音消えて想う事あり盆の波
浜施餓鬼児の持つ花火に浄土観る
爺に付き踊るわらべの鼻に汗
故郷は墓地となりけり墓参り
盆帰り駆け抜けるだけ供えだけ
台風18号通過直後、気になって水見回りをした。案の定、懸念場所は氾濫原となっていた。
小生等の活動圏でないものの、直下下流域の泥水地に影響するので、頼み込んで浸食溝を埋め戻し棚田を再生し流路の整備をした棚である。適期の畦塗り、草刈り、水路の手入れ、氾濫防止の分水等の折々の状況に合わせた管理が実施されないから気になっている部分なのだ。
今回の氾濫、越流はその結果でもあるのだが、承知していても手入れが出来ないのは何とももどかしく精神衛生にも悪い。必要な手立てが出来ないなら手放して欲しいのだけれど、これは小生の独りよがりで同類になる…。
とは言え、苦労して再生した部分が崩れていくのを眺めているのは楽しくない。いつの世も既得権にかかわる課題は悩ましい。
二つのイ国異分子断罪不寛容殺戮容認排他主義
浄化こそイ国を建てる主柱なり民族浄化信仰浄化
侵略と殺戮マフィアに特化して生命軽視求心暴力
免罪符罪なき民を流謫さす列強武力新生暴力
ゾンビ的二つのイ国腹違い素性は双子血染めのロード
殺戮がそこにあるから僕は行く夢も現もバーチャル育ち
18号一過、水見回りで泥水地と先日送水を復旧させた吐出口を確認に行く。泥水地は既にアップの通りであるが、吐水口からは茶色い水が垂れているだけだった。先日の豪雨の時と同じく、土砂で取水路が埋まったと判断し、本日は早めの御出勤で道具を担いで現地に出向いた。
もう「開けてびっくり玉手箱」である。取水路、取水升の間、左右三カ所で崩落しているではないか。
写真左側中央程に取水升があり、河床に「くの字」に見えるのが取水路の擁壁である。右半分、河床と笹薮の間に埋もれているのが導水管で、押し出され河床の上に浮き上がっている。右側上流部の誘水路も土砂崩れで崩壊した。
これではスコップと鍬で復旧出来る状態では無く、県の担当部署に報告とお願いをし小生の出番は無くなった。当然、速やかな復旧は見込めないから、この冬は水が無い水辺で終わりそうだ。残念なのは繁殖まで回復したドジョウが失われる事、トンボ類の被害は量りきれない。拡幅しておいた絞り水頼りの沈泥池は緊急避難用に利用できるが、捕獲できるかどうかが怪しい…。
台風一過、トンボ池と泥水地の水見回りをする。トンボ池は流入が塩ビ管の通水量で制限されるので越流寸前で持ちこたえている。第二トンボ池は僅かな越流痕跡が見られたが排水口の改良で収まるだろう。ここは収支バランスだけで良い。
問題は泥水地なのである。写真左端、泥水池3から4への水路だが丸太橋で越流した。この丸太橋の基部を猪が掘り起こしていた結果である。写真中央、取水路と泥水池3の間の堤も猪が削り取った跡で越流。
写真右、泥水池3と4の間の堤も越流した。ここも度重なる猪の掘り起こしの結果の越流である。堤や畦の盛り土は用土がない事と独り作業なので十分な土台を用意するのは難しい。猪が悪さをしなければ今回の出水でも大丈夫だったのに、思わぬ伏兵にやられた思いである。時間雨量100mm近くを記録したにもかかわらず、度重なる改善の結果が功を奏したが猪だけはお手上げだ!
今回の台風18号、強い勢力のままで上陸の予報だったから出水が気になっていた。フイールドは風雨が止んでから巡視に出るが、家の横手の河川が住み始めて最大水位になった。
テレビの河川情報で注視していたのだが、朝の数時間で2mも水位が急上昇し「氾濫危険水位」になってしまった。初めての事なので記録しておこうと小雨になったのを見計らい覗いて見た。上流側の土砂堰から上は堤防の上まで浸している状態で、下流側は川幅があるから多少の余裕がある様子だった。
帰路、びっくりしたのは堤防上の水溜りにアブラハヤがいた事、この地点は水面まで1m以上あったから上流部から流れてきたのだろうか…。ともかく峠は越えたようでホッとした。フイールドの状態は、ここより悪いだろうなあ。
トンボ池と並んだ食草園の一角、猪の掘り返しが酷く草も茂らせない。もともとは棚田で湿り気があるからミミズでも掘り取っているのだろう。狼藉放題では悔しいので「第二トンボ池」として水辺に替える事にした。「もう土堀りはこりごり」と思いつつも「そこに場所がある」…。猪に掘り侵されるのが嫌なら自ら掘らねばならない現実とはなんだろう。
周辺から護岸用の丸太を曳き集めて作業開始である。既存の排水路を壊すわけにもいかぬので、歩道に落ちた斜面の土で仮の堤を築き基盤に漏水がないか確認。漏水が認められなかったから排水路の畔を新設の堤に移し原型が定まった。
あとは落ち口を処理し、何回かに分けて堤を胴突きとたたき板で締めて終了する。満水位も確認し赤飯ものと思えたが、旧来のトンボ池よりアカトンボの産卵個体が多いのはなんでだろう。木陰と枯草などの浮遊物が多いためだろうか…。
上の写真、左は全く見当がつかなかった。やや小ぶりの地味な個体。真ん中と右は翅端に黒褐色斑がみられるから同種と思ったが、小生のフイールドにいる黒褐色斑のあるトンボとは同じに見えない。体の色合いから異なるがノシメだろうか。
左はオツネントンボ、これが見たくて草原を探した。オヒシバだかメヒシバの中にいるとまったく見えない。中はアキアカネ?、右はナツアカネか?。携帯の電源が切れそうで多くを撮影できなかったが、狭い範囲にこれ以上いた。
日当りのよい日中は数多く見られたのに日陰になったらまったく姿を隠してしまった。これは当たり前だろうが、R142を走行中、視野は連結飛行のトンボばかりだった。ウスバキトンボと思われるが単独飛行の個体はついに見かけず、これには驚いた。
手伝い?があって1年ぶりに中山道望月宿まで出かけた。出発日、年甲斐もなく午前三時に目覚めてしまった。少々、いそいそとなるのは当地で見られない動植物を目の当たりに出来るからでもあるが、普段には縁遠い風景も楽しみの一つなのだ。
2日間の走行距離は約440㎞、最高高度は麦草峠の二千何mだ。黄葉が美しいと聞き回り道したのだが佐久側は素晴らしかったが諏訪側は針葉樹が多く楽しめなかった。
そんな往来の風景は非日常の世界でもあるけれど、車を止めて眺めるのはたいていが農作業の風景なのである。早朝のレタス収穫、秋の陽のもとでの稲刈り、紅葉もいいが完熟した稲田の黄金色やレタス畑の緑色は一段と目に染みる。生まれや育ちは、この年になっても無縁ではない。