富山には片山学園がある、という声は聞こえてこない。全寮制だから、全国から生徒を集められるはずだ。私立だから、全国区の進学校になれば、鹿児島のラサールにようになれるはずだ。なぜ、なれないのか?孫が、同じ系列の育英にお世話になったが、彼の塾講師の人間性、学力の限界は、見抜かれてしまう。あえて中学・高校一貫、寮生活の教育機関が、「感動の教育成果」を挙げていない。進学指導ほど楽な世界はない。基本、事業評価は58点である。不可とするには、惜しいが可とするには、無理。
やはり、県立高校の伝統には勝てない。片山学園は、スタートが悪い。県立高校の実力ある名教員のOBのもとで、緻密なカリキュラム形成と、その後継者の育成から始めなくてはならない。片山某に、なにがしかの神話的な学習歴がないのに、ブランド名にしてしまった。
その結果、県立高校へくるべき人材を横取りし、アメリカの大学へストレートに進学させることもできていない。たとえば、関西では、関西学院大学と立命館大学とでは、かなり学力差がある。いまや、富山は立命、同クラスの関西大学レベルが進学校の底辺となっている。なぜ、関西学院大学は、富山から遠い門なのか?英語の入試問題のレベル、コンテンツが違うからだ。そこに、ある種の質の壁がある。立命の英語入試には通用しても、関学には通用しない。プロが、不都合を隠すから。そこに壁ができる。