トシコロのありのままの暮らし


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 人は同居を嫌う面があるようですね

2022-09-16 13:04:04 | 日記
     近年の日本では、親子殺人が増えている。ただし、その親は高齢者、子は中年の例が多い。前者は言うまでもなく、今の長寿化の為であり、後者は非婚化や離婚増の為である。親の家にいるか、戻らざるを得なくなったためである。乳幼児の時とは違い、子供も親に育児をしてもらう必要はないし、自我も明確になっているわけである。仕事で外に出る時以外、親子はいつも一緒にいる。誰でも一人になり、考え事をしたり、手紙やメールを書きたい時もあるが、それはできない。何かの理由で期限が悪い時もそうである。しかも、日本特有の狭い住宅のため、親子が別室にいて、それぞれやりたいことをすることも難しい。ならば、どんなに愛の絆が強くても、行き詰まることが容易に想像つく。夫婦は飽きれば離婚できるが、親子は離婚できない。勘当があっても、親子は親子である。非常に煩わしいわけである。そこに経済事情とか、見たいTV番組の取り合いなどの何かのきっかけで暴力を伴うケンカになり、殺し合うようになることは十分想像が付く。殺傷があってもなくても、地獄の心理状況である。無論、常に不和を抱えている・離婚に至る夫婦にも言えるし、同居すれば、兄弟姉妹や友人もそうなるわけである。

  以上から僕は個室がなかった昔の施設やハンセン氏病療養所も連想する。まったく同じだから。島田療育園の身障園生たちも煩わしさを訴えていたし、個室前のハンセン氏病療養所も「煩わしさ」を元患者さんは語っていた。また、80年ごろに少し文通した都内のある身障施設の男の園生も同じで、さらに彼は「友人」という言葉を嫌った。何が友人かはともかく、常に園生との同居を強いられていたら、そのような気持ちにもなると思う。当時の僕も彼の気持ちはよく分かった。また、昔の僕も含めて、かつて多くの在宅身障者たちが施設を嫌い、反施設運動さえあった一番の理由もこんなことだったようだ。経験しなくても、人間は今とは違う状況に置かれた時の事を想像できる能力もあるから。2番目は、やはり、当時の状況として、施設では恋愛が禁止されていたことだろう。そのような施設を経験した身障女性の手記文も読んだことがあるが。

  個室ない施設の事は過去かもしれないが、題のような心理が人間にはあるようだし、今も個室化が遅れている知的障碍者施設や精神病院、刑務所の人権はどうなのか。また、その最たる例である各国軍隊は。今はウクライナ戦争だが、以上は戦争の問題まで絡む根の深い面がありそうだと。...。

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