プライバシーの整備。それがなければ、恋愛感情が生じても、恋愛関係は不可能である。例えば、島田療育園は最初から個室はなかった。身障室も男女には区切られていたが、相撲部屋のようにプライバシー空間はなかった。
もっとも、1960年代の日本の各家庭・社会も同じだった。今のドラエモンのアニメに出てくるような子供部屋は少なく、夜も家族全員で寝るのが当たり前だった。住宅事情のため、仕方なかったと思うが、プライバシーの発想は育ちにくかった。それで育った学生ボランティアや身障運動家が他人のプライバシーを軽視した事をしてトラブルにもしばしばなったし、やはりプライバシーのないオウム真理教の生活にもつながっていたのかもしれない。社会全体がプライバシーの観念が弱ければ、島田療育園もそうなった。仕方なかったかもしれない。77年の僕はそこについて「性の観念が欠落している」と発言した覚えがあるし、後続で行った身障運動家たちも同じ見方をしたが、プライバシーがなければ、性も恋愛もないのである。
因みに、いつの間にか、日本でもプライバシー尊重。お役所でさえもそうしているし、高齢・身障の施設も個室が完備。一つには、携帯電話の普及もあろう。例え親子で一緒に寝る世帯でも、携帯電話は一人一人持つわけだから、自然にプライバシーも尊重されるようになり、社会も変わると。
夢だが、個室完備の島田療育園ならば、恋愛展開も変わったし、各人の好きな異性も変わり、僕には想像不可能な世界になったと思われる。各人、恋愛はうまくいき、話し相手は異性の方が楽しいわけだから、僕はそこへは一回しか行けず、小説は書いていないかもしれない。
もっとも、1960年代の日本の各家庭・社会も同じだった。今のドラエモンのアニメに出てくるような子供部屋は少なく、夜も家族全員で寝るのが当たり前だった。住宅事情のため、仕方なかったと思うが、プライバシーの発想は育ちにくかった。それで育った学生ボランティアや身障運動家が他人のプライバシーを軽視した事をしてトラブルにもしばしばなったし、やはりプライバシーのないオウム真理教の生活にもつながっていたのかもしれない。社会全体がプライバシーの観念が弱ければ、島田療育園もそうなった。仕方なかったかもしれない。77年の僕はそこについて「性の観念が欠落している」と発言した覚えがあるし、後続で行った身障運動家たちも同じ見方をしたが、プライバシーがなければ、性も恋愛もないのである。
因みに、いつの間にか、日本でもプライバシー尊重。お役所でさえもそうしているし、高齢・身障の施設も個室が完備。一つには、携帯電話の普及もあろう。例え親子で一緒に寝る世帯でも、携帯電話は一人一人持つわけだから、自然にプライバシーも尊重されるようになり、社会も変わると。
夢だが、個室完備の島田療育園ならば、恋愛展開も変わったし、各人の好きな異性も変わり、僕には想像不可能な世界になったと思われる。各人、恋愛はうまくいき、話し相手は異性の方が楽しいわけだから、僕はそこへは一回しか行けず、小説は書いていないかもしれない。