トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のエッ!品「越後一会の山菜・三菜・賛菜」

2023-05-02 | 何よりの楽しみ
 「その季のものはその季だけ」とも言うべきものは旬毎の山菜であろう。改良された農作物とは異なり野性味とでもいうか苦みや渋み、はてまた蘞みまで味わえる。高級品やグルメとは異なる範疇であっても好いたお人には「痘痕もえくぼ」「おならも芳香」なのである。
 次兄が送ってくれた魚沼の春、山菜は木の芽とヤマウドだ。これにネマガリタケのタケノコがあれば山産の人気皿となる予定だったもののネマガリタケの採集を次兄に求めるのは遭難を要請するに等しくなったからわがままは言えない。ネマガリタケの代用で孟宗竹を添えたけれど妄想でお膳に向えばそれなりに恰好はつくのだった。
 同じタケノコでもネマガリタケは孟宗竹と異なり風味豊かで香ばしいし孟宗竹は大味に感じる。

 さて、妄想蘊蓄ははひとまず放置蘊蓄林とし夕食の副食にひと手間掛けてみた。もちろん「山菜尽くし」である。皿の上には木の芽の酢味噌まぶしとヤマウドの葉を捨てずに茹でてマヨーネーズで食べる。ウドの本体はピクルスにして食べる事にしたのだ。普通なら薄皮を削いで白い部分を調理するのだろうが小生は洗っただけで全草を腹に納めるのである。
 冷蔵庫に塩漬けの食用菊が残っていたので戻してから三杯酢仕立てにした。これが平皿の食材で小鉢はこれも郷里の車麩にタケノコを合わせて煮含めたものだ。ご飯は実家の田んぼで収穫した魚沼コシヒカリであるけれど、既に長兄は米作りから手を退いて貸し出した田んぼになっている結果「自作米とは異なり美味しさは減った」との事だ。

 小生が郷里に居た当時、地味が良くておいしい米の採れる田圃から収穫した分は自家消費に回していた。当時は農協が一手に供出米として扱っていたから検査は「見た目」だけで「美味しさ」は判定外、価格には反映しなかったと言う事情でそうなったのだろう。現在と言えばデジタル検査で米一粒ごとの吸汁された黒点すら判別し選別する程、自動化されているのだとか…。
 まあ、それはともかく久しぶりの郷土食となったのだ。汁椀まで添えなかったのは車麩の煮汁が薄味仕立てだったし山採りの茶葉をフライパンで軽く乾煎りし鉄瓶で沸騰させた新茶を用意したので味噌汁は無し。汁物は無い夕食とは言え十分な水分は頂いたのだった。「越後(の)一会」はまた来季まで・・・。

 自分で調理し自分で言うのも何なのだが今時、郷里でさえこのような副食でご飯を食する人なんて居ないのだろうね。この境遇、喜ぶべきなのか悲しむべきなのかトントントンカラリと耄碌夢中であるけれど微小年金高齢者は「生きている」だけでも可とせねばいかん!。死んでは野草さえ口に出来んわい。

        


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