すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

自然教育園

2018-03-11 12:14:47 | 自然・季節
 朝の散歩のコースを少し伸ばして、白金の自然教育園に行ってみた。教育園までは散歩としては少し遠いのと、冬は花の咲く植物が少なくて寂しいので、本当に久しぶりだった。
 林床はきれいに刈りはらわれていて、ちょっと意外な気がした。真冬の時期に腰まで水につかって池の枯れ葦などを取り除いているのは知っていたが、武蔵野の自然をなるべく手つかずに残すために、林床の手入れは必要最低限にとどめる、と思っていたからだ。
 でもこうしてすっかりきれいに刈りはらっておけば、これからもう少しすると春の植物がいっせいに芽を出し、花開くのだろうな、と納得した。

 歩いていると、古いイギリス民謡の「グリーン・スリーヴズ」のメロディーが浮かんできた。昔から、林の中や水辺を歩いていると、自然にあのメロディーが心に浮かんでくる。もっとも、ぼくのは8分の6拍子の原曲でなく、ブラザーズ・フォーが歌った、ゆったりとした3拍子の方だ。
 池の周りはあまりにきれいに刈られ過ぎていて、水面が寒々しかった。湿地の奥にサギが一羽いた。双眼鏡を持っていなかったので識別しにくかったが、大きなカメラを持った人が、「嘴が黄色で足が黒くて首が長いから、冬羽のダイサギですね」と教えてくれた。

 今年は、ここでも春の来るのは例年より遅いようだ。草花で咲いているものはほとんどなかった。路傍植物園でも水生植物園でも花はゼロ。いちばん奥の武蔵野植物園で、わずかにユキワリイチゲとフクジュソウがもう終わりに近く、萎れかかっていた。どちらも春の初めに咲く花だから。
 樹では、シキミとマンサクとキブシが咲いていた。どれもやはり春の初めに咲く花だ。
 シキミは、ごく淡い薄緑色の細長い花弁とガク片が集まって咲く、美しい花だ。だが猛毒なのだという。むかしはお墓に、野生動物に近寄られないようによく植えられたのだそうだ。絶対に触ってはならない。
 マンサクは、高いところに咲くので近寄って見られないが、こちらはもっと細い花弁の黄色い、付け根のところだけ赤い、かわいい花だ。この花がたくさん咲くとその年は豊作になるので「満作」という説と、春にほかの花が咲く前に最初に咲くから、「まず咲く」がなまってマンサクになったという説とがある。
 キブシは、ひとつひとつは地味な花だが、やはり春先、ほかの花が咲く前に、黄色い穂をたくさん垂れ下げるから、自然林のちょっと残っているところをこの時期に散歩するとすぐに目に入る、なじみの花だ。

 もう少したったら草花が一斉に咲くのを見に来るとして、路のうえにいっぱい落ちているムクロジの実を三つ拾って帰ることにする。ティッシュペーパーに包んで、さらにティッシュの袋に包まないと、ポケットがべとべとする。ムクロジは表面がネバネバする薄茶色の実で、中には羽根突きの羽のおもりにする黒い種がコロンとひとつ入っている。ムクロジの実の皮を水に入れて揉むと泡が出て、昔はそれを石鹸の代わりにしたそうだ。
コメント
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