トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日は格別多かった

2024-08-11 | 小人閑居して憮然

 暑い盛りともなるとフイールドに到着すればアブが群れて来る。まずは温まったタイヤとボデイに取りつくのだが油断していると露出している肌に止まり吸血しようとする。作業中にまとわりつかれるとしつこくて作業にならないので、まずは到着時に集合して来るアブを捕獲して処理するのがお約束みたいなもんである。

 折々に書き込んでいた事なのだがアブの処理は翅をむしりポイ捨てにする。これは農耕牛に群がるアブやサシバエの処理をする父に学んだ方法なのだ。小生の子ども時代、農耕牛は家族の一員と同じと言うより生活の糧を生んでくれる財産でもあった訳で、その家畜を吸血するなど許される事ではない、「月に代わってお仕置き必定よ!」が父の意識だったのだろう。蠅叩きで飛べない程度に叩き落とし翅をむしりポイ捨てし、後は蟻さんの食料にでもなれば良い、てなもんや三度笠だったのだ。

 そんな事でアブの処理は同じようにしていたのだがこの日は数が多すぎて悠長なやり方を取っていれば逃がしてしまう。そこで網に入った段階で軽く潰し飛べない様にして次々と捕獲した。全て撮り尽した訳でも無いが「後の御愉しみ」として御目こぼし。捕獲したのは蟻さんの巣穴近くにポイ捨てして一件落着である。12匹の中にアカダニがついていたのがいたけれどセミやバッタ、トンボなどにもよく見られるアカダニだ。人間を吸血するかどうかまでは知らないけれど吸血被害はアブの方が大きいから「敵の敵は味方」の論理で潰さず付着させたままでポイ捨てである。こんな行動を書き込むと動物保護団体から文句が出そうだけれど、意見など多様なもんだし当事者で無ければ分からない事情もあるのだ。ちなみにアカダニ君は左下の一匹、後ろ脚に見える。

     


四回目のオオカナダモ抜去

2024-08-11 | 水辺環境の保全

 オオカナダモの抜去は正確には五回目なのだが前回8月3日は水見回りしたついでにゴム長で立ち入る事の出来る範囲だけだったから胴長を装着して本気の抜去は四回目なのである。三回目は7月26日でこの日は8月9日だから二週間目にして抜去しなければならないほど成長をしている、と言う事になろう。この晴天・暑さだし水深も浅くなった大池では光合成も進むのだろう。目に見える程の繁殖・成長ぶりなのだ。熱中症警戒アラート出ずっぱりの今日日、胴長の蒸れを敢て身に処すなんて馬鹿げていると思わぬ訳でも無いのだが「手が付けられない状態」にならない様に抑制だけは続けなければ一季で上の池はオオカナダモで満たされてしまうだろう。まあ、勝ち目のない戦を孤軍奮闘しているだけの老後なのであった。

 早い話、「侵略と抵抗」のせめぎ合いであるけれど侵略側に信義は無く抵抗する側には戦力も無いのは歴史の現す処であって弱者の被害だけが増す。そして千年の怨念が再生産されるのである。それは今なお鳴りやまぬ大陸各地の破壊と殺戮の焦土を見なくても自明の理であって、そこが自然災害の惨禍は子々孫々に残すことは望まず戦争の惨禍は遺伝子レベルにまで達してしまうようになるのだろう。そこには新たに生じる「約束の血」がたぎるだけだ。

 さて既に月初めには「抜去せねば!」と言う段階だったのだが思い切りが無いと胴長を装着できる暑さではないのだった。だが大和男は無言実行が生き様であるからして高温ななる前にと何時もより1時間早く出立した。ところが上の池に注ぐ吐水口からの水量がチョボ水になっているではないか。二日前と三日前にエンジンポンプで強制排砂したばかりなのに…と恨めしい。が、まずはオオカナダモの抜去を済ませねば、と池に入ったのだが一昼夜前の雷雨で濁っていてオオカナダモの位置が判明し難い。それでも全周囲を見渡しつつ水色に多少の陰りを認める箇所に行きつつ抜去を済ませた。前回は足浴バケツに満杯状態で、今回は3日の分と合わせて半分超位だ。こんな成長ぶりだと盆明けにもまた抜去に入らねばなるまい。

 自宅を出て吐水量を見るまでは「抜去を済ませて帰宅」の予定だったのにそうはいかず徒歩で尾根越えして取水地まで行った。ありゃりゃー、惨状だった。