江戸東京たてもの園の農家の囲炉裏端を見学して、ふと、父の話を思い出した。
冬の夜は長い。囲炉裏端の話もとぎれがち。
その時、土間の方でゴトゴト音がした。みんなが、聞き耳をたてていると、なにか、がさがさ引っ掻くような音もする。
「ねずみかな?」
「ねずみより大きいよ。いたちかも知れん。」
「いや、いたちは、こんなところへこやへん。」
「それじゃあ、まみ かも知れん。このごろ、ほうぼうへよう出るちゅうで。」
そんな話をかわしていると、こんどは、メカメカと何か舐めるような音がする。
それっとみんな、それぞれ得物を持って物音の方へかけつけた。鎌、箒、薪ありのいでたちだ。
音は、俵や箕、むしろなどいろいろ置いてある一角の、桶の中から聞こえるようだ。
だれかが、桶をつつくと、パッと飛び出たものがある。
あっちこっち逃げ回る。
やはり、まみ だ。桶の中のこぬかを食べていたのだ。
二つ三つ手ごたえがあったようだが、まみ は、入ってきた縁の下から逃げていってしまった。
みんな、わっは は は は と大笑いした。
(タヌキは、家の周りをうろうろすることがあるが、めったに家には入らない。キツネは家にあまり近寄らない。夜中など遠いところで、ケンケン、コンコン、キャッ、キャッ、などと鳴いて通ることがある。)
父は、都会に出てきていたので、私にはこのような暮らしの経験はない。
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半城土{刈谷市}から吉浜まで自転車で帰ってくる途中で田んぼ道の中で狐にだまされ家に帰れなくなったという話を子供のころ父親から聞かされました。母親の話によるとただ酔っていて
まっすぐ帰れなかっただけということですが
今は昔の面影は全然跡形もなくいい道路と工場
も建ち。。狐も町の発展に困ってますね?
私の父の実家は東加茂郡盛岡村(足助の近く)です。
時代をさかのぼれば岡崎の大将がまだ
子供のころ、三河のあの近くには建てやが
無い土嚢を積んだような城らしきものが
かなりあったようですから刈谷三万石の
出城のようなものがあったんでしょうね
そのへんから
出来た地名ではないかと思います。僕が
思っているだけです。
納得します。
ありがとうございました。