富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

少子化には、教員の少数精鋭化が必要だ。

2017年07月10日 | Weblog

富山には片山学園がある、という声は聞こえてこない。全寮制だから、全国から生徒を集められるはずだ。私立だから、全国区の進学校になれば、鹿児島のラサールにようになれるはずだ。なぜ、なれないのか?孫が、同じ系列の育英にお世話になったが、彼の塾講師の人間性、学力の限界は、見抜かれてしまう。あえて中学・高校一貫、寮生活の教育機関が、「感動の教育成果」を挙げていない。進学指導ほど楽な世界はない。基本、事業評価は58点である。不可とするには、惜しいが可とするには、無理。

やはり、県立高校の伝統には勝てない。片山学園は、スタートが悪い。県立高校の実力ある名教員のOBのもとで、緻密なカリキュラム形成と、その後継者の育成から始めなくてはならない。片山某に、なにがしかの神話的な学習歴がないのに、ブランド名にしてしまった。

その結果、県立高校へくるべき人材を横取りし、アメリカの大学へストレートに進学させることもできていない。たとえば、関西では、関西学院大学と立命館大学とでは、かなり学力差がある。いまや、富山は立命、同クラスの関西大学レベルが進学校の底辺となっている。なぜ、関西学院大学は、富山から遠い門なのか?英語の入試問題のレベル、コンテンツが違うからだ。そこに、ある種の質の壁がある。立命の英語入試には通用しても、関学には通用しない。プロが、不都合を隠すから。そこに壁ができる。

 


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指導者の情熱を妨げる学力の限界

2017年07月10日 | Weblog

TMA講師代表;富山県立大学の有力な教授に、過去10年の入学、教養、専門、就職のBigData処理をされて、課題を整理されたことがあるかを質問したところ、無い、という回答だった。世間的には、就職率100%、と吹聴する。どこでも、就職率100%が当たり前の時代である。これに、古い大学であると、卒業後の企業内での評価、特に30歳での人事評価が問題になる。工学部の単一の大学であるから、BigData処理は比較手に容易である。これは、基本、教務、就職の担当事務局の仕事である。しかし、分析システムを創造するのは、情報工学の役目である。

多変量の解析を要するが、基本、ウインドウズPC2台でできる作業である。これは、どの高等学校出身の生徒が伸び率がよいのか、あるいは、出身高校に関係なく、何がつまずきの原因なのか?、英語の基礎学力の構造分析も、入試のデータと、その後の学力強化の道筋も。ウインドウズPCでできる。いかに、教授陣の情熱があろうとも、偏差値という自嘲があり、「うちの学生には無理」といっている間に、教授陣が時代から大きく遅れていく。

大学教育の基本は、学力形成である。何が基本学力なのか?文系でも、理系でも、母国語である日本語に内在するロジックの摘出能力と、外国語である英語のロジックとの、2つの異なる言語体系の違いと、共通項目を相互に読み替える力がいる。アメリカでは、ミシガン大学が方法論を開発しているが、富山の英語教師が、そこへ留学したことを聞かない。TOEFLのスコア―をもたないで、英語教師として採用しているのが指導者としての恥ずかしさである。少子化には、教師の少数精鋭化が必要だ。

なぜ、富山大学にはヘルン文庫があるのか?それは、夏目漱石をして、東京大学の文学部の英語教師を辞職させた心因がある。ラフカディオ・ハーン、小泉八雲が、美しい英語の詩を暗誦し、特にアイルランドの詩で学生を感動させたことに遠因がある。それで、夏目は東大の教壇を去った。プロの作家となった。小泉八雲も、プロの作家であったからだ。では、小泉八雲は言語学者であったろうか?

教育者で、英語教育のメソッドをもっていたのは南日恒太郎である。その教科書は、富山大学の経済学部の書庫に眠っている。英語教育の原点を探るには、言語学者としての英語研究者が望ましい。教育者には不適な英文学者が多すぎる。


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