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富山の女子の自己限界はどこに?

2017年08月01日 | Weblog

富山女子とは、富山県に生まれ、富山県に育ち、富山県内で生計を営んでいる女性である。その特色は、「家」という家屋において、「家」の財布と、「私」の財布と、2つの財布をきちんと管理していることに特色がある。共働きのできる社会なので、女子は「家」の財布と、個人の財布を生涯持ち続ける。それと、三世代の同居や近住を避けない祖母の統括力が大きい。

統計的には、離婚率が低いのは、「家」の主人公の役だから、家出も少ない。ただし、家に引きこもるタイプではない。社会性の調整、連絡、相談の能力が高い。持ち家率が高いのも、飲む、打つ、買うの「男子の病癖」を克服し、夫をきちんと手の内に収めているためである。また、「家」も地元業者が、新築、改築、補修をして、全国大手のハウス・メーカーの占有率が極めて高いのも、家計管理の主婦と地域社会との接合面が深いからである。

富山女子というカテゴリーなど、そもそも存在しない、というむきもあろう。だが、スーパーのレジ袋を廃し、エコバックの普及、廃棄ゴミの分別とリサイクル率の高い環境意識は、全国平均よりはるかに高い。「わが家」と「地域社会」への輪番、当番による参加が、構造的に安定しているからである。これは、一日にしてならず、である。大正時代の米騒動の結果、官民あげて、共働きのできる社会、合理的な家計管理を学校教育で普及させてきたためである。高等女学校の入学定員は、男子の旧制の中学の入学定員を超過していた。教育の達成は、いまでも富山女子力として評価される。基礎学力は低くない。福井、石川、新潟に比べ、女子の実務能力は、極めて高い。製薬業を支える力は、富山女子にしかない。

では、富山女子の自己限界は、どこにあるのか?極端な個性化を避け、無難な道筋を択ぶところにある。「地域社会」が、小中学生、高校生を不文律で導いているからだ。「地域という鋳型」で、人間を鋳造しているからだ。ある意味、近代化が最も遅れている。それが、実は、ポスト・モダンという現代社会が伝統社会の遺産を整理し、残すべきもの、新しくつくるものの「分別の仕組み」となっている。

富山は、あえて言えば、北欧の協同社会と類似しているという面で、日本で最先端にあるといえる。富山女子の限界は、個の突出力が弱いことにつきる。皆から嫌われたくない、という消極的な同期、同調を主旋律として選ぶ。例外は、家出した富山女子である。彼女たちは、同世代の女子の憧憬の対象である。

 

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