すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

須賀敦子詩集

2018-03-25 11:07:09 | 
 昨日のブログを読んで、ぼくが非宗教的な人間だと思われたかもしれないが、必ずしもそうではない。神や霊魂の存在を最初から出発点にしてしかものを考えようとしない態度に反対しているだけだ。そうすると宗教を権威としてそれに盲従してしまうことになる。
 ぼくは信仰に基づいて書かれたと思われる文学作品のいくつかを繰り返し読むことがある。例えば、T.S.エリオットの「灰の水曜日」とか、R.M.リルケの「時禱集」とかだ。同じリルケの「ドゥイノの悲歌」は、神どころか天使などというものを重要な主題にしたものだが、難しくてわからないながら、繰り返し読む。
 この一冊も、繰り返し読むことになる本だと思う。
 須賀敦子の詩集「主よ 一羽の鳩のために」が出版された。
 ぼくは新刊の単行本は原則として買わないのだが、これも比較的薄い詩集であるし、わかりやすい言葉で書かれているし、本屋さんで軽く立ち読みしてしまおう、と思ったのだが、読んでいるうちに、「いやいや、これは繰り返し読み味わうことになるに違いない」と思い、買ってしまった。
 出たばかりの本を引用してはいけないのだろうが、このブログは営利を目的としていないし、本のPRにもなるかもしれないので、2編だけ紹介してみる。
 (ぼくも、時々、祈ることはある。何に向かって? たぶん、そらに向かって)

 (あゝ/とうとう)
 あゝ
 とうとう
 おまへは
 また
 やってきた
 無限のひかりと
 草を焦がす熱と
 水底の静けさの晝(まひる)をつれて。
 私はふたたび
 すべてを
 しっかりと
 両手に にぎりしめ
 菩提樹の香に咽せながら
 燃えさかる
 大地に
 うっとりと
 立つ。


 (これほど空があをくて)
 これほど空があをくて
 ミモザが
 黄のひかりを まきちらし
 くろい みどりの 葉のあひだに
 オレンヂが 紅く もえる朝は
 たゞ 両手を
 まっすぐにさしあげて
 踊りくるふほか
 なんとも しかたないのだ――。
 ひくゝ たかく
 うたひながら
 いのりつゞけるほか
 なんとも しかたないのだ――。
コメント
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