トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

 恋愛関係の前提

2021-09-14 15:59:39 | 日記
   プライバシーの整備。それがなければ、恋愛感情が生じても、恋愛関係は不可能である。例えば、島田療育園は最初から個室はなかった。身障室も男女には区切られていたが、相撲部屋のようにプライバシー空間はなかった。

  もっとも、1960年代の日本の各家庭・社会も同じだった。今のドラエモンのアニメに出てくるような子供部屋は少なく、夜も家族全員で寝るのが当たり前だった。住宅事情のため、仕方なかったと思うが、プライバシーの発想は育ちにくかった。それで育った学生ボランティアや身障運動家が他人のプライバシーを軽視した事をしてトラブルにもしばしばなったし、やはりプライバシーのないオウム真理教の生活にもつながっていたのかもしれない。社会全体がプライバシーの観念が弱ければ、島田療育園もそうなった。仕方なかったかもしれない。77年の僕はそこについて「性の観念が欠落している」と発言した覚えがあるし、後続で行った身障運動家たちも同じ見方をしたが、プライバシーがなければ、性も恋愛もないのである。

  因みに、いつの間にか、日本でもプライバシー尊重。お役所でさえもそうしているし、高齢・身障の施設も個室が完備。一つには、携帯電話の普及もあろう。例え親子で一緒に寝る世帯でも、携帯電話は一人一人持つわけだから、自然にプライバシーも尊重されるようになり、社会も変わると。

  夢だが、個室完備の島田療育園ならば、恋愛展開も変わったし、各人の好きな異性も変わり、僕には想像不可能な世界になったと思われる。各人、恋愛はうまくいき、話し相手は異性の方が楽しいわけだから、僕はそこへは一回しか行けず、小説は書いていないかもしれない。

今回のオリンピックなどで思った事と、子供向け随筆

2021-09-13 11:17:34 | 日記
  コロナで無観客になったオリンピック、パラリンピックだが、無事に終わりました。

  一番僕が印象的だったのは、パラリンピック最終日の盲人伴走マラソン。金メダル組でさえ、3時間。

4時間走った組もあったでしょう。世界一御苦労な競技かもしれません。

  見た後、普通の人が3時間走れば大変な事になる事に気が付きました。心臓マヒか、足の筋肉損傷で。でも、他の全競技も同じであるわけです。危険でないのは、脳性まひ用のボッチャだけ。体操は特に危険。一方、いつの時代でも、子供たちはテレビや大人の真似します。それゆえ、真似したら危ないと思い、そのように書いた訳です。

  「孟母三遷」の例え通り、子供の真似は太古からあるようですね。小学時代の僕や同級生たちもそうでした。誰でも経験がありましょう。

  随筆につながったため、今回も見て良かったわけです。また、感動だけがオリンピック、パラリンピックでもないかもしれません。今回は医学面にも想いを馳せました。

子供向け随筆

2021-09-11 16:29:07 | 日記
 佐久のみなさんへ.  2021年9月        

 オリンピック、パラリンピックは終わりましたね。ぼくもテレビで見ていました。その話をします。
 オリンピックは体そうと新体そう、空手、ソフトボール、野球、リレーがとくに心にのこっています。
 体そうはつりかわやあん馬など、いろいろなものがありますね。つりかわは高い所にのぼる。選手たちはこわくないのかといつも思います。落ちる選手もいた。あぶないですから、みなさんもまねしないで下さいね。選手たちは毎日れんしゅうして、落ちないコツをつかんでいるわけです。
 新体そうはきれいです。ぼくには何かの芸術(げいじゅつ)に見えるわけです。点数を付けるのがもったいないだけ、全部の選手が美しく見えます。その決勝戦は録画(ろくが)してあり、まだ見ていません。これから見るわけですね。

 パラリンピックは、バスケットや車いすラグビーなど、ボール競技を多く見ました。目が不自由な人たちの、ゴールボールというものもありました。終わりの日のマラソン。とくに、目が不自由な人と助ける人がいっしょに走るマラソンがいんしょう的でした。金メダルの組でさえ、タイムは3時間。みなさんや保育士の先生たちが3時間走れば、体をこわし、大変なことになりますね。それを選手と助ける人たちはした。4時間走った組もあるわけです。みなさんもまねしないで下さいね。
 最後に、みなメダルを取った選手に目を向けますが、名前はおぼえられなくても、おそくゴールしたり、負けたチーム、ケガなどで早くやめた選手もいたことを思い出し、心で拍手して下さい。そのような選手やチームはテレビに余りうつりませんが、一生けんめいがんばったわけですから。僕の小学3年の時も東京オリンピックがありましたが、その時のぼくの先生はテレビを見ながら、すべての国の選手に拍手して「日本だけでなく、全部の国の選手をおうえんしましょう」と言った事を思いだします。そのとおりですね。

経済

2021-09-10 17:14:03 | 日記
  「経世済民」が東アジアの経済の言葉の語源だと高校時代、先生に教えられました。「王様などの為政者が民に生きられるだけの食を与えて救う」と意味も教えてくれた。世界共通でしょう。
  経済=食。でも、いつの間にか、経済=お金になっている。世界中。そこが僕には不思議でなりません。「わからない」以上、全然僕には書けませんが。札束も、コインも、金塊もそのまま食べられませんね。
  ただし、経済=お金になり、経済は勿論、政治も、社会も教育も、宗教も、恋愛や結婚も歪み、狂っていったかも知れませんね。お金だけを見ても経済も、社会も見えるかね。わからない。

島田療育園訪問関係

2021-09-07 16:45:25 | 日記
「島田の事を伝えろ」。職員や身障園生の頼みは本当は簡単で楽なもの。ムリは言っていないわけだ。それに従い、小説書けた=僕独特の仕事も持てた。教えられた「関わり合い」からは恋愛もできそう。良いことづくめである。
 40年前に行った僕、ボランティアたち、身障運動家たちと、いずれもしんどく感じ、中には月に数万字の記事を書き、肺炎になり、28歳の若さで他界された身障運動家もいた。
  どうやら訪問者全員に「職員も、身障園生も結婚できなくてかわいそう」と言う気持ちがあり、それで考え込み、しんどく感じたようだ。それしかないね。職員だが、結婚すると仕事は続けられないからね。男女共。寝たきりの身障園生の結婚はだれも考えられなかったし。戦後昭和だった当時、恋愛=結婚=マイホーム作り=幸福という観念が日本に定着していたからね。それだと。その観念が消えた今の僕が当時の島田に行けば、身障園生・職員と、まず彼らでも恋愛できる方法を考え、更に「結婚とは何だろう。僕も判らないが、マイホーム作りではないだろう。一緒に考え、お互いに好きなだけ恋愛しよう」と言うね。当時のマイホーム意識が問題だったかもしれない。
  2017年早春。カトリックの友人に「君の島田行きは良かった面があっただろう」とメールか葉書で言われ、長年の心のもやもやが晴れ、島田を小説に書くことを決め、5月に書き始めた経緯があります。その友人にも深く感謝しているわけです。