雨曇子日記

エイティライフの数々です

ローカル路線バスの旅z 第15弾 高野口駅~潮岬

2020-12-28 16:19:46 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

 

この番組は、テレ東12月26日(土)18:30~21:54:で放送されたものです。

ナレーションのキートン・山田さんはこの番組が最後とか、名調子有難うございました!

 

     第一日

高野口駅は和歌山県橋本市にある。今回はここが出発点。

ロケは11月中旬だったようだ。マドンナの鈴木杏樹(あんじゅ)さんの言葉。「・・・何よりもスタッフの皆様のチームワークが素晴らしく、そんな皆様に支えられた旅でした。終始楽しく4日で旅が終わるのがとても寂しく5日目も6日目もずっと続けばいいのにと思いました。もう感謝しかないです」

 

9:05発橋本行きのバスで出発。乗り継いで県境の”門前”に行き、ここから5,7㎞歩いて奈良県五條町に入った。お昼をゆっくりとっている暇はない。柿の葉寿司"たなか五城本店”を道筋に見つけ、バス停のベンチで食べる。

三重県松坂方面に出たいのに、バスは明日香~桜井~天理・・・と、三重県から遠ざかって進み、JR奈良駅に来てしまった。もう日はとっぷりと暮れている。明日以降どう進むべきか目算はないがここで泊まらねばならない。

焼肉たつ屋でシャトーブリアン2500円を食べ、駅前のプラザホテルに宿をとった。

 

     第二日

この日はまず三重県上野市に出たが、これが路線バスの旅なので簡単にはいかない。

JR奈良駅~石打(奈良交通・1時間40分)

石打~白樫(徒歩・・・1,7㎞)

白樫~岡八幡宮(徒歩・・・500m)

岡八幡宮~永谷辻(徒歩・・・750m)

永谷辻~上野市駅(三重交通・20分)

この日は水曜日で永谷辻の商店は定休日。やっと、らあめんの店”むげん食堂”を見つけて昼食をとった。

その後も乗ったり歩いたりで、松坂駅前の東横インにたどりついた時は、23:30を過ぎていた。予約はとっていないので飛び込みの宿泊だ。

 

鈴木杏樹さんの感想に「この旅は、今までの人生で最も過酷な試練の旅サバイバルの旅」とあったが、さもあらんと思う。

 

     第三日

この旅は、和歌山県高野山口出発、ゴールが和歌山県潮岬なのだが、チェックポイントとして、三重県賢島、和歌山県湯の峰温泉を経由せねばならず、しかも移動手段が路線バスと徒歩のみ、台本なし、アポなし、仕込みなしのガチンコ旅なのだ。

この日も晴だった。伊勢・志摩の日本有数の景勝地を巡るのだから快適なわけだが、日程に追われ、ルートを自ら見つけ出さねばならないので、苦しい旅でもある。

松坂駅前~栃原~注連指口(しめさすぐち)~伊勢市駅前~鵜方駅前~賢島駅前 と、まず順調に来て第一のチェックポイントをクリアした。昼食を鵜方駅前の伊鈴屋「手こね寿司」(770円)で済ませ、一路熊野へ向かう。

サミットの会場にもなった英虞湾内の賢島を抜け、南伊勢町に入ると、交通事情は簡素になり、南島道方~神前まで南伊勢町営バスを乗り継いできたが(14:43)、次の目的地JR伊勢崎駅前のバスまで3時間待ちとなった。

その間、誰もいない見江島展望台(足許にはハート型の湾があって、婚約を発表した羽田さんだったか、愛の鐘を鳴らし、熊野灘に澄んだ音色を響かせた)を訪れてこの旅唯一の観光を楽しんだ。

それから、JR伊勢崎駅前~柏崎間1.6kmは歩き、柏崎19時57分発熊野市駅前行の三重交通のバスに乗った。これは、この日最後の2時間20分の旅だった。

バスを降りてビジネスホテル平谷に向かう暗い空に旧暦5日ぐらいの月が出ていた。とすると、この日は11月19日だ。

 

     第4日

いよいよ最終日。熊野市駅前発6:58新宮駅前に乗り込む。三重交通のバスだ。

新宮駅からは三重交通の湯の峰温泉行のバスが9:59に出た。それは、11:19に到着し第二のチェックポイントをゲットした。

ところが、かなりの大雨となった。これから一刻も早く新宮に戻り潮岬へ向かわなければならない。それには、長瀬温泉の2,1kmを24分で歩き明光バスに乗らなければならない。ビニール傘では防ぎきれない雨の中、一行は懸命に歩いた。そんな中、田中要次さんは意外な敏捷さで、人気のない商店に入って近道を聞き出した。私は見ていて、房総半島陣取り合戦のパックンを連想した。ともかく、鈴木杏樹さんは、雨が靴に入り込んだことを渡瀬温泉の足湯に浸かったとおどけ、無事にバスに乗れたことを喜んだ。

新宮からは、午後1時発の南海バスで紀伊勝浦駅に13:37に着いた。

そこから浦神までの12㎞は歩いた。

那智勝浦町営バスには1分乗って瀬田に行き、そこから2.7㎞を歩きバス停のある”上の宮”まで行った。

しかしそこで分かったことは、潮岬行き最終バスは、25分前に出たという残酷な現実だった。

 

成功ではなかったけれど、精いっぱいの旅だったと私は思った。