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コスモス恋愛

2018-10-22 14:17:12 | 日記
   中高年にふさわしい恋愛の事である。無論、個人差はあるが、独身を続けても、大体、40歳を過ぎるとどんなに魅力を感じる異性と出会っても、若い時とは違って、感情的に熱くはなれない例が多いようである。僕もそうだし、男女の別なく、多くの独身を続けている人たちも証言している。ラジオでもそのような話を聞いた覚えもある。


   でも、僕は最近思ったのだが、恋愛は歌謡曲に歌われているような熱く、激しいものだと誰が決めたのか。それも恋愛には違いないが、異性の気を感じて触れ合い、静かに「君はいいなあ」と思う恋愛もあって良いのではないかと。丁度、秋に静かに咲くコスモスのように。

   ここ10年間、僕はミクシーなどで多くの独身・再独身女性と出会い、やり取りもしてきた。中には、文通にまで進んだ例も。中には仕事一辺倒の例もあるが、女性たちも40代になると結婚に焦るようである。「相手が身障者でも良いから、結婚したい。独身のままでは寂しい」と手紙などで訴えていた女性も複数いた。それで僕もメールや手紙のやりとりを多くの女性たちとしてきたが、全く結婚縁はできなかった。戦前はイエ制度の思想の下、結婚した例が多かったが、戦後はどうも恋愛感情が男女をつなぐらしい。結婚縁ができない理由について、少し前までは僕は「メールの限界。相手の姿が見えないから」だと思っていた。だから、恋愛感情も湧かず、御縁にもならないと。でも、違ったようだ。例え会えなくても、写真交換すれば、それに近いものが補える。実際は、僕も、出会った全女性も「恋愛は熱く、激しいもの」と思い込んでいたわけで、すでに中年期に入り、そのような気持ちがどうしても出なくなったから、相手の事を良いなあと思っても、それを恋愛の卵だとは気が付かなかった点にあったわけだ。気が付かなければ、何もできない。高校時代に読んだ数学者の岡潔氏の随筆集によると、「情緒とは何気なく、よいなあと思う事」だそうだ。ならば、むしろ、情緒性に根差す高度な恋愛の可能性に僕もこれまで幾度も出会ってきたが、以上のも固定観念があり、チャンスを逃してきたようである。コスモス恋愛が本当に可能ならば、気が付いて良かったと思う。

   因みに、40歳過ぎると、異性に熱くなれない理由だが、2つあると思う。一つは、性欲みたいなものの減退。体力も次第に衰えていく以上はそれは当然である。2つ目はもっと大きいはず。

   人生経験を重ねて、他人に余り期待しなくなるわけである。従って、異性にも、恋愛にも余り期待しなくなる。そうならば、熱くなれない。若い時の特に異性への期待感は、相手が私の心の支え・救世主になってくれるという幻想にも似た想いから来ているようである。でも、経験を積むと、自分の力の限界をまず悟り、次いで他人の限界も悟る。自分が他人の救世主になれないのならば、異性も私の救世主にはなれないと悟るわけである。それは当然にしろ、本当はそこから男女縁も始まってくるわけである。弱い男女が相手を深く思いやるという形で。弱さにこそ、人間の真の魅力はあるわけだから。

  長い独身例も日本では特に増えているが、考える材料になれば良いと思う。(尚、先のブログでも書いた通り、高齢者でも若者のように相手に強く期待して求め合う恋愛も増えているようです。人生経験にもよるし、ケース・バイ・ケースである事も付け加えます)

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