文化の力が地域起こしになる、と信じるのも、一種の宗教である。この場合、文化とは、すでに「規範文化」に分類される。演劇も「規範文化」の典型である。文化には、「規範文化」とよばれる「規範(ノルム)」と、生活文化の自然な姿で生まれるライフ・スタイルとの2類型がある。後者は、日本の大衆社会の根付いており、服装の流行、食べ物の嗜好変化に現れる。このような人たちは、新しい生活文化の価値を探る。したがって、マネジメント学とは相性はよい。文化は市場性のある無形価値である。顧客価値の創造といわれる大事な部分である。
ところが、僕もそうであるが、「論語」というような「規範文化」に従事していると、時代変化を無視する鈍感力が必要になる。ただ、僕の場合、妻や娘に学ぶことが多い。彼女たちのほうが、市場型経済原理にそくして行動しているからだ。富山市域に限ると、ライト・カルチャーが既に根付き、自然体で首都圏との落差を埋めている。「規範文化」は、書道、和歌、舞踊など、いわゆる「文化」となると、時代変化を無視する鈍感力が求められる。
では、最先端はどこにあるのか?やはり、保守的であるが、「規範文化」が壁を破り、復古から新生への活力を見出したところに生まれる。孔子は、武士であった、というのは、復古革新の大きな事例である。鈍感力も大事だか、太古からの歪み、近世のねじれ、そうした原点に返って気づく思考と重ならないと、鈍感は愚鈍となる。愚鈍は、力にはならない。鈍感力は、「不易流行」といわれる力である。