富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

地域の名誉フラッグは、学校単位から市単位に

2017年07月26日 | Weblog

TMA講師代表:地方紙が、地域をみるとき、航空写真で小学校や、中学校を中核に鳥瞰する。しかし、義務教育の人口とそれを支える家庭の減少により、無理に地域フラッグを小学校区や、中学校区に求める時代は、維持が厳しくなる。より広域でまとまる時代に自然に移行している。その究極の単位を道州制に求めるには、時期が早すぎる。今は、県が最後の郷土の砦である。

ケーブルテレビで、高校野球の地方予選を拝見したが、仮に市の単位の選抜ならば、ゲーム水準はかなり上がる。現在では、体力は十分であるが、野球脳が遅れている生徒さんと、野球脳が優れていても、体力の養成が欠けている生徒さんが、それぞれの高校の名誉のために戦っている。学校単位というのは、軍国主義とともに成長してきた朝日新聞社の「野球道の哲学」である。基本は、軍国主義に規範がある。毎日新聞も、選抜制であるが、基本は学校単位である。義務教育の場合、学校単位は意味をもつ。

しかし、合併で地域の小中学校を統合した「平成の市政」にとり、「市の単位のエントリ」を認める選抜があればよい。「市選抜」から「県選抜」で、春選抜の高校野球は改革するべきであろう。富山選抜のメンバーでも、富山県選抜であれば、納得のゆく県民力のコンペとなる。個々の学校の努力の限界と消耗は激しい。

県立制度の高校でも、地域全体でみれば、小中高の12年間の一貫、保育を含めると18年間、魚津市なら市民一貫教育がなされている。平成の大合併による市政を地域の基層社会に育てるには、別の工夫がいる。このあたり、県庁幹部から転出した市長さんには、新たな創意がいる。それは、教育行政を総合行政がラッピングする仕掛けである。保育から大学進学・就職、さらには生涯学習を大学院修士まで、市政としてラッピングする視座である。県立であるが、市が支える工夫をしないと、魚津高校、氷見高校、砺波高校、じわりじわり弱体化する。市の首長が、市の高校教育、中学教育、小学校教育には遠慮があり、中学、小学、幼稚園、保育所は、市立が可能というのは、地域創成の妨げになっている。国立大学を含め、富山型の地域創成には、独自のサブシステムが必要である。富山大学の敷地内に、富山市立保育所があっても当然である。特に、杉谷地区には要るはずだ。もしあれば、なぜ、富山大学や、富山県立大学に付属高校がないのか?

長年、県教育界には、隠れたボスキャラが君臨している。その責任は、県知事ではない。それは、過去の話である。

 

 


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富山県産材の利活用の出口なき討論

2017年07月26日 | Weblog

きちんとした指導者から学ぶことが、求められる。調査の結果、アルスホームの原野省三さんが、知識、情報、感性、すべてに優れている。まず、顧客を加賀の経済成長の地域に求めている。これは、アリタの在田吉保社長も同じである。資源は富山というか、飛騨にある。市場は、加賀にある。福井は、苦戦という経験値がある。

こうした越中の最高人材は、富山大学経済学部の経営学科にお招きし、「経営学の現場」という講義を担当して戴いている。ごめんなさいね。富山県産材の利活用を議論する人たちの頭脳の収縮には、おつきあいいたしませんので。

頭脳は、脳梗塞により収縮する。県産材という、柱や板にした商品は、実は脳の梗塞した部位にあたる。閉塞された欠陥の塊、死んだ細胞の村ということになる。世界の国際林業学に全く背を向けている。国際林業学の本場は、カナダ・北米地域、北欧地域、それに中国の九三学社・林業大学である。標準語は、英語である。英語でホーム・ページを見るならば、そこに通貨の世界にあるIMFのような、全人類的なナレッジワーカーの世界が出来上がっている。日本の林業学は、官界・学会・政党・業界人・・・全て標準規格以下である。

唯一の例外が、住友林業という昔は富山になじみの深い企業、今は、住友林業には、富山人で目立った人材はいない。別に富山人でなくてもよい。もう、お寺の過去帳を探し、富山人の親戚探しを止めませんか。仮に、富山大学の教授陣から、加賀の出身者を除くと、どんなことになりますか。富山人の閉鎖性とは、国際標準規格から、特にナレッジワーカーのなかで起きている現象なのです。富山湾岸、港町の社会主義運動の名残りだけでなく、地元の富山人の国際化の遅れが、TOEFLの受験会場なし、という富山の現状を物語っているのです。どうか、北日本新聞社さん、TOEFLの受験会場に手を挙げて下さい。TOEICは、県立大学で受験できますが、県立大では、TOEIC受験指導はしていないので、TOEIC対応の日本中枢300社へ就職する道は、最初から閉ざされています。つまり、材木を論じるまえに、人材の育成から考えるべきです。その意味で、大師匠である原野省三さんから学びませんか。長老の人材育成法には、「論語」の深い理解が隠されています。ゴルフ三昧で大事な時期に脳梗塞になったHという大銀行の方とは、全く違います。学歴は、高岡高校卒のみ。


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「加越同舟」「呉越同祖」と行こうね。

2017年07月26日 | Weblog

加は、加賀。越は、越中。不勉強なので、越前、越中、越後の間に、加賀が割り込んでのは、近世に加賀が発達したためかと推察に止めておく。古代は、越前と越後の間の越中が、日本海側の中核地域であった。特に伏木港は、重要な港であった。明治期に確立した海図、税関の制度では、伏木は特別な港で、国際航路を支えていた。英語の海図で、FUSHIKIは検索できる。気象も、伏木の天候が検索される。まして、税関は、大阪税関の管轄下にある。伏木税関は、とても伝統のある官署である。明治期に大いに栄えた。

加賀が大きくなったのは、武士というナレッジワーカーが、金沢の城下に集められたからである。加賀の国力は、越中の統治によるものである。大正期から、富山にはコミンテルン史観が流布しはじめる。世界を資産階級と勤労階級に二分し、その二大階級の闘争により、歴史が進化するという歴史哲学である。いまや国家的にこの哲学を信奉しているのは、北朝鮮労働党だけである。中国、東欧、キューバもこれを棄てた。残されているのは、富山湾岸の港町を結ぶ越中社会主義運動である。旧制富山高校は、不幸にして、越中湾岸の港町をつなぐナレッジワーカーの社会福祉の活動と重なり、金沢の第四高等学校との、疑似的な階級闘争にのめり込んでいく。

その結果、「加越」は、別である。万葉集の国である越中、万葉集に出てこない加賀。古代史が持ち出され、本家の争いが生じる。近代、現代、双方の有識者が、歴史と文化の「加越戦争」と行うようになった。これに、「呉東呉西戦争」が加わる。高岡人と魚津人との肌合いの違いは、極めて厳しい。相互に皮膚感覚で、違和感を隠さない。これが、新聞の世界にも波及し、呉東が北日本新聞の縄張り、呉西が読売新聞と富山新聞の縄張りとなる。

2017年の石川県・富山県、「加越異舟」と「呉東呉西戦争」は、硬直的に出来上がった社会構造となった。これを解消するのが、地域創成であるのに、読者・視聴者の意識の固定化、硬直化をメディアが扇動している。「加越同舟」「呉越同祖」と行こうね!特に、改憲運動では、「加越同舟」「呉越同祖」が基本だ。呉東派の北日本新聞は、富山湾岸の港町を結ぶ越中社会主義運動であり、護憲運動の基盤である。この戦争は、憲法問題に集約される。


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