富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山人は、富山人に「縮む」な!

2017年07月16日 | Weblog

不二越の本間会長の発言に、久しぶりに越中強盗の元気が盛り返してきた。不二越にとり、富山人は知財ではない、というわけだ。その証明は簡単である。県内の大学への、県内高校生の評価を観ればよい。第一、不二越工業高校を観ればよい。

富山人は、年々「縮んでいる」ようだ。たとえば、北陸電力、北陸銀行、ともどもに純益ベースで「縮小」傾向にある。「縮小」のラインに乗り、「拡大」のラインに乗っていない。そもそも原発は、もともと北陸電力に不可欠だったか。廃炉の費用を考慮したら、明らかに陰謀集団と言われても仕方がないのが、原発族である。誤解してもらいたくない。僕は、原発再稼働の賛成派である。廃炉の費用を蓄積するためである。

世界のうちでも、石炭火力の完全燃焼の技術は、日本にしかない。石炭の液化、微細噴流化の技術は、富山にはある。そこへ、酸素を吹き込む溶鉱炉の技術を使えば、石炭火力でも、原発に近い自在の燃焼制御ができる。富山人が自己開発した技術ではない。

富山人といわれて、富山人だと居直るのは良くない。それは「縮む」という心理的な防御姿勢に過ぎない。素晴らしい「富山人」とは、江戸時代からの売薬さんの市場開拓の精神である。進んで異郷に市場を求め、先用後利、あれば邪魔にならないから置かせてください、という配置薬の精神は、まったく不二越になかったのか?それは、ある時期まで存在した。

どこかで、豊かさを得て、「縮む」現象が常態化した。IT技術をこなしきれないことが原因である。富山のインテックは、ITの成果の普及者である。そもそも、加賀は機械としてコンピューターを造れる技術集積がある。

富山の場合、物性物理学から量子力学への飛躍のプロセスにおいて、富山人の脳にある種の「縮み」が生まれたのではないか。わずか25年、特に中沖県政の時代に、なんらかの脳梗塞が生じていたのではないだろうか?

 


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歴史研究者の使命から、不二越の<社内ガン>は理解できる

2017年07月16日 | Weblog

僕は歴史研究者である。歴史家だと、司馬遼太郎には勝てない。ただ、司馬遼太郎が取材し、教えを請うた歴史研究者が存在した。複数の歴史研究者が存在する。僕は、学者としては三流である。ただ、直観だけは、若い時から一流といわれる。東芝を酷い企業だと早期に見破ったのは、15年も前。神戸学院大学の教授の時代である。当時の西田社長の講演を聞き、みごとに東芝の三流性と、その崩壊を予知した。富山では、北陸経済研究所でアルバイト待遇の調査のなかで、不二越の社内のガンが、富山人の心性にあることを見抜いていた。だから、富山大学経済学部・工学部への寄付講義では、最初から、不二越は対象外に評価している。エンジニアの知の起爆力が弱いからである。

評価法は、簡単である。「プロの眼」の眼力に聞くことである。建築・土木では、朝日建設の林和夫社長、設備工事では、アリタの在田吉保社長、その御推薦でアルスホームの原野省三社長、トンボ飲料の翠田章夫社長、それと北陸コカ・コーラの稲垣晴彦社長、スギノマシーンの杉野太加良社長である。地域金融では、高岡信金の清水康雄常務理事。今年から、インテック、富山第一銀行、朝日印刷さんのご協力をお願いした。

それ以上に、北国新聞(富山新聞)を重視している。こうした経営評論は、普通の歴史書では消される世界である。しかし、企業による地域貢献(雇用、納税、調達)を考えると、企業がになう市場経済原理の波及効果の外側に歴史像を構築することはできない。

20世紀に、これがきちんと頭に入っていた偉人は、アジアでは孫文と渋沢栄一である。その基礎教養は、孔子の儒学にある。富山人は、気がつかない。仕事を肉体労働と考え、頭脳労働を空想の遊戯と思う生活習慣が身についている。知識量はあるが、思考の方法論がない。不二越の会長の不見識を非難する前に、内省することだ。それが、孔子の流儀だ。最初から自己を肯定していたのでは、伸びる余地を自分で摘み取ることになる。今後、不二越への経営評論は、見切りから「中立」に引き上げる。少しは、気が付いたからだ。


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崩壊した旧制の七帝国大学の信仰

2017年07月16日 | Weblog

最新のデータでは、国際級として評価を保ちうるのは、東京大学、京都大学、東北大学の3大学、これに一橋大学、大阪大学、以下省略、というう階層の差異が生まれた。北海道大学、名古屋大学、九州大学が周回落ち。

人文、社会、自然の3分野の分けると、人文は京都大学、社会は一橋大学、自然は東大、東北、京大という順に並ぶようだ。なぜ、このような地盤の変化が起きたのか。それは、企業からの寄付講座、客員教授の派遣、それに伴う研究費の企業からの導入を「変数」として評価するからである。富山マネジメント・アカデミーは、このような市場原理による大学評価の変動は、極めて好ましいものと考えている。

21世紀は、ドラッカーの説く「ナレッジ・ワーカー」の時代である。資本はカネではなく、知財という無形の動産の形をとり始めたからである。

富山県の教育界は、高校再編ではなく、中学高校の一貫制に全面転換するべきである。東京大学、京都大学、東北大学の3大学、これに一橋大学、大阪大学の5大学への教育資源の集中を図る先読みがいる。それと、県内大学では、これら5大学の大学院の入試に突破できるように特進コースを設けるべきである。なぜか、国際先端のリンクした5大学の外では、22世紀がのぞけないからである。そこだけ、22世紀の人類の卵が生まれているからである。


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加越同舟は、富山人の基本

2017年07月16日 | Weblog

加は、加賀である。越は、越中である。これに能登を加え、加越能という。明治維新のにち、廃藩置県により石川県という形で、加越能が行政統合される。しかし、明治維新により江戸が東京となり、東京の大繁盛がおこり、加越能の社会経済の縮小には、歯止めがかからなかった。それで、越中国の独立が叫ばれ、明治16年に富山県がうまれ、越中国は富山県に一元化、加賀能登は石川県となった。

富山人が犯してならないのは、加越同舟の思想である。金沢側が本気をだせば、加越能「道州」を加速させる。富山県は、分県の身分である。この分を忘れると「礼」に反する。富山県の加賀能登に対する優位は、水力発電の優位性・効率性に起因している。電気は送電線が伸びると、コストが上がる。この発電所と、電気の消費地との近接が富山県の優位を導きだした。

しかし、IT革命により、電気から電子の時代へと科学の進化がおこり、この面で、富山県人は、石川県人の大きく遅れることになった。さらに、産学協同の時代になり、富山県人は、県立大学、県内私学、さらに、国立富山大学の「経営」に大失敗した。原因は、富山県の出身者ということにこだわり、学者としても3流の人材が。大学学長の地位を楽しんだ。加賀人は、文部科学省の文教族に政界基盤を構築し、県下の全ての大学の繁栄を導いた。そのため、青年層の人口流出は、富山県ほど激しくない。

実は、越中はIT革命、この40年のなかで、加賀に惨敗を続けている。加賀は、世界最速の電子計算機を製造、関連機器も県内で作れる。超重大のバカの象徴が「不二越」だった。工業高校の卒という水準に止まり、産業人としての基礎知識は、加賀と大きく差がついた。

現在、富山県の官庁、地方自治体では、常態として「多変量解析」による経営指針の論理化に至っていない。小学校6年から中3の統計知識に止まっている。特に激しいのが、富山県庁の統計の没落である。ITのシステム化への対応を誤った。

総じて、北電、北銀のなかでも、富山人は光らない。ごね得の越中強盗といわれる「ばんどり騒動」を是とする負の遺産が克服しきれていない。


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