雨曇子日記

エイティライフの数々です

我孫子駅にて

2015-02-27 14:25:19 | 我孫子さんぽ

                

 

2 月 24 日(火)午前 10 時、我孫子駅南口でNさん、Kさんを待ちました。ラッシュの時間帯を過ぎて駅前は閑散としています。

 

          

 

花壇、我孫子に住んだ文化人の写真、飯泉喜雄顕彰碑は駅前の 3 点セットです。

 

                

                

       

 

駅用地の無償提供、我孫子町長も務め、我孫子の発展に貢献した飯泉喜雄氏の顕彰碑は、蒸気機関車の形です。

交番の裏手にあって目につきにくい庚申塔は、一見の価値があります。

 

                

                

                     

                     

 

駅開設当時我孫子駅では、職員の死亡事故などが数件起こり、その災いを除くためこの碑を建てたようです。

NさんKさんが来たので、ケヤキ会館 11 階の展望室に行きました。

 

          

                 

                

          

 

駅前にあった製糸工場(山一林組工場・明治39 )を記念した公園がありました。

車止めは、繭の形をしています。Kさんにポンプを押してもらうとすぐ水が出ました。

 

              

                


我孫子・崖(ハケ)の道にて

2015-01-22 20:39:32 | 我孫子さんぽ

     

 

 1 月 22 日(木)手賀大橋北詰の四つ角を西に、崖(ハケ)の下の小道を歩きました。

少し進んで、子の神大黒天の長い石段を上り本堂に出ました。そして、境内を出ると、「旧村川別荘」の台地側からの門がありました。

 

     

     

             

             

 

こちらは、村川堅固が大正14年(1926)の朝鮮旅行の印象をもとにデザインした新館です。

 

     

             

             

 

ボランティアガイドの染野さんに館内を案内してもらいました。

 

     

             

             

 

次は、志賀直哉邸跡です。

 

             

     

 

道を隔てて、白樺文学館があります。

 

             

             

 

2009 年からは、我孫子市の施設で、昨年10 月よりボランティアの演奏家によるピアノ演奏会が毎日開かれるようになりました。

このことを 1 月 22 日の朝日新聞千葉版で知り、演奏時刻  13:00 に合わせて訪れました。

 

     

 

聴衆は私一人。

童謡メドレー等の演奏に続いて、今日の天候に合わせて「シェルブールの雨傘」を演奏して下さって、とても贅沢な時間を過ごすことができました。

ピアノは、アルト声楽家の柳兼子さん(宗悦夫人)が晩年愛用されたものだそうです。

 

   

 

 


ほくほく祭り

2014-09-29 12:17:07 | 我孫子さんぽ

     

    (祭りとは無関係ですが、隣のザクロの木が大きな実をつけていたので)

 

快晴の9月28日(日)JR成田線 湖北駅“湖北台南口商店会”主催の“サンバ大行進”と“ほくほく南まつり”の本部のある通りに来ました。

 

     

 

“フォークソング大会”が行われています。

 

             

     

     

 

次は、和太鼓の演奏です。

 

     

     

     

 

ここは、サンバの最終ゴールです。

 

     

     

     

     

     

 

湖北台南口商店ストリートは大いに盛り上がりました。

   

   

 

   

 

 

   


平成の女神たち

2014-09-28 20:00:05 | 我孫子さんぽ

     

 

浅草サンバカーニバルが始まったのは昭和56年(1981)。神戸は、もっと古い。

今や、全国津津浦浦サンバカーニバルのない街はないというぐらい、このブラジルの音楽と踊りは全国に広まっています。

 

  浴衣着てこれはサンバでなき社中    後藤 比奈夫

 

9月28日(日)、我孫子市湖北のサンバを見に行きました。

 

     

     

 

パレード10分前の道路はこのように閑散としていました。

でも、パレードは定刻にやってきました。

 

     

 

多分、介護施設の方が陣取っておられた一画、踊り子さんが次々と激励に訪れました。

 

     

     

     

     

     

 

みなさん優しいな。

まだまだパレードは続きます。

 

     

             

             

見物のお母さんも踊りだしました。

 

             

             

     

              

 

アメノウズメノミコトはかくあらんと思わせるパレードでした。

 

   


木下貝層(きおろしかいそう)

2014-03-05 16:42:06 | 我孫子さんぽ

     


成田線木下(きおろし)駅南口から徒歩5分のところに、有名な木下貝層(きおろしかいそう)の見られる一角がある。


     


貝塚ではなく貝層だ。
縄文人が中身を食べて捨てた貝殻ではなく、生きた貝が潮流の加減か何かでたくさん集まった海底が地上に現れたものだ。
海底だったのは、12~13万年前だというから恐れ入った話だ。


     


「そんな昔のことかよ。武蔵も、下総も、上総も海の底じゃん。というか、人類はまだ現れていないんじゃあないの?」


             
             
      


「でも、いいものを見せてくれてありがとう」    


今年で見納め 木下ビッグひなまつり

2014-03-03 17:05:52 | 我孫子さんぽ

     


2月27日朝日新聞千葉版の記事で知った、木下ビッグひなまつり会場に来た。(木下万葉公園南口)
最終日とあって、幼稚園児等多くの参観者で賑わっていた。


             


手作りの6メートルの大雛、3メートルの小雛だ。


             
             
             
             
             


人形がまとっている衣装は、計1万株のビオラという。


             


朝日新聞によると、15人のリタイア世代がつくった「公益夢探訪」が主催。4年前から続けてきたが、“街を元気付ける”という目的が達成できたので、今年で終了とのこと。
(会長の岩井さん、補佐の星さんはじめ、メンバーの皆様とても立派な御活動ありがとうございました)


             
             
             
             
             
             
             
     
             


桃の木は本物かと思ってしまいましたよ。
いろいろご苦労があったのですね。


     


ひなまつりもさりながら、すばらしい人たちにお会いできたという思いです。


             
             


             


木下(きおろし)散歩

2013-06-06 20:41:35 | 我孫子さんぽ

            
               (木下を流れる利根川)

かって利根川河岸の町として賑わいをみせた木下(きおろし)は、舟や馬、人が物流を担っていた時代が終わると、静かな東京近郊都市となった。
JR成田線は単線で、朝夕を除いては駅は閑散としている。

            

            

            

    

南口にある木下(きおろし)貝層を見学した。

    

    

            

12~13万年前、海の底だったころ、自然の力で集まった貝の層という。
この層は茨城県の南部まで広がっているが、最初に見つかったのがここ木下(きおろし)なので、「木下貝層」と名づけられたそうだ。

小高い山の上は、万葉公園。りっぱな藤棚がある。

            

町並みを展望する。

    

            

クリの花のめしべは、枝の付け根に付いている。

            

            

これは、ムラサキシキブの花。

            

Nさんにすすめられて、スイカズラの蜜を吸ってみた。かすかに甘かった。

            

これは、タラの木。若芽はテンプラの食材。

    

かって、ここに千葉県立印旛高校があった。野球の名門でもあり甲子園にも出場した。
平成22年4月、県立印旛明誠高校として、印西市草深(ソウフケ)に移転した。

    

次に訪れたのは、手賀沼から流れてきた弁天川沿いの神社。

            

    

相撲が盛んな土地柄で、今は荒れ果ててはいるが、土俵があり、横綱を描いた石碑があった。

    

昼食は、街道沿いの蕎麦や。

    

            

駅前の手作りせんべい屋にも立ち寄った。

            

見所いっぱいの木下散歩だった。

  



  


和太鼓祭り

2012-11-18 18:32:45 | 我孫子さんぽ

11月18日 昨日一日降り続いた雨も上がり、ピカピカの上天気。
手賀沼の北にある湖北台中央公園の和太鼓祭りをのぞいてみた。


    


2700戸を擁する団地の公園だけに、太鼓の音が広い空に吸い込まれていく。


            



            



            



ステージの裏に廻ってみた。



            



            



            



スタンバイの一団が登場。


            



会場を大きく取り囲んで売店が軒を並べる。


            


            



存在を大きくアピールしているのは、大銀杏。


    


一本立ちの木は円錐形をしている。風から身を(樹体を)守るためだ。


            



この団地自慢のケヤキ通り。


            


            



この日、「例年より遅く木枯らし1号が吹いた」とラジオが報じた。



  


女人成仏の正泉寺(我孫子市)

2012-09-09 15:41:40 | 我孫子さんぽ

成田線湖北駅南口を出て、西に2km程の地にある正泉寺は、女人成仏道場の寺として、江戸時代は七堂伽藍を有し隆盛を極めたという。



           


大龍山正泉寺は曹洞宗の寺で、開基は1263年(弘長3)、北条時頼の娘 桐姫(法性尼)と謂われる。




           



桐姫の墓は参道に入ってすぐ、左側にある。
姫は、17歳の時、父時頼の関東巡視に同行。この地で病を得てなくなったとされる。
娘を憐れんだ父時頼が、一寺を建立したのであろう。



           



この墓に、30年以上一日も欠かさずにお参りしておられるのが大賀さん。
印旛高校校長を退職され25年になる。
墓参の動機は、ご子息の大病。
全快のあとも、ずっと続けていらっしゃるとのこと。
「先祖は、桐姫お付きの侍では?」と近所の人にからかわれるが、私は農家の出だから・・・と、笑われた。



           



初めてお会いする大賀さんの話に感動した。




           




     



今日では、女性差別にあたるということから、この教えは、曹洞宗としては行っていないそうだ。
それでも、境内の建物から、昔の隆盛がしのばれる。




           



     



拓本の跡の歴然とした石仏が無造作に置かれている。




           




     



女人成仏道場下総正泉寺として、きっと関東一円に知られていただろうな。


成田線・湖北駅

2012-07-16 16:54:08 | 我孫子さんぽ

           


この写真は、7月13日(金)JR成田線湖北駅のホームから撮りました。



     


湖北の「湖」は手賀沼。昔は、湖北村でした。(現在は我孫子市)

昭和40年代から、駅前南口の開発が進み、東京に通勤する人が増えました。
そんな、新住民の声が、「成田線をもっと便利に」なのでしょう。



           



今では、駅舎も、駅前ロータリーも、電車も、改善されたように思われます。



     



今もホームに残っているこの施設。
人が腰掛けるには高すぎます。

これは、行商の荷物を置く台です。

成田線の各駅に見られますが、野菜など農産物を満載した大きな荷物を背負って東京に行商に出る婦人たちに利用されました。

この行商は、今ではほとんど見られませんが、成田線開通時から始まり、戦後も昭和の間はずっと続いていました。
全盛のころは、湖北村だけでも行商組合に所属される方が300人以上だったそうです。



    



歴史のある湖北駅も、今はのどかなたたずまいです。