人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ナワリヌイ氏の死去を受けて考える / 東京シティ・フィルから「2024-2025シーズン 定期演奏会」チケット届く、公開リハーサルの日程決まる

2024年02月19日 00時01分01秒 | 日記

19日(月)。昨日は東京藝大奏楽堂で「東京藝大チェンバーオーケストラ第42回定期演奏会」を聴く予定でしたが、腰痛が完治しないため聴くのを諦めました これで5回目です。今日も明日もコンサートがないので、11日間連続でコンサートなしの生活が続くことになります

 

     

 

行けなかったコンサートのチケットです🎫 メメシク記念にアップしておきます

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3323日目を迎え、米ニューヨーク州地裁は16日、トランプ前大統領の一族で運営するトランプ・オーガニゼーションが純資産を過大評価して不当に利益を得ていたとされる民事訴訟で不正を認定し、トランプ氏に3臆5000万ドル(約530臆円)の罰金を支払うよう命じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは4つの訴訟を抱えてる  罰金やら弁護士費用がいくらあれば足りるんだ?

 

         

 

昨日の朝日朝刊 国際面は次のように報道しています

「16日に死去したロシアの反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)の広報担当者は17日、ナワリヌイ氏の死因について、ロシア当局が『調査が終了し、犯罪は立証されなかった』と弁護団に伝えた、とXに投稿した    同氏の陣営は『証拠を消している』と批判しており、死因が明確にならない恐れが強まってきた ナワリヌイ氏の弁護士も同日、収監されていた北極圏の刑務所に到着した同氏の母親らが、死因は『突然死』だと告げられたと説明。指示された遺体安置所に向かったが、遺体はなかったという。陣営は『彼らは毎回ウソをつき、堂々巡りを繰り返し、証拠を消していく』と批判した

朝日の別の記事によると、ナワリヌイ氏の死を受けてバイデン米大統領が「驚きはないが激怒している 間違いなく死の責任はプーチンにある。いまウクライナで見られるように他国の市民を標的にするだけでなく、自国民にもひどい罪を犯している」と強く非難したーと報じています

私は、間違いなくナワリヌイ氏はプーチンの命令のもとで毒殺されたと確信しています その根拠は2022年6月20日に新宿ピカデリーで観たダニエル・ロアー監督による2022年製作アメリカ映画「ナワリヌイ」(98分)を観たからです この映画はプーチン政権によるナワリヌイ氏の暗殺未遂事件(2020年)と、ナワリヌイ氏が結成した少数精鋭の調査チームによる真相究明活動を追ったドキュメンタリーです 映画では、「もしあなたが逮捕され、投獄されたら、考えられないことが起きて殺されたら、ロシア国民にどんなメッセージを残しますか?」と質問されたナワリヌイ氏は、「私が殺された状況では、非常にシンプルだ。あきらめないで」と答え、「それが起こったなら、私たちの力が巨大なので、彼らは私を殺すと決めたということだ 迫害を受けている私たちが巨大な力なんだと覚えていてほしい」と答えています

ナワリヌイ氏の死去を受け、ロシア各地では市民が自発的にソ連時代の弾圧の慰霊碑などに献花したことが伝えられていますが、同時に「殺人」といったプラカードを持った市民や一部のジャーナリストが拘束されたと報道されています 再選確実と言われるプーチン暗黒政権はいつまで続くのか? 独立国家ウクライナへの暴力的・破壊的な侵略はいつ終わるのか? ロシア国内の言論弾圧と政敵の暗殺はいつまで続くのか

映画「ナワリヌイ」の概要と観た感想は2022年6月21日付toraブログに書きましたので、興味のある方はご覧ください

 

     

     

         

 

東京シティ・フィルから2024-2025シーズンの「定期演奏会」(全9回)と「ティアラこうとう定期演奏会」(全4回)のチケットが届きました

チケットを確認すると、10月3日(木)19時からの「定期演奏会」が「読響名曲シリーズ」と重なっているため、読響を他日公演に繰り替えることになります

これで在京オーケストラの4月から始まるシーズンのチケットがすべて手元に揃いました ①読響「定期演奏会」、②同「名曲シリーズ」、③新日フィル「サントリーシリーズ」、④同「クラシックへの扉シリーズ」、⑤都響「Bシリーズ」、⑥東響「定期演奏会」、⑦東京フィル「サントリー定期演奏会」、⑧東京シティ・フィル「定期演奏会」、⑨同「ティアラこうとう定期演奏会」の9シリーズです これに9月から新シーズンが始まる⑩N響「Aプログラム」、⑪N響「Bプログラム」、⑫新国立オペラが加わります

上記全12シリーズの会場のうち④トリフォニーホール、⑧オペラシティ、⑨ティアラこうとう、⑩NHKホール、⑫新国立劇場の5シリーズを除く7シリーズがサントリーホールです いかにサントリーホールが好きかということですね

 

     

     

     

 

「2024年度公開リハーサル」が以下の通り決定しました

第1回=6月28日(金):第371回定期演奏会のリハーサル(指揮:鈴木秀美)

第2回=9月20日(金):第78回ティアラこうとう定期演奏会のリハーサル(指揮:出口大地)

第3回=3月19日(水):第80回ティアラこうとう定期演奏会のリハーサル(指揮:高関健)

プレミアム公開リハーサル※=11月22日(金):第79回ティアラこうとう定期演奏会のリハーサル(指揮:藤岡幸夫)※ティアラ友の会、シティ・フィル会員等限定。

2024年度は何回リハーサルを聴けるだろうか

 

     

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024 」3日間のプログラム発表・チケット抽選販売受付開始 ~ テーマは「ORIGINES(オリジン)ー  すべてはここからはじまった」

2024年02月18日 06時45分38秒 | 日記

18日(日)。腰痛が完治しません。歩くとき腰に痛みを感じます 昨日は新日本フィル「すみだクラシックへの扉」第20回定期公演だったのですが、聴くのを諦めました これで今週4回目です。人間辛抱です

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3322日目を迎え、ロシアのぺスコフ大統領報道官は16日、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が収監先の刑務所で死亡したと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチン政権にはナワリヌイ氏暗殺未遂の過去がある 今度も間違いなく暗殺だろう

 

         

 

昨日、5月3日から5日まで東京国際フォーラムを中心に開かれる「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024 」のプログラムとチケット販売方法が公表されました

今年のLFJのテーマは「ORIGINES(オリジン)ー  すべてはここからはじまった」です 主宰者のルネ・マルタン氏は「今回は音楽のオリジン(起源、ルーツ)に立ち返る。世界のあらゆる作曲家たちをインスパイアしてきた様々な音楽の伝統にスポットライトを当てる」と語っています

3日間のプログラムは以下の通りです

 

     

     

     

 

プログラム全体を見渡してみると、趣旨が趣旨だけに世界各国の作曲家による種々雑多な音楽が取り上げられており、良く言えば「バラエティに富んでいる」、穿った見方をすれば「あまりにも統一感がなくバラバラ」な印象を受けます 個人的には、前年までのLFJのプログラムに比べ、魅力のある公演が少ないと感じます

「曲で選ぶか 演奏者で選ぶか」ということで言えば、今回に限っては演奏者で選びます 具体的には、ピアニストではLFJの顔的存在のアンヌ・ケフェレック、昔からのファン・萩原麻未、東響とのラフマニノフが良かったマリー・アンジュ・グッチの3人、指揮者では今年年末に指揮を引退する井上道義です

ケフェレックは5日(日)12時からホールCで「リサイタル」を、同日15:15からホールAでモーツアルト「ピアノ協奏曲第9番 K.271」を弾きます

萩原麻未は3日(金)18:15からホールAでラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」を、5日(日)10時からホールCでショーソン「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール」を弾きます

マリー・アンジュ・グッチは3日(金)11:45からホールCで「リサイタル」を、4日(土)12:45からホールAでラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」を弾きます

(ただし、この日は午前11時からミューザ川崎で「モーツアルト・マチネ」を聴くのでグッチは聴けません

井上道義は5日(日)18:30からホールAで新日本フィルを振ってレスピーギ「ローマの祭り」他を、同日21時から同フィルを振って伊福部昭「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏狂詩曲」「シンフォニア・タプカーラ」を演奏します

しかし、上記の7公演をすべて聴くと5日(日)に5公演が集中してしまいます これは腰痛には最悪です。よく考えてから厳選することになるでしょう

ピアニストの角野隼人ファンは、彼が師事したジャン=マレク・ルイサダのコンサートを選ぶかもしれませんね ルイサダは3日17:15からホールG409で「リサイタル」を、5日17:15からホールD7で「リサイタル ~ 映画で使用されたクラシック音楽」を演奏します    しかし、ホールG409は153席、ホールD7は221席しかないので、まず先行抽選販売に申し込む必要があるでしょう。その段階でソルドアウトになる可能性大だと思います

なお、LFJチケット販売サイトでの「先行抽選販売」は2月17日(土)から27日(火)までに申し込み、抽選結果は29日(木)18時頃に発表されます ここで注意すべきなのは申し込みに当たっては座席指定が出来ないことです 次の段階は「先行先着販売」で3月2日(土)から15日(金)までです。そして「一般販売」は3月16日(土)10時からとなっています

個人的には抽選販売に参加してでもチケットを取りたいと思うコンサートがなく、もし参加したとしても座席指定が出来ないので、今回は参加しません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルハラスメント / 森本恭正「日本のクラシック音楽は歪んでいる」、本間ひろむ「日本のヴァイオリニスト」、柚月裕子「月下のサクラ」、中山七里「テロリストの家」他を買う

2024年02月17日 00時03分08秒 | 日記

17日(土)。腰痛が続いています 昨日は東京都交響楽団「第994回定期演奏会Bシリーズ」公演でしたが、大事をとって聴くのを諦めました この日は、タクトをとるエリアフ・インバルの88歳の誕生日という記念すべき日ということもあり、前半のショスタコーヴィチ「交響曲第9番」だけでも聴きたいと思っていましたが、ここが我慢のしどころです

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3321日目を迎え、ホワイトハウス返り咲きを目指すトランプ前大統領は、4件の刑事裁判を抱え膨大な弁護士費用がかさむため、この夏にも選挙運動の軍資金を使い果たす可能性が高い  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプには狂気の岩盤支持層があるんだから 助けてくれんじゃね?  知らんけど

 

         

 

昨日の夕食は、隔週金曜のローテーションにより「鶏の唐揚げ」を作りました 今回も 外カリカリ 内ジューシー に仕上がりました 本当はビールを飲みたいところですが、ガマンです

 

     

 

         

 

昨日の朝日新聞朝刊「天声人語」は「句点(。)」をテーマに取り上げていました 超略すると次の通りです

「若者世代はSNSのメッセージで句点を『冷たい』と感じるという 『大丈夫です。』のように付けると『マルハラスメント』だとネットで話題になっていた 日本だけの現象なのか気になり、アジア、南米の知人に聞いてみたら、『句点なし』は、他言語にも共通する傾向のようだ 冷たい、権威的、機嫌が悪いなどの印象は日本と同じ。文末は句点なしか、ダッシュ(ー)が多いという 改まったメールや上司から来たメッセージの返事には『真剣さや正式な感じを出すため』句点を付けるようだ

ここで筆者が指摘しているのは、同じ句点(。)でも文中ではなく文末における句点のことです 文中で「。」を使用しないまま長々と文章を続けると「マルでなってない」と非難されますね 思い当たる節があったので、息子と娘から届いた過去のショートメッセージを見てみたら、なるほど文末は2人とも「句点なし」か「絵文字」になっていました 自分だけが時代遅れのシーラカンス、はたまたアナクロニズムの権化だったのか、と内心忸怩たる思いです

ところで、文末の句点で思い出したのは、私がフォローしている みゆきんさん のブログです    例えば昨日のブログの文末は「~と思うんだ。」ではなく、「~と思うんだ マル」というように、「。」や絵文字を避けて、わざわざカタカナで「マル」と書いています これって『マルハラスメント』を巧妙に回避するための新しい”手口”ではないか 参考にしようかな~♬ と密かに目論んでいる今日この頃です  マル

 

         

 

最近コンサートに行けないことから1日1冊のペースで読書をしているので、手元の本が残り1冊になってしまいました この傾向はしばらく続きそうなので、いつものようにジュンク堂書店池袋本店で本を8冊購入しました

1冊目は森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察」(光文社文庫)です 著者は作曲家・指揮者とのことですが、この本の内容について少し前に、X上で批判が飛び交っていたので、どんなことが書かれているのか読んでみようと思いました

 

     

 

2冊目は本間ひろむ著「日本のヴァイオリニスト 弦楽器奏者の現在・過去・未来」(光文社新書)です 著者は批評家とのことです。ヴァイオリニストの「未来」についてどんなことが書いてあるのか興味があります

 

     

 

3冊目は同じく本間ひろむ著「日本のピアニスト その軌跡と現在地」(光文社新書)です 星の数ほどピアニストはいますが、さて、誰を取り上げているのか

 

     

 

4冊目は中山七里著「テロリストの家」(双葉文庫)です ご存じ「中山七里は七人いる」と言われる多作家の文庫本最新刊です

 

     

 

5冊目は柚月裕子著「月下のサクラ」(徳間文庫)です 「孤狼の血」でブレイクした著者の文庫本最新刊です

 

     

 

6冊目は小泉喜美子著「弁護側の証人」(集英社文庫)です 以前から気になっていた本ですが、やっと手に入れました

 

     

 

7冊目は養老孟司著「こう考えると、うまくいく ~ 脳化社会の歩き方 」(扶桑社文庫)です この本は養老氏の過去の講演録のようです

 

     

 

8冊目は辻村深月、伊坂幸太郎他「時ひらく」(文春文庫)です この本は6人の作家によるデパートを巡るオムニバス短編小説集です 表紙は三越デパートの包装紙ではないかい

 

     

 

いずれも読み終わり次第、当ブログでご紹介してまいります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルバート・アインシュタイン & ジグムント・フロイト「ひとはなぜ戦争をするのか」を読む ~ 天才物理学者と精神分析の創始者の間で交わされた公開往復書簡

2024年02月16日 02時09分20秒 | 日記

16日(金)。腰痛が続いています 昨日は朝起きる時に「ア、イテテテッ」という痛みはなかったのですが、整骨院まで歩く途中で若干の痛みを感じました 昨夜はN響2月度Bプロ定期演奏会でしたが、そういうわけで聴くのを諦めました 13日の読響名曲シリーズに次いで2回目です 滅多に演奏されないプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」を聴きたかったのですが、ここは我慢のしどころです

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3320日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は14日に放映されたロシア国営テレビのインタビューで、米国のバイデン大統領とトランプ前大統領のどちらがロシアに望ましいかと問われ、「バイデン氏だ」と答えたが、ロシアが「バイデン氏の方が対応しやすい」と考えているとのメッセージを米国側に広め、トランプ氏への「側面支援」を狙った可能性もある  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     嘘つきプーチンの発言を額面通り受け取る者は オメデタイとしか言いようがないね

 

         

 

昨日、夕食に「サーロインステーキ」を焼きました あとは舞茸の味噌汁です。いつものように洗い物を少なくするため、野菜はワンプレートに乗せました

 

     

 

         

 

アルバート・アインシュタイン&ジグムント・フロイト「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫)を読み終わりました アルバート・アインシュタイン(1879-1955)は物理学者。光量子仮説や特殊相対性理論、一般相対性理論を発表、人々の宇宙観を大きく変えた ジグムント・フロイト(1856-1939)は精神医学者。神経症の医療を行いながら精神分析の理論を構築、伝統的人間観を刷新した

 

     

 

本書は、国際連盟の国際知的協力機関から「誰でも好きな人を選び、今の文明で最も大切と思える問いについて意見を交換できる」という提案を受けたアインシュタインが、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」というテーマを選び、意見交換の相手としてフロイトを指名して交された公開往復書簡を集録したものです 当時アインシュタインは53歳、フロイト76歳でしたが、ともにユダヤ人だったことから、ナチスドイツから逃れるため、アインシュタインは1933年にアメリカへ、フロイトは1938年にロンドンへ亡命を余儀なくされました

本書は次のよう構成されています

1.アインシュタインからフロイトへの手紙 ~ 1932年7月30日、ポツダム近郊のカプート

2.フロイトからアインシュタインへの手紙 ~ 1932年9月、ウィーン

3.解説Ⅰ「ヒトと戦争」 ~ 養老孟司(解剖学者)

4.解説Ⅱ「私たちの『文化』が戦争を抑止する ~ 斎藤環(精神科医)

アインシュタインは手紙の中で、このテーマに対する彼なりの解決策を提案しています 彼は「戦争の問題を解決するためには、すべての国家が一致協力して一つの機関をつくり、そこに、国家間の問題についての立法と司法の権限を与えればよい 各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければ国際平和は望めない」と主張しています。当時はすでに国際連盟(1920年設立)がありましたが、発案国のアメリカが参加しなかったこと等から十分機能していなかったからこそ、あえてそのような主張になったのでしょう

アインシュタインは、平和に抵抗する人間の悪しき2つの傾向として、①権力欲と②武器商人たちのように権力にすり寄って利益を得ようとするグループの存在を挙げています そういう少数の人間の欲望になぜ一般の大勢の国民が従ってしまうのかと言えば、「人間には憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする『本能的な欲求』が潜んでいるからだ」と主張します 彼はこうした考えをもとに、フロイトに「人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることは出来るのだろうか?」と問いかけます

これに対し、フロイトはアインシュタインの考えにほぼ全面的に同意した返信を書いています その中でフロイトは、人間が相手を絶滅させようとする『本能的な欲求』のことを『破壊欲動』(死の欲動)という概念を用いて解き明かしています そして、世界から戦争がなくならず、完全な平和がなかなか訪れない理由として、人間が「死の欲動」を持っているためである、と述べています フロイトは、原初の時代からの人類の歴史を振り返りながら、「人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。人間も動物なのですから、やはり暴力で決着をつけます」とし、その後「暴力から権利への道が始まる。力の強い者のむき出しの暴力に対し、弱者は集団で団結し、自分たちの権利(法)を確立する」と述べます ここでフロイトは「法とは、連帯した人間たちの力、共同体の権力に他ならない」とし、この権力もやはり暴力だと注意喚起しています フロイトは意外にも、「戦争をすべて悪しきものと決めつけることは出来ず、平和をつくり出す戦争もあり得る」という見解を示しています ローマ人が地中海諸国を征服してもたらした「ローマの平和」などの例を挙げ、「永遠の平和を達成するのに、戦争は決して不適切な手段ではない」と認めざるをえないと述べています

フロイトは、アインシュタインの主張を肯定した上で、「戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致協力して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きた時にはこの権力に裁定を委ねるべきなのです」と述べています さらに、戦争を確実に防ぐ答えとして「死の欲動」に対抗する「生の欲動」すなわちエロスの欲動に訴えかけることを提示します 彼は、人間の攻撃的な傾向を完全に消滅させることはできないという前提に立って、「人間がすぐに戦火を交えてしまうのが破壊的欲動のなせる業だとしたら、その反対の欲動、つまりエロスを呼び覚ませばよい」と述べています そして エロスの欲動の現れとして、「人間のあいだに『感情の絆』をつくり出すものはすべて戦争防止に役立つ」として「愛するものへの絆」と「一体感や帰属意識」の2つを挙げます さらに、戦争防止のためのもう一つの方法として「文化の力」を挙げます。フロイトによれば、文化は欲動の発動自体を抑える働きがあり、「人間は欲動からは自由になれないが、文化を獲得することで、知性の力が強くなり、そうした欲動がコントロールされるようになっていく」と述べています

さて、戦争の問題を解決するための機関としての「国際連盟」の欠点を踏まえて、国際平和と安全の維持を目的として第二次世界大戦後の1945年に「国際連合」が設立されました 現在において、一定の役割を果たしているとは言えますが、ウクライナに一方的に侵攻したロシアへの非難決議が、常任理事会のメンバーであるロシアの拒否権によって却下されるなどの事態を目の当たりにすると、空しさを感じます 2人の”知の巨人”が求める世界平和はいつまで経っても実現しないのではないか、と悲観的になってしまいます

本書は、養老孟司氏と斎藤環氏の解説が往復書簡を読み解く上で極めて有益です 養老氏は「何が扱われていないか」について触れ、「人口問題」や「IT技術の発達」等を取り上げ、現代特有の問題として述べています 一方、斎藤氏はフロイトの「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる」という宣言に対し、「文化の目的とは、常に個人主義の擁護なのです。そうなると、いかなる場合にも優先されるべき価値として、個人の『自由』『権利』『尊厳』が必然的に導かれてくるでしょう」と述べています

本文+解説で全110ページしかありません あっという間に読み終わってしまいますが、書かれている内容は深いものがあります 1ページ1ページをじっくり味わって読みたい本です 1人でも多くの人に読んでいただきたい本として お薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小澤征爾の呼吸感のある指揮 ~ 朝日の社説から / 佐藤正午「書くインタビュー6」を読む ~ 相変わらずの「正午節」炸裂のメールによるインタビュー/ toraブログ開設満13年

2024年02月15日 00時20分57秒 | 日記

15日(木)。本日 toraブログが、2011年2月15日の開設から満13年を迎えました 今振り返ってみると、実は2月14日の深夜に書き始めたのですが、初めてアップするのに手間取って日付変更線を超えて15日0時10分になってしまったのです あらためて当日のブログを見たら何と1日に4本も記事を書いています    張り切っていたんでしょうね   そのうちの1本では内田光子のグラミー賞受賞について書いています また、記念すべき1本目のブログのコメント欄には、ブログ開設を勧めてくれた mayoさんの「ブログ開設おめでとう!」のメッセージが寄せられていました    おかげさまで、toraブログは mayo さん1人だったフォロワーが今では2030人(X分含む)まで拡大し、総閲覧数853万PV、総訪問者数271万IPを超えるまでに成長しました   今ごろどこでどうしていらっしゃるのか分かりませんが、感謝しております これからも どこかで見守ってくれていたら嬉しいです

ということで、わが家に来てから今日で3319日目を迎え、バイデン米大統領は13日、北大西洋条約機構(NATO)加盟国を守らないシナリオに触れたトランプ前大統領について「米国史上でロシアに屈服した大統領はいない。間抜けでみっともなく、危険でアメリカ的でない」と批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「間抜けでみっともない」トランプを支持する約半数の米国民も 間抜けで危険てか

 

         

 

昨日の夕食は「博多豚骨鍋」にしました 材料は豚バラ肉、白菜、シメジ、モヤシ、長ネギです。寒い日は鍋ですね。〆はラーメンにしました

 

     

     

     

 

         

 

昨日の朝日新聞朝刊の社説が「小澤さん逝く 音楽で世界を近づけた」というテーマで書かれていました 「社説」で一人の音楽家の死去を取り上げるのは極めて異例だと思います 超略すると次の通りです

「厳しい世界で小澤さんが名声を得られたのはなぜだろう 膨大な勉強量、楽曲を深く理解して独自に表現する力、魅力的な人柄、理由はいくらでも挙がるだろうが、同じく世界の第一線で活躍し共演もしたピアニスト・内田光子さんの言葉が印象的だ 『小澤さんは、とにかくものすごく指揮がうまい人です。本当に”極端にうまい”と言っても良いくらい、指揮がうまい オーケストラで弾いている楽員たちを呼吸させるのがうまいんですね』。ほかの奏者からも『呼吸感のある指揮は分かりやすく、余計なストレスもなく指揮姿からすべてを感じ取り演奏をすることができる』との声があがる 当の小澤さんも『息をみんなにうまく吸ってもらう』のがいい指揮者だと語っていた

社説で書かれているのは「指揮者が良い呼吸感で楽員に演奏させることの大切さ」ですが、「呼吸感の良い演奏」は聴いている側にも伝わるものです コンサートで音楽を聴いている時、特に古典派やロマン派の音楽の時、音楽に合わせて呼吸していることに気が付くことがあります そう感じる時、「ああ、いい演奏だなぁ」と思います

 

         

 

佐藤正午著「書くインタビュー6」(小学館文庫)を読み終わりました 佐藤正午は1955年長崎県生まれ。1983年「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞を受賞。2015年「鳩の撃退法」で第6回山田風太郎賞を受賞。2017年「月の満ち欠け」で第157回直木賞を受賞 ほかに「身の上話」「Y」「ジャンプ」など著書多数

 

     

 

本書は「WEBきらら」2021年3月号から2022年12月号に掲載された「ロングインタビュー 小説のつくり方」をまとめた文庫オリジナルです 直木賞受賞後の第1作「冬に子供が生まれる」誕生前夜における作家・佐藤正午と担当編集者・オオキ氏との交換メールを集録しています

メールはオオキ氏が佐藤氏に小説上や私生活についての疑問を投げかけ、それに佐藤氏が答える形で進みます つくづく思うのは、相変わらずの「正午節」です 質問にストレートに答えることは稀で、いつもは競輪の話ではぐらかします 本作では佐藤氏の「耳鳴りと聴覚過敏症」を巡る話題がかなりの部分を占めます

今回読んだ中で、「へえ、そうだったんだ」と思ったのは、佐藤氏が想定している読者層に関する発言です。正午氏は次のように書いています(途中一部省略)。

「本物の若い人だったころ、僕はたくさん小説を読んだ。いまの時代にもたくさん小説を読んでいる若い人はいるだろう 大勢ではなくても、昔の僕みたいな若い人はいるだろう。で、その若い人に向けて、実は僕は小説を書いているようなところがあるんだ 最近になってそのことに気づいたというんじゃなくてね、それよりもうずっと昔からそうだったんだよ 本物の若い人だったころに僕が読んだ小説を書いた小説家たちは一世代上、だいたい僕よりも30歳くらい年長の人たちだったんだね 高校のときによく読んでいた吉行淳之介を例にとると、彼と僕の年齢差がちょうどそのくらいになる。簡単に説明すると、

吉行淳之介(1924年生まれ) ー  未知の読者である僕(1955年生まれ)

佐藤正午(1955年生まれ) ー  未知の読者(1985年以降生まれ)

こんなふうになるんだね もちろん何の根拠もないんだよ。でもこの独自に打ち立てた公式を、僕は1983年(だったか84年だったか)に小説家デビューしたときから意識していた

これを読んで私は、今の若い作家で佐藤氏と同じように特定の年齢により対象読者を想定して小説を書いている人はいるのだろうか、と思いました

本書を読んでとりわけ嬉しかったのは、オオキ氏に代わって約3年半ぶりにインタビュアーに復帰した東根ユミさんの登場です 彼女は佐藤氏から「オマエ、喧嘩売ってんのか」と罵倒されながらも必死に食らいつき、辛抱強くメールで質問を繰り返している姿が印象的でした 3年半まえから産休・育休(双子のお子さんを出産)でインタビュアーを降板していました 「オオキ氏とは別の角度からのツッコミが楽しめる」と喜んでいましたが、佐藤氏の新作の執筆上の都合により、東根さんの出番はたったの7か月で終わってしまいました。すごく残念です でも、東根さんの最後のメールは2022年9月11日付となっているので、佐藤氏の”新作”が完成したら、「書くインタビュー7」が出版されると思われます その時を楽しみに待ちたいと思います

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城宏之著「指揮のおけいこ」を読む ~ 何のために指揮者はいるのか? 指揮者はキケンな商売 大物指揮者に見せるには:マジメで抱腹絶倒の17のレッスン

2024年02月14日 00時09分06秒 | 日記

14日(水)。行きつけの整骨院が3連休で休診だったため昨日、4日ぶりに通院しました さっそく、先週金曜日に長時間座っていたこと、土曜日の朝から腰痛が悪化したことを伝え、電気治療とマッサージを受けました やはり2年前と同じで椎間板が損傷しているとのことです 先生からは今後1週間の間、①出来るだけ横になって休む(仕事ないから出来る)、②寝ている間は目を閉じ、読書やスマホを避ける(先生、それムリです)、③お風呂はシャワー程度(風邪ひきそう)、④お酒は厳禁(もうやってる)ーと「腰痛時留意点 四か条」を言い渡されました。その上、背中に長いテープを縦に5本貼られました そんなわけで、昨日はサントリーホールで開催の読売日響「名曲シリーズ」を聴く予定でしたが、出かけるのを諦めました また、明日から4日連続コンサートが控えていますが、最悪の場合全滅の恐れがあります しかし、2年前の今頃、完治するまで2か月以上かかったのは、コンサートを聴きながら整骨院通いをしたからです この際思い切って 入院したつもりで、完治するまでコンサートを諦める方が 長い目で見たとき 良いのかもしれません さてどうしたものか よ~く考えよ~ 体は大事だよ~  ってか

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3318日目を迎え、11月の米大統領選で返り咲きを狙うトランプ前大統領が、刑事訴追を受けない「免責特権」をめぐり、連邦最高裁に提訴したが、「免責特権が認められなければ、将来の大統領は退任後に政敵から訴追を受けるリスクを抱える」と主張した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     将来の大統領に トランプのような非常識者は出ないから 訴追されるリスクはない

 

         

 

昨日、夕食に「青椒肉絲」「生野菜とアボカドのサラダ」「シメジの味噌汁」を作りました 腰痛だからといって食事を作らないわけにはいきません。世の中そんなに甘くないです

 

     

 

         

 

岩城宏之著「指揮のおけいこ」(河出文庫)を読み終わりました   岩城宏之は1932年東京生まれ。東京藝大在学中にN響副指揮者となり、56年デビュー 以降、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、メルボルン交響楽団など世界の主要オーケストラを指揮。一方、日本発の常設室内管弦楽団「オーケストラ・アンサンブル金沢」の設立、日本人作曲家作品の積極的な初演など、日本クラシック界の発展に尽力した。2006年逝去

 

     

 

岩城宏之の著書は「森のうた 山本直純との藝大青春記」と「オーケストラの職人たち」を読んで滅法面白かったので、本書の復刊を機に買い求めました

本書は1995年~98年に「週刊金曜日」で連載後、99年に文藝春秋から刊行され、2003年に文春文庫に収められました その後、2023年3月に河出文庫として復刊されました

本書は次の17のレッスンから構成されています

レッスン1「何のために指揮者はいるのか?」

レッスン2「無表情で指揮してみたら」

レッスン3「指揮者はキケンな商売」

レッスン4「楽譜の持ち歩き方」

レッスン5「『ガクタイ』の性質」

レッスン6「指揮者の夏休み」

レッスン7「いよいよ実技」

レッスン8「実技の練習、落とし穴」

レッスン9「女には向かない職業?」

レッスン10「名指揮者と譜面の関係」

レッスン11「ルービンシュタインに教わったこと」

レッスン12「大物指揮者に見せるには」

レッスン13「指揮者のファッション」

レッスン14「服は揃った。次は靴の問題だ。」

レッスン15「指揮棒のナゾ」

レッスン16「指揮とはスポーツだ」

レッスン17「偉大な指揮者が舞台を去るとき」

あとがき

結論から先に書くと、滅茶苦茶面白い本でした

1956年9月にN響を指揮してデビューした岩城氏と同じ日にデビューした指揮者・作曲家の外山雄三氏が「解説」を書いていますが、岩城宏之という指揮者の人物像や本書の中で岩城氏が本当に言わんとしていることを的確に表現しています

岩城氏は指揮について次のように書いています

「指揮とは・・(中略)圧倒的な大部分は、スコアの分析である。つまり、音楽の勉強だという、実に月並みなことになるのだ その上で、自分が再現したい理想の演奏を、ひたすら『思う』のである 指揮とは、この『思い』だけだと言っていいだろう。実は、振り方なんて、どうでもいいのだ 自分が表現したいことが指揮台の上で逆立ちすることでしか表せないなら、そうすればいい

これについて、外山氏は次のようにコメントしています

「彼はオーケストラが100人なら指揮者は少なくとも101の『思い』、101の『チカラ』を持っていなければならないと常に言い続けた その上『振り方なんて、どうでもいいのだ』と言えるのは、彼がその『振り方』も徹底的に分析して熟知しているばかりか、みごとに実践できるほどの練達の域に達しているからである

岩城氏は「レッスン7 いよいよ実技」の中で、N響にデビューした時の指揮の準備について書いています 何種類かのレコードの中から一番気に入ったトスカニーニのレコードを選び、それを聴きながら、暗い庭に面したガラス戸を鏡にして、何十回も汗だくになって『指揮』したという話ですが、これが捧腹絶倒の面白さです 天下の岩城宏之氏も指揮者デビュー当時はレコード相手に「エア指揮」をやっていたのか、と親近感が湧きます

また、同じ「レッスン7 いよいよ実技」の中で指揮の真意について次のように書いています

「これまでは、指揮者が一体何をやっているかが皆目わからぬまま、指揮という仕事にあこがれている善男善女のみなさんに、オチョクリのレッスンばかりを書いてきたが、ぼくの指揮についての真意を、大マジメに書く

1.指揮を習うことはできない。

2.指揮を教えることはできない。

3.指揮者には、なるヤツだけがなれる。

4.指揮者になれないヤツは、なれない。

これが全てだ。本当にマジメに書くと、これでオシマイである。この一瞬に『指揮のおけいこ』は終わる しかし、せっせと『レッスン』っぽいジョークを続けてきたのだ。ぼくは手持ち無沙汰でつまらなくなるし、突然の終了に読者も困るだろうから、少しグレードを落としてやはり『おけいこ』を続行することにしよう

「レッスン5 『ガクタイ』の性質」の中で、岩城氏はリハーサル中の日本語の分かりにくさについて書いています

「リハーサルで指揮者が、ある管楽器奏者に『そこのところ、ちょっとハヤ過ぎる』と注文をつけたとする。これだと『テンポが速すぎる』ということなのか、『出が早すぎる』なのか、言葉だけではどちらだかわからない 英語では「too fast」とか「too early」のように、それぞれの言葉がある 『もっとオソく』と言っても、『ゆっくりと』なのか、『出をもう少しあとに』を意味するのか、そのときの状況で楽員は判断しなければならない

この話などは、なるほどと思います

「レッスン10 名指揮者と譜面の関係」ではトスカニーニの暗譜の話が面白い

「戦前、トスカニーニがニューヨークに現れると、聴衆はトスカニーニの音楽会に殺到した ニューヨーク・フィルの指揮者だったブルーノ・ワルターは、急速に人気を失って、つらく、寂しい思いをしたそうである クヨクヨしていたが、ある時、原因の一つがわかって、少し安心したと「若い指揮者の提言」に書いている トスカニーニは、どんな曲でも暗譜で指揮したのだった これが人気の全てではないが、ニューヨークの聴衆は、トスカニーニの暗譜の指揮に熱狂したのだった 実はトスカニーニは、極度の弱視だったのだ 楽譜を目の前2センチぐらいに近づけなければ、読めなかったのである スコアを譜面台に置いたら、何もわからないのだ。だから自宅で、目をスコアにくっつけて勉強して覚え込み、指揮する時は、練習でも本番でも、暗譜でやったわけだ

ワルターの若い指揮者への提言は「諸君、なるべく暗譜して指揮をしなさい」だそうです

以上は本書のほんの一部をご紹介したに過ぎません 指揮者を目指す人はもちろんのこと、単なる音楽好きの人にも面白く参考になる著書です。お薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テイラー・スウィフトを追うドキュメンタリー「ミス・アメリカーナ」を観る ~ Netflix / 中山七里著「おわかれはモーツアルト」を読む ~ 盲目のピアニストの練習室で起きた殺人事件の謎を追う

2024年02月13日 06時43分23秒 | 日記

13日(火)。 昨日、Netflixでラナ・ウィルソン監督「ミス・アメリカーナ」(85分)を観ました これは2020年1月からNetflixで配信されたアメリカのシンガー・ソングライター、テイラー・スウィフトのここ数年に迫ったドキュメンタリーです

どうでもいいことですが、腰痛のため長時間座るのは腰に良くないので、85分間立ちっぱなしで観ました

 

     

 

私がこのドキュメンタリーを観ようと思ったのは、「トランプ前米大統領が11日、SNSへの投稿で彼女に言及し『米史上最も腐敗した大統領である悪徳ジョー・バイデンを彼女が支持するなどあり得ない』と述べた」というニュースを見て、「米国民の約半数が熱狂的に支持するトランプに 大きな影響力を及ぼすテイラー・スウィフトとはどんな人物なのか」と興味を抱いたからです

この映画は16歳でデビューしてから30歳に至るまでのテイラーの音楽活動を通して、彼女の人間としての成長を捉えています

映画は彼女が13歳からつけていた日記の話から始まります 保守的な気質の土地で育ったクリスチャンらしく、「子どもの頃からの倫理観は良い人と思われること」で「正しいことをすること」と日記に書いています。これが彼女のその後の生きる上での指針となります

2018年のアメリカ中間選挙の時、彼女は地元テネシー州共和党の女性候補があまりにも時代遅れの差別主義者だったことから、周囲の反対を押し切って初めて政治問題に言及し、若者に選挙に行くよう呼びかけますが、民主党は破れ共和党のその候補が当選します 彼女はその悔しさを託した新曲「Only The Young」を発表します 2020年の米大統領選挙ではトランプを批判しバイデンを支持することを表明し、大きな話題となりました トランプの11日の投稿はこのことが背景にあったからです

彼女はセクハラを受け、裁判に訴えるという事件も経験します

また、彼女はデビュー当時、長身で細身というスマートなスタイルで若者の憧れの的でしたが、その裏では摂食障害という問題を抱えていたことも明かされます ある時期、彼女は「周囲からどう見られているかに振り回される必要はない 完璧じゃなくてもいい。自分らしくしているのが一番 食事をとる事こそが力の源だ」と自覚します それ以来、多少ふっくらした現在の身体で活躍しています

映画の中で本人も語っていますが「聴衆とともに成長してきた」ことが、世界中の多くのファンがいつまでも彼女から離れない要因ではないか、と思います

さて、今年11月の米大統領選について沈黙しているテイラーさんですが、今回は何らかの発言があるのでしょうか 世界中が見守っています

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3317日目を迎え、米ABCテレビなどが11日に発表した世論調査で、11月の大統領選で再選を目指す民主党のバイデン大統領(81)が高齢過ぎて2期目を努められないとの回答が86%に達したが、一方、トランプ前大統領(77)も含めて高齢過ぎるとの回答が59%だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     年齢だけじゃないと思うけど 最近バイデン氏の失言が多いからね  迷える米国民!

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉のクリームシチュー」「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 寒い夜はシチューですね

 

     

 

         

 

中山七里著「おわかれはモーツアルト」(宝島社文庫)を読み終わりました 中山七里は1961年岐阜県生まれ。「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!」大賞・大賞を受賞し2010年デビュー それ以降、「おやすみラフマニノフ」「どこかでベートーヴェン」「いつまでもショパン」などの音楽シリーズをはじめ、「御子柴礼司」シリーズ、「刑事犬養隼人」シリーズ、「ヒポクラテスの誓い」シリーズなど著書多数。その速筆は「中山七里は七人いる」とまで言われています

「全盲でありながらショパン・コンクールで第2位に入賞したピアニストの榊場隆平は、クラシック界の話題の中心となり人気を集めていた しかし、「榊場は、本当は目が見えているのではないか。自身の価値を上げるために障害を利用したフェイクではないか」と根も葉もない話をでっち上げるフリーライター寺下博之の登場により、コンサート本番でトラブルが発生し、遂に事件が起きる 隆平が暮らしている家の練習室で銃殺された寺下が発見されたのだ 榊場はヒーローから一転、殺人犯として疑われる立場に陥る そんな彼のもとに榊場同様、ショパン・コンクールのファイナルに名を連ねた岬洋介が、友人の窮地を救うためやってきて、謎解きに挑戦する

 

     

 

全盲にも関わらず世界的なコンクールで優勝した人気のピアニストと言えば、2009年「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行(1988年生まれ)を想像します また、「フェイク」という点では、聴覚障害でありながら交響曲やゲーム音楽を書いたとして脚光を浴びたものの、実はゴーストライターによる作品だったという1990年代の「佐村河内守 事件」を思い起こさせます   おそらく、中山氏はこの2つを要素にプロットを構成したのではないか、と思います

こんなことを書くのは不遜かもしれませんが、私はかなり早い段階で真犯人を当てていました 犯人がなぜ寺下を殺したのか明確な理由は分かりませんでしたが、寺下と真犯人との複雑な関係が最後に明かされるのだろうな、と推測していました これまで何十冊も中山作品を読んできましたが、こんな経験は初めてです 実際にお読みになって犯人捜しをしてみてください

さて、デビュー作「さよならドビュッシー」から続く音楽シリーズを読んで、いつも感じるのは「中山七里は本当に音大も出ておらず、楽譜も読めないのか」ということです

ストーリーでは、主人公の榊場はモーツアルトのピアノ協奏曲第20番、第21番、第23番の3曲を引っさげてコンサートツアーに臨むことになりますが、作曲者のモーツアルトのこと、それぞれの作品のことなどを含めて、中山氏はクラシック音楽全般に関する深い知識と独自の見識を持っていることに驚きます

例えば、モーツアルトの楽曲の特性に関して、指揮者でピアニストのアンドレ・プレヴィンがピアノ曲について語った言葉を紹介しています

「モーツアルトは指揮しようがピアノを弾こうが、とにかく演奏家にとって非常に難しい作曲家だ 確かに楽譜は簡潔、音符も決して多くない。しかし、その一つ一つの音の中に様々な意味が込められている 従って技巧としては簡単かもしれないが、フレーズ一つでも何百通りもの解釈が可能であり、だからこそ難曲なのだ あなたが世界中の指揮者に訊けば、みんなモーツアルトが一番難しいと答えるのではないか

これはモーツアルトの音楽の本質を突いている言葉です また 中山氏は、モーツアルトが活躍していた時代背景との関係で彼の音楽の特徴を述べています

「モーツアルトの時代、作曲家を含めた芸術家たちは教皇や貴族といった権力者をパトロンとして活動していた そもそもモーツアルトが幼い頃から各地を巡業していたのはパトロン探しが主たる目的だったくらいだ 当然、創作物の方向はその時々の流行やパトロンの趣味に左右される。モーツアルトの作品の多くが明朗な長調であるのは、その時代ひいてはパトロンの注文が明朗さを求めていたからだ

上記のことはある程度調べれば誰でも書けることかもしれませんが、音楽の描写については誰でも書けるレヴェルではありません 次の文章はモーツアルト「ピアノ協奏曲第21番K.467」の有名な第2楽「アンダンテ」を榊場が演奏しているシーンの(途中からの)描写です

「・・・次第に鍵盤を弾いている感覚も薄れ、ピアノの音にフルートとホルン、そして弦楽五部が静々と寄り添ってくる 転調すると、いったんメロディは立ち止まり、辺りを窺うようにそろそろとまた踊り出す。展開部に差し掛かると、メロディを短調に変え、哀しみの色を帯びさせる。優しげな転調とともに三連符が一瞬途切れる。隆平はこのフレーズが甚く気に入っている 明朗と哀愁、長調と短調、陰と陽。著名な音楽評論家はこの部分を『異様』と表現する。長調でありながら哀しいというモーツアルト独特の世界だ 相反する二つの要素が絡み合い、音楽でなければ形容できない感情を創生している

こういう文章は書けない 「目に見えない音楽を文字として表現することの難しさ」は、音楽評論家の方々だけでなく ブログを書いている私も痛感しています それを評論家でもない中山氏はいかにも自分が演奏しているかのように生き生きと文字で表現しています

ヘタなクラシック音楽入門書を読むより、本書を読む方がよほど面白く、意図しないうちに音楽の知識が身に着きます そういう意味でも、クラシックファンに限らず広くお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小澤征爾への追悼 ~ 村上春樹の寄稿、秋山和慶のインタビュー / ピエール・ルメートル著「僕が死んだあの森」を読む ~ 6歳の子供を殺した12歳の少年の恐怖と不安の日々を巡る心理サスペンス

2024年02月12日 06時09分28秒 | 日記

12日(月・休)。クラシック音楽界に限らず、幅広い分野で6日に死去した小澤征爾氏に対する追悼の言葉が語られています 昨日の朝日新聞朝刊の第2面には作家・村上春樹氏の寄稿文が、第22面には指揮者・秋山和慶氏のインタビュー記事が載っていました

村上氏は思い出深いエピソードをいくつか紹介していますが、とても印象に残ったのはウィーンでの出来事です 村上氏は次のように書いています

「ウィーンの街角を二人で歩いているときのことだが、短い距離を歩くのにずいぶん時間がかかってしまった というのは、征爾さんはウィーンの街の辻音楽師のほとんどと知り合いらしく、『よう、マエストロ』と声をかけられると、歩を止めてそのままじっくり話し込んでしまうからだ だからなかなか前に進めない。でも、そういう街角の音楽家と話をしているときの征爾さんの顔は、本当に楽しそうだった おそらくマエストロは、彼らの『自由人』としての生き方が好きだったのだろう そんな気がした。当時の征爾さんはウィーン国立歌劇場の音楽監督という重責を担っていた。言うまでもなくやりがいのある仕事だし、その栄誉ある職に就いていることを征爾さんは誇りに思っていた しかしそれと同時に彼の中には、巨大な組織に手足を縛られることなく、広い草原を吹き抜ける風のように、自由気ままに音楽を奏でたいという強い気持ちがあったのではないか。その魂のおそらく半分くらいは、そういう世界を夢見ていたのではないか。そのような印象を僕は受けた

ウィーン国立歌劇場の音楽監督といえば、世界のクラシック音楽界の最高峰といっても良いくらいの地位です そういう高い地位にありながらも、街の辻音楽家たちから声をかけられれば気さくに応じて話し込む 小澤氏の飾らないフレンドリーな人柄がよく滲み出たエピソードだと思います

 

     

 

一方、桐朋学園の齋藤秀雄門下の後輩に当たる秋山氏も、小澤氏との出会いから音楽作りまで振り返っていますが、最も印象に残ったのは「ノヴェンバー・ステップス」の初演の練習風景です 秋山氏は朝日・吉田純子編集委員のインタビューに次のように語っています

「武満さんとの友情の記念碑である『ノヴェンバー・ステップス』のニューヨーク初演の風景も見ていましたが、小澤さん、共演した琵琶の鶴田錦史さんと尺八の横山勝也さんの意見をよく聞くんです うんうん、ああそうか、あ、そういうことなんだって、すごく素直に。オレはこう思う、みたいに主張して、作曲者とぎくしゃくしちゃう指揮者も多いですが、小澤さんはそういうことが一度もなかった 音楽を大事に大事に扱って、音を磨いて、本当にいいものをつくりあげてきた

「人の言うことに素直に耳を傾ける」というのは小澤氏を評する時によく使われる言葉ですが、本当にそうなのですね

さらに、秋山氏は次のようなエピソードを紹介しています

「74年、臨終の床にあった斎藤先生が、小澤さんと僕の目を交互に見て『ごめんな』と言ったことがあるんです『君らをよく怒ったのは僕が未熟だったから』。あの言葉がずっと、音楽や人間というものに対する小澤さんの愛の根源であり続けたのではないかと、今となっては思います

「謙虚さ」を失わない小澤氏の人柄を裏付けるようなコメントは、秋山氏自身にも通じるものがあるように思います

ところで、村上氏も秋山氏も共通して話題にしているエピソードがあります それは「小澤氏は早朝に起きて楽譜の勉強をする」ということです

秋山氏は次のように語っています

「楽譜を勉強したいから、毎朝5時には起きるよと言ってました ゲネプロと本番の間のごく短い時間でも、丹念に楽譜スコアをチェックしていらした

一方、村上氏は次のように書いています

「『僕がいちばん好きな時刻は夜明け前の数時間だ。みんながまだ寝静まっているときに、一人で譜面を読み込むんだ 集中して、他のどんなことにも気を逸らせることなく、ずっと深いところまで』と征爾さんは言っていた(中略)実を言えば僕も小説を書くとき、いつも夜明け前に起きて机に向かうようにしている そして静けさの中で原稿をこつこつと書き進めながら『今ごろは征爾さんももう目覚めて、集中して譜面を読み込んでいるかな』とよく考えた そして『僕もがんばらなくては』と気持ちを引き締めたものだ。そんな貴重な『夜明け前の同僚』が今はもうこの世にいないことを、心から哀しく思う

補足すると、小澤氏が毎朝5時に起きて譜面を読み込んでいたのは「暗譜」のため、つまり本番では譜面を見ないで指揮をするためです 小澤氏が世界のクラシック界で最高峰にまで登り詰めることができたのは、この並外れた暗譜力があってこそだと言えるかもしれません

ということで、わが家に来てから今日で3316日目を迎え、トランプ前米大統領は10日、大統領選の共和党予備選を控える南部サウスカロライナ州での演説で、自身が在任中に北大西洋条約機構(NATO)のある加盟国に対し、軍事費を適切に負担しなければロシアが攻撃してきても米国は支援せず、むしろ「好きに振る舞うようロシアにけしかけてやる」と伝えたと主張した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     こんな狂気に満ちた危険人物が4年も米国の大統領をやっていたとは信じられない

 

         

 

ピエール・ルメートル著「僕が死んだあの森」(文春文庫)を読み終わりました ピエール・ルメートルは1951年パリ生まれ。2006年にカミーユ・ヴェル―ヴェン警部3部作の第1作「悲しみのイレーヌ」でデビュー 同2作「その女アレックス」でイギリス推理作家協会賞受賞。同完結編「傷だらけのカミーユ」のほか、「天国でまた会おう」「わが母なるロージー」「監禁面接」「炎の色」など著書多数。当ブログでは文庫化されている作品は全てご紹介しました

「1999年、北フランスの小さな村ボーヴァルで冬を迎えた12歳の少年アントワーヌ・クルタンは、クリスマスの直前、不運に見舞われる 両親の離婚から6年、一緒に暮らす口煩い母に友だちとプレイステーションで遊ぶことを禁じられた彼は、森に自分の城であるツリーハウスを作り上げていた しかし、数週間にわたるハウス作りに付き合ってくれた雑種犬オデュッセウスの無残な死が引き金となり、彼の日常は暗転する ショックを引きずるアントワーヌは、普段から彼を慕い、つきまとっていた隣家の6歳の少年レミを衝動的に殺してしまう パニックに陥った彼は、レミの亡骸をブナの倒木の下に隠すと、道行く車を避けながら一目散に自宅を目指すが、いつの間にかお気に入りのダイバーズウォッチが腕から消えていることに気づく 家の近くは、消えたレミを心配する近隣の人々が集まり騒然としていた。やがて気が動転していたアントワーヌを憲兵が訪ねてくる

 

     

 

本書の原著は2016年3月、パリのアルバン・ミシェル社から刊行されました。原題の「Trois jours et une vie」は「三日間と一生」という意味で、アントワーヌの犯した一瞬の過ちと、終わることのない後悔や罪の意識を表しています

物語は、アントワーヌが恐怖に怯え不安な毎日を過ごす中、事件の4日目となるクリスマスの翌日の晩、村を未曽有の災厄が襲ったことで事態は一変し、アントワーヌの犯罪は露見することなく16年が経過することになります 村で医師として働くアントワーヌは、ある患者から、16年前 現場から走り去ったアントワーヌを目撃していたが、憲兵に告げ口をしない理由を抱えていたことを告げられます その2日後、その人物からアントワーヌのダイバーズウォッチが届きます。針はとっくに止まっていました

「さすがはルメートル」と言いたくなるプロットと心理描写です 読者としては、「いつ、どのようにアントワーヌの犯罪がバレるのか?」「彼にはどんな罰が待っているのか?」とクリフハンガー(宙ぶらりん)の気持ちで読み進めていくことになります 一気読み必至の面白さです。お薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖澤のどか「『フィガロの結婚』におけるテンポ設定」について語る ~ 日本モーツアルト協会主催講演会より / 小澤征爾の思い出 ~ ジャズからクラシックへの回帰を促した記念すべきコンサート

2024年02月11日 06時48分21秒 | 日記

11日(日)。すでに新聞やテレビでの報道の通り、戦後日本のクラシック音楽界を牽引した指揮者の小澤征爾氏が6日、心不全で亡くなりました 享年88歳でした。1959年に若手の登竜門と言われる仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人初の優勝を果たし、その後、松尾葉子(82年)、佐渡裕(89年)、沼尻竜典(90年)、曽我大介(93年)、阪哲郎(95年)、下野竜也(01年)、山田和樹(09年)、垣内悠希(11年)、沖澤のどか(19年)と優勝者が続いています このこと一つ取ってみても、いかに小澤氏が世界に向けて日本のクラシック界の新しい道を切り開いてきたかが分かります

小澤征爾氏で思い出すことはいくつかありますが、忘れられないのは1981年4月6日に東京文化会館で開かれた「新日本フィル特別演奏会」です 演奏はピアノ独奏=マルタ・アルゲリッチ、小澤征爾指揮新日本フィルで、プログラムは①ショパン「ピアノ協奏曲 第2番」、②ラヴェル「クープランの墓」、③同「ピアノ協奏曲 ト長調」でした

当日のチケット(下の写真)をあらためて見ると、座席はS席の1階6列6番で、10,000円となっています 当時としてはかなり張り込んで席を取っています

81年1月に入った頃だったと思います 当時はまだCDが登場しておらず、クラシックのLPレコードを500枚くらい持っていましたが、不遜にも「もうクラシックは十分聴いた」と思い、たまたまどこかで阿川泰子のジャズ・ボーカルを聴いたのをきっかけにジャズにのめり込みました それ以来、ジャズのLPレコード ~ モダン・ジャズ・カルテット、オスカー・ピーターソン、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク、キャノンボール・アダレイ etc・・・を60枚くらい一気に買い集めて片っ端から聴く一方、ジャズに関する書籍を5~6冊買って読み倒しました そんな日々を過ごしている中、前年にチケットを購入しておいた4月6日の「新日本フィル特別演奏会」を迎えました

ショパンの「ピアノ協奏曲第2番」ももちろん素晴らしかったのですが、最後に演奏されたラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」が神がかり的な演奏で、とくに第3楽章がアルゲリッチと小澤 ✕ 新日本フィルによる超高速演奏バトル のような白熱の演奏で、最後の音が鳴り終わった瞬間、会場の空気がふわっと浮き上がり、温度が2度くらい上昇したような熱気を感じました  それまで聴いたことのない大きな拍手とブラボーが飛び交いました    何度もカーテンコールが繰り返され、小澤とアルゲリッチは阿吽の呼吸でアンコールにラヴェルの第3楽章を演奏しました    これもまた凄い演奏で、聴衆は興奮の坩堝に引き込まれました    聴衆の熱い反応にアルゲリッチは「もう一回やりましょう」と小澤に呼び掛けたように見えましたが、小澤はユニオンとの関係からか、さすがにこれには応えず、アルゲリッチと共に舞台袖に引き上げていきました

この時の演奏がジャズ中心の音楽観を覆しました この日の演奏を聴かなければ、クラシックLPレコード約2000枚(現在1500枚)、CD約4000枚まで達しなかっただろうし、今頃このtoraブログはジャズ音楽を中心に書いていたと思います その意味では、この日の公演はクラシックからジャズへ一時的に浮気した私の音楽生活を、クラシックへ引き戻した記念すべきコンサートだったと言えます

あらためて、小澤征爾さんのご冥福をお祈りいたします

 

     

 (チケットに演奏曲名が表記されていないので、余白に へたくそな字で書きこんであります)

 

ということで、わが家に来てから今日で3315日目を迎え、ジャーナリストの伊藤詩織さんが、SNSでの自身への中傷に「いいね」を繰り返したとして、自民党の杉田水脈衆院議員を訴えた裁判で、2月8日、杉田水脈議員の敗訴が確定したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     人権意識が全くない国会議員は辞職すべきだ! パー券問題といい自民党は弛んでる

 

         

 

8日(木)午後2時から、豊島区立舞台芸術交流センター会議室で日本モーツアルト協会主催「沖澤のどか講演会 ~ 『フィガロの結婚』におけるテンポ設定」を聴講しました    定員70名の先着順ですが、満席でした。普段は同協会の会員を対象に開いているようですが、今回は一般にも公開されたので申し込みをしておきました 一般用の受付名簿をチラ見したら20人以上の名前が掲載されていたので、少なくとも参加者の3分の1程度は一般参加者と思われます

 

     

 

沖澤のどかは1987年青森県三沢市出身。東京藝大大学院、ハンス・アイスラー音楽大学でそれぞれ修士号を取得 2018年東京国際音楽コンクール(指揮)優勝。2019年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝及びオーケストラ賞と聴衆賞を受賞 2020ー2022年ベルリン・フィル・カラヤン・アカデミー奨学生及びK.ペトレンコ氏のアシスタントを務める ミュンヘン響2022-23年シーズンのアーティスト・イン・レジデンス。2022年サイトウ・キネン・オーケストラへデビュー。2023年から京都市交響楽団常任指揮者

本講演の趣旨は「モーツアルトの歌劇『フィガロの結婚』を、指揮者にとって最も重要と言えるテンポ設定を軸に、時代に沿った演奏形式、登場人物のキャラクター設定、レチタティーヴォから音楽への繋がりなど、様々な要素を考慮しながらどのように楽譜を読み込み、適切なテンポを導き出していくのかを、教えを受けたムーティ氏やペトレンコ氏とのエピソードを交えながら解説していく」というものです

講演は沖澤さん作成によるレジュメ(A4・3ページ)と、アリア・重唱などの楽譜(抜粋)の縮小コピー(A4・18ページ)をもとに、2022年8月に松本で開催された「セイジ・オザワ 松本フェスティバル2022」で上演された沖澤さん指揮による「フィガロの結婚」のライブ録画映像を交えながら解説していきました

最初に「テンポを決める要素」として、①作曲者のテンポ表記、②主要キャラクターの性格、③レチタティーヴォからの繋がりを含めた場面の状況、④オーケストラの流れ、⑤歌手の意向ーを挙げました ①で沖澤さんは「指揮者の役割は楽譜を研究することとテンポを決めること」と言い切りました テンポ設定がいかに重要かということが分かります

「オペラ公演におけるリハーサルの流れ」については次のような段階を踏むことを解説しました

①出演者を決める、②各自譜読み、③コレペティコーチング、④指揮者音楽稽古、⑤立ち稽古、⑥オーケストラリハーサル、⑦オーケストラ+歌手(+合唱)リハーサル、⑧舞台ピアノリハーサル、⑨舞台オーケストラリハーサル、⑩ハウプトプローベ、⑪ゲネラルプローベ、⑫公演

上記のうち「コレペティコーチング」とは「オペラ歌手が必要とする音楽的側面を1対1でサポートする専門職による指導で、オペラの舞台作りにおいて歌手が本番に向けて稽古をする際、ピアノ伴奏をしながらアドヴァイスしたりすること」とのことです また「ハウプトプローベ」とは「ゲネプロの前の段階の稽古で、幕ごとに通してリハーサルすることを指すことが多い」とのことです 「ゲネプロ」は「衣装を着けて行う最終稽古」のことです

沖澤さんは上記の流れを踏まえて、「オーケストラのコンサートでは2,3日のリハーサルが普通ですが、オペラの場合は半年から1年位かかります」と語っていました

「フィガロの結婚」におけるテンポ設定で一番印象に残ったのは、第1幕と第2幕の最初と最後のテンポ設定です 沖澤さんの解説によると、

「『序曲』は『プレスト(急速に)』の速度指定になっている そして第1幕、第2幕で歌われるアリアや重唱はほとんど『アレグロ(速く)』になっている そして第2幕のフィナーレにおけるフィガロ、スザンナ、伯爵、伯爵夫人、アントニオ、マルチェリーナ、バジリオ、バルトロの八重唱は『プレスティッシモ(極めて急速に)』となっている したがって、「序曲」をあまりにも速く演奏するとフィナーレの『プレスティッシモ』が生きてこなくなる

ということになります 指揮者はオペラ全体の流れを把握したうえでテンポ設定しなければならないことが良く分かります

ここまで書いたことは沖澤さんの話のほんの一部です 残りのほとんどの時間はオペラの登場人物のアリアや重唱の譜面に書かれた速度指定や拍子(4分の4とか4分の2とか)を見ながら、その場面の映像で確かめるといったやり方で解説していきました これは音大出身者でもアマオケの団員でもない、単なる音楽好きの私には厳しいものがありました 講演の冒頭、沖澤さんが「ここにお集まりの皆さんはモーツアルトの音楽には相当詳しい方々だと思いますので、それを前提に話を進めさせていただきます」と語っていたのが気になっていましたが、モーツアルト協会の会員でない一般参加者にとっては音楽大学の授業のようで、困難を極めました 協会事務局の担当者は事前に沖澤さんに「今回は会員でない一般参加者も含まれているので、そういう人にも分かるようにレクチャーしてほしい」と説明したのだろうか? 極めて疑問です 以上、犬の遠吠えでした

 

     

 

この日は夜7時から2024都民芸術フェスティバル参加公演(ピアノ三重奏曲)もあり、座っている時間がいつもより長くなりました それもあってか、昨日の朝、起きる時にぎっくり腰のような激しい痛みを感じました 2年前の1月の時の腰痛が再発したようです 腰痛で一番良くないのは座る時間が長いことです。こう毎日のようにコンサートや映画館通いを続けていたら腰痛になるに決まっています。これは身体を休ませろというサインです そのため昨日は家で大人しく過ごしました 幸い今日も明日もコンサートの予定が入っていないので、家でベッドで横になり 読書をして過ごそうと思います    来週火曜日の「読響名曲シリーズ」は当日の体調をみて判断したいと思います

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田和樹 ✕ 藤原道山 ✕ 友吉鶴心 ✕ 読売日響でバルト―ク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、武満徹「ノヴェンバー・ステップス」、ベートーヴェン「交響曲第2番」を聴く

2024年02月10日 01時13分37秒 | 日記

10日(土)。わが家に来てから今日で3314日目を迎え、保守的な論調で知られる米FOXニュースの元看板司会者タッカー・カールソン氏が8日、ロシアのプーチン大統領にインタビューした動画を公開したが、プーチン氏は2022年にウクライナに侵攻して始めた戦争について「あらゆる種類のネオナチの動きを禁止するという目的はまだ達成されていない」との見解を述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ネオナチはプーチンのことだろ ヒトラー並みの独裁者に言わせておいていいのか!

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」と「舞茸の味噌汁」を作りました チキンステーキは久しぶりに作りましたが、鶏肉が柔らかく焼けて美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで読売日響「第635回 定期演奏会」を聴きました プログラムは①バルト―ク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 BB114」、②武満徹「ノヴェンバー・ステップス」、③ベートーヴェン「交響曲第2番 ニ長調 作品36」です 演奏は②の尺八=藤原道山、琵琶=友吉鶴心、指揮=山田和樹です

 

     

 

1曲目はバルト―ク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 BB114」です この曲はベラ・バルトーク(1881-1945)がスイスの指揮者パウル・ザッハーの委嘱により1936年に作曲、1937年1月21日にスイス・バーゼルで初演されました 第1楽章「アンダンテ・トランクイロ」、第2楽章「アレグロ」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

オケの編成が変わっています。変則16型とでもいうのか、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが”それぞれ”左右に分かれ、コントラバスが後方に横一列に並びます 「絶対的対抗配置」とでも呼べば良いのだろうか 舞台中央にはピアノ、チェレスタ、ハープが控えます これと同じ編成で思い当たるのは、バッハ・コレギウム・ジャパンが「マタイ受難曲」を演奏する際の体型です。下手のオケをⅠ群、上手のオケをⅡ群と呼んでいたと思います この変わったオーケストラ配置はバルトークが楽譜上に明示しているとのことです。Ⅰ群のコンマスは林悠介、Ⅱ群のコンマスは戸原直です

山田の指揮で第1楽章が開始されます この楽章は変拍子のフーガですが、弦楽器がミステリアスなメロディーを奏でます 第2楽章はティンパニとピアノがインパクトの強い演奏を展開し、弦楽器が切れ味鋭い演奏を繰り広げます 第3楽章は歌舞伎の幕開けの拍子木のような音で開始されるのが印象的です 第4楽章は弦楽器と打楽器による活気溢れる演奏が展開し、華やかなフィナーレを迎えます

満場の拍手とブラボーが飛び交いました 指揮者もオケも大熱演でした

 

     

 

プログラム後半の1曲目は武満徹「ノヴェンバー・ステップス」です この曲は武満徹(1930-1966)が1966年にニューヨーク・フィルの楽団創設125周年記念の作品として委嘱されて作曲した作品で、尺八と琵琶をソリストとする管弦楽曲です 1967年11月9日、ニューヨークのリンカーン・センターにあるフィルハーモニック・ホールで小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルにより、ベートーヴェン「交響曲第2番」、ヒンデミット「画家マティス」とともに初演されました

武満は「ノヴェンバー・ステップス」というタイトルに、初演の「11月」に自らの仕事の「新たなステップ」を踏み出すという意を込めたといいます。それと同時に、筝曲「六段」などに倣い、「十一段」を表す言葉としても意を込めたといいます

オケの編成は舞台中央にハープ2台が左右に分かれて配置されているほかは基本的に前半と同じ体型で、弦楽各セクションは全て左右に分かれます そして管楽器が後方にスタンバイします

楽員がスタンバイしたところで、山田がマイクを持って登場、「悲しいお知らせをしなければなりません。小澤征爾さんがお亡くなりになりました 実際には3日前だったようですが、今日になって初めて知らされました これから演奏する曲が、まさに小澤先生が初演された切っても切り離せない深い関係にあり、しかも先生が初演された時と同様、今回もベートーヴェンの交響曲第2番をプログラムに組んでいます そうした偶然もあり、追悼のために何か曲を演奏した方がよいかどうか色々考えましたが、黙とうを捧げたり追悼のための曲を演奏したりするのは、小澤先生は望んでいないと思いますので、そういうことはいたしません その代わり、これからする演奏を先生に捧げたいと思います」とアナウンスしました 会場から大きな拍手が起こりました その後もしばし会場がざわついていましたが、大きな拍手のなかソリスト2人を迎えました

尺八の藤原道山(ふじわら どうざん)は10歳から尺八を始め、初代山本邦山(人間国宝)に師事。東京藝大・大学院修了 現在、尺八アンサンブル「風雅竹韻」等のユニット活動や、舞台音楽、音楽監修など多岐にわたる活動を展開中

友吉鶴心(ともよし かくしん)は「ノヴェンバー・ステップス」の初演で琵琶を担当した鶴田錦史に師事 NHK大河ドラマの琵琶の指導や、新日本フィルとの共演など幅広く活動を展開中

琵琶の友吉が指揮者の下手側、尺八の藤原が上手側にスタンバイし、山田の指揮で、弦楽器を中心にいかにも”現代音楽”といった曲想の音楽が静かに始まります やがて、尺八と琵琶が入ってきますが、驚くべきは藤原の息の長い旋律を吹くテクニックです とくにカデンツァにおける演奏は息を呑むほど瞑想的で深淵さを感じます また友吉の琵琶のバチさばきは見事で、叩きつけるような激しい演奏があるかと思えば、琵琶の音色の美しさを知らしめるソフトな演奏もあり、深い感銘を受けました

最後は尺八と琵琶のソロにより余韻を残して曲を閉じますが、山田は指揮台の上で頭を垂れてしばし動かず、小澤征爾氏に黙とうを捧げているように見えました それを見ている聴衆の何割かも同じ思いを抱いていたことでしょう 山田が頭を上げてリラックスすると、満場の拍手とブラボーが飛び交いました

最後の曲はベートーヴェン「交響曲第2番 ニ長調 作品36」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1801年から翌02年にかけて作曲、1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト ~ アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ」、第4楽章「アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

「ベートーヴェンでは普通の対抗配置をとるだろう」と思っていたら、これまでと同じ「絶対的対抗配置」とでも呼ぶべき編成をとります また、弦楽器が16型の大編成なので当然のように木管楽器は2管ではなく倍の4管編成に拡大しています

山田の指揮で第1楽章の序奏部が強いインパクトで開始されます 弦楽器が渾身の演奏を展開しますが、驚いたのはオーボエとクラリネットがベルアップ奏法を見せていたことです これは弦楽器が16型で大きな音を出すので、後方に位置する木管楽器は弦楽器を突き抜けて客席に音を届けるために楽器の先を上に上げて音を遠くに飛ばす必要から採られた措置だと思われます 第2楽章は冒頭から弦楽セクションの演奏が美しい 第3楽章のスケルツォを経て、第4楽章は極めて速いテンポでエキセントリックな曲想が演奏されますが、山田はベートーヴェンの「新奇性」「革新性」を強調するかのようにメリハリをつけて演奏させました 終わってみれば、指揮台の上で飛んだり跳ねたり、やりたい放題の指揮ぶりで、故・内田裕也の言うところの「ロケンロール」のような、はたまた 元気溌剌オロナイン軟膏、違った、オロナミンC のような活気あふれるホットな演奏を繰り広げ、「現代に息づくベートーヴェン」を感じさせました

満場の拍手の中カーテンコールが繰り返され、ブラボーが飛び交いました

山田和樹(1979年生まれ)は2018年4月から読響の首席客演指揮者を務めてきましたが、今年3月末で退任します せっかく慣れて来たのに残念ですが、個人的には今月13日(火)に名曲シリーズでフランク「交響曲ニ短調」他を聴くのを楽しみにします

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする