なるべく早く、二人で住む家を別に探すはずだったのだ。ただし、最初のうち、その大きなサロンで5人でお酒を飲むなどしてわいわい過ごす生活はとても楽しかったのだ。家を探すのは後回しになった。
 …そして、わずか二か月で、ぼくたちは別れた。直接の原因は何だったか、ぼくにはよくわからない。みいちゃんはぼくと夜どちらかの部屋で一緒に寝るのを拒むようになった。サロンでも口をきかなくなった。
 ぼくはそのころ、アフリカに行くのが子供のころからの夢だと、周りに公言していた。アフリカアフリカと口にしていた。一緒にアフリカに行こう、とみいちゃんにも言っていた。そこに惹かれたみいちゃんは、言うだけで少しも行動に移そうとしないぼくが実はすごく臆病な人間であることに気づいてしまったかもしれない。
 みいちゃんが、「私を愛している?」と何度も聞くのに、「大好きだよ。でも、愛ってどういうものだかよくわからない」としか答えないぼくに嫌気がさしたのかもしれない。遊び人でしかない、と思われたかもしれない。
 全く違う理由、ぼくの気が付いていなかった何か、かもしれない。
 とにかく、2か月後にはぼくはそこを出て杉並に移った。みいちゃんは、フランス語を勉強しなおしにパリに行って、パリ大学の学生になった。(しばらくしてむこうでフランス人の恋人もできたらしい。ずっと後になって、Aに聞いた。写真も見せてもらった。明るい好青年のようだった。)
 そして、みいちゃんはパリで乳癌になった。外国暮らしで、発見が遅れた。しかも、外国での手術をためらったらしい。パリに行ってから4年後、やむを得ず大学の課程を中断して日本に帰ってきて手術を受けたときは、もう手遅れだった。
ぼくはそのころ、アフリカのコンゴにいた。だから、この辺の事情も、帰国後にAから聞いた。
 二度目のアフリカ(アルジェリア)に出発する前に、ぼくは意を決して、5年間直接には音信不通だったみいちゃんに会いに虎の門病院に行った。「今度こそ、かえってきたら一緒に行こうね」と約束した。でも、ぼくも、みいちゃん自身も、それはもうあり得ないと思っていたと思う。
 みいちゃんは、ぼくが日本を離れてわずか一か月後に亡くなった。Aからの電報でぼくはそれを知った。
 …96年に、ぼくは2年間いたパリから帰国した。ぼくはその頃、生活が一変していた。
 Aに訊いて、みいちゃんのお墓を訪ねた。それは大きな霊園の奥の方にあった。お酒が好きだったのでお墓に供えて、その前でぼくも飲んだ。センチメンタルになって、「待っていてね、もうすぐぼくもそっちに行くからね」などとつぶやいた。
 その後、一度もお墓参りをしていない。(そのころ、ぼくの人生は大混乱していた。)
 いや、正確に言えば、いまから5年ほど前、近くまで行く用事があって、十数年ぶりに霊園に行ってみた。もう場所を忘れていて、このあたり、と思われるあたりを探し回ったが、とうとう見つからなかった。
 小金井に行ったときは、まだ退職のお知らせは出していなかった。だから、Aがみいちゃんのことを書いてきたのは、偶然の一致だ。あるいは、Aにとってもぼくにとっても、みいちゃんは今でも、青春時代を思い出す時に大きな存在なのだ。Aにとっては懐かしい思い出。ぼくにとっては、懐かしく、同時に心に痛い思い出。
 みいちゃんと別れて以来、連絡しにくくもあり、快く思われていないようでもあり、ぼくは彼女の実家とは交渉がない。Aに尋ねてもらって、桜の頃か新緑の美しい頃に、久しぶりに墓参に行ってこよう。
 嫌がられるかもしれないから、「もうすぐそちらへ…」などというつもりはないが。
コメント
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