すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

デジャ・ヴュ

2018-03-17 14:17:50 | 
またいつか会えますね?

こうしてあなたと話しているぼくは
束の間の統一体にすぎず
いずれ形も意識も失うにしても
それが幾種類かの粒子によって構成された
ある一定の遺伝子の組み合わせだとすれば
いつかふたたび
そのような組み合わせが生ずるかもしれません

この宇宙が亡んだあと
いくつめかの宇宙の
こことよく似た星の上で

その時たまたまあなたが
やはりあなたである可能性は
ひどく少ないものかもしれませんが
時が無限でさえあれば
ゼロではないはずです

その時ぼくたちは
お互いに気付くでしょうか
そして思い出すでしょうか
向こうの山の上に湧いた
真っ白な雲の耀きと
その耀きのなかを帆翔している
二羽のノスリのことを

  * * *

いつか会ったことがありますね?

わずか数十年間の記憶をたどってみても
どこにもあなたを見つけることはできません
でもたしかに いつか遥かな時間の向こうで
ここにこうして坐って
畦道を走りまわる子供たちの歓声を
聞いていたことがあるはずです

あなたの傍らにいるとこんなに懐かしい
それなのにわけもなく胸が詰まるのは
十年前とか物心つく頃とかでなく
向こうの山の生まれる前
この星が生まれる前からの
今が幾度目かの出会いだからに
ちがいありません

あなたのその
考え事をする時 眉間にしわを寄せる癖を
ぼくは確かに 前から知っています

こうしてここに坐っていたぼくたちは
そのあと どうなったのでしょう
あれから
何千億年かが経ったのでしょうか
あなたが時々
遠くを見るような顔をするのは
それからあとのぼくたちのことを
思い出そうとしているのではありませんか?

 手紙(1)に書かれていた(3月14日の記事)、ぼくなりの輪廻転生観を、それからおよそ7年後に詩にしたものです。ただし、この時点で対象になっているのは、すでに、別の女性です(その彼女とはその後30数年間、手も握らずに、大切な友人として年に一度か二度会ってお酒を飲んで話をする仲が続いています)。
 これはずっと以前にブログに載せたことがありますが、再録しておきます。ついでに書きますが、日本で「デジャヴ」というのは、発音の間違いです。フランス語のuの字は、「ウ」と読まずに「ユ」と読むので。直してほしいものです。
 一般的な輪廻転生観については、反論ないし疑問を、また別に書きます。

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