富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

忘れられた国家指令型経済原理

2017年07月02日 | Weblog

TMA講師代表:私がオリジナルに提起した「3つの経済原理」が重なり合う「新しい公共」の原理は、すでに僅かな印刷物で活字にしてきた。「互恵型経済原理」は、あえて強調しなくとも、官僚は互いに助け合って、退官後の再就職先を探す。政治家は、政治資金規正法の抜け穴を互いの利益のために守る。新聞社は、新聞購読料を消費税の対象から外す。これに関しては、共産党、公明党も理解を示す。私立大学は、競争関係にあるのに、国庫補助金をえるために政治に圧力をかける。ありと、あらゆる分野で、互恵型経済原理は、非公開、秘匿された世界で横行している。ところが、肝心の地域住民が、相互の共助する伝統的な仕組みは、滅びつつある。TMAは、この共助という考えかたから、マネジメント学を共助できる仕組みを考え、富山大学に寄付講義を行うなどの活動をしている。NPO法人の多くも、非営利組織である。だから、互恵型経済原理は、表裏、功罪があるが、日本の社会を支える重要なキーワードである。

問題は、国家指令型経済原理の役割としての公共性が忘れられ、同業団体などの排他的な互恵型経済原理に浸食されていることである。国家には、国家としての生命がある。昭和期の日本は、国家指令型原理への一元化により戦争遂行にのめりこみ、その反動として、戦争遂行能力を皆無にする憲法を採用し、体制化した。これを解釈改憲という知恵でのり切ってきたが、その微妙なバランスを構築してきたのが、国家官僚である。言い換えると、東京大学法学部への入学者選抜である。また、卒業判定よりも先にある国家試験により授与される官僚資格試験である。

ところが、東大法学部という駒の軸心がずれてきた。ヘーゲルの「法哲学」を原理とする、国家という価値に無限の奉仕を信条とする原理が崩れてきた。「国家学雑誌」という理論誌は、国際的には何の価値もない雑誌であるが、国家指令型経済原理が、戦後復興期では機能しながら、ある時点から、脱昭和という現象が生まれた。このままでは、日本国は、中国からも、アメリカからも、イスラム圏から、ロシアからも、ヨーロッパからの使い勝手の良い生活便宜品のサプライヤーのままで縮小することになる。これを加速しているのが、理工系の「モノづくり」哲学である。


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