人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

読響「オーケストラ解体新書」、岡田暁生「クラシック音楽とは何か」、土田京子「和声法がさくさく理解できる本」、「東京CLASSIC地図」他を買う / 早見和真著「イノセント・ デイズ」を読む

2018年01月30日 08時03分14秒 | 日記

30日(火)。わが家に来てから今日で1217日目を迎え、大相撲初場所で初優勝を飾ったジョージア出身の前頭3枚目・栃ノ心が29日、春日野部屋で記者会見し「賜杯は重かった」と語った というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     重かった賜杯は 良い重い出 になるだろね  ところで今 横綱って誰がやってんの?

 

        

 

昨日は久しぶりに「カレーライス」を作りました あとはいつもの「生野菜サラダ」です。カレーはいつも2種類のルーを混ぜていますが、今回はSBゴールデンカレーとグリコZEPPINカレーの中辛です

 

     

 

        

 

昨日はコンサートも映画の予定もなかったので、久しぶりに池袋のジュンク堂書店まで歩きました 書店に行けば最低5冊は買い込む習性があることは自覚しているのですが、どうしても行きたくなってしまうのです こういうの「活字中毒」と言いますね

という訳で、本を5冊買いました。いつもは3階の文庫・新書コーナーを徘徊するのですが、今回は10階の芸術書コーナーから回った関係で音楽関係書籍が4冊になりました それにしても、クラシック音楽だけでも多種多様な数多くの本が出版されていることに驚きます 作曲家、音楽史、評論、エッセイ・・・・挙げて行ったらキリがありません 背表紙を見ていると片っ端から読みたくなります でもそんなお金ないし、読む暇もないし

ということで、1冊目は読売日本交響楽団編「オーケストラ解体新書」(中央公論新社)です 目次を見ると、読響の指揮者であるカンブルラン、テミルカーノフ、スクロヴァチェフスキ(故人)たちのこと、楽団員の生活、コンサート当日のドキュメント、事務局の日常などが紹介されているようです

 

     

 

2冊目は岡田暁生著「クラシック音楽とは何か」(小学館)です 岡田暁生氏は音楽学者、京都大学人文科学研究所教授で、多くの音楽関係書籍を執筆しています この本は新聞の書評で紹介されていたのを見て興味を持ちました

 

     

 

3冊目は内池久貴編「東京CLASSIC地図」(交通新聞社)です この本には①クラシック喫茶、②レストラン&バー、③音楽ホール、④クラシック音楽専門店(CDショップ、楽器店など)が紹介されています クラシック喫茶の本は持っていますが、②~④まで網羅された本は持っていないので購入しました

 

     

 

4冊目は土田京子著「和声法がさくさくと理解できる本」(ヤマハ・ミュージック・メディア)です これは何冊か購入した「1冊でわかるポケット教養シリーズ」の1冊です

 

     

 

5冊目は音楽を離れて、R.D.ウィングフィールド著「クリスマスのフロスト」(創元推理文庫)です 実は 以前買った「フロスト日和」を読み始めたばかりなのですが、これが滅茶苦茶面白いのです 「このシリーズなら間違いなし」と、思わず購入しました

 

     

 

読み終わったけれど まだブログでご紹介していない本が数冊あるので、それらを登場させてから 順にご紹介していきます

 

          

 

早見和真著「イノセント・ デイズ」(新潮文庫)を読み終わりました 早見和真氏は1977(昭和52)年 神奈川県生まれ。2008(平成20)年に「ひゃくはち」で作家デビュー。この作品は映画化、コミック化されベストセラーに。15年「イノセント・デイズ」で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞

 

     

 

物語の主役は田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪で死刑を宣告される 恋人から別れを告げられたことから激昂し犯行に及んだというのがその理由だった。彼女の人生に関わってきた人々ー産婦人科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、刑務官たちの追想から、彼女の本当の姿が浮かび上がる 幼なじみの弁護士が 彼女は殺人犯ではないと確信して再審を求めて奔走するが、本人は再審請求を拒否、刑に服する覚悟を決めている。かくして、彼女の刑は執行された。しかし、真犯人は別にいた

この作品を読み終わった時に感じたのは、深い感動でした 悲しさと言うのでもない、やりきれなさと言うのでもない、やはり感動です。心に深い傷を負った田中幸乃は、自身が犯人ではないことを自覚しながらも、もはや失うものは何もない、あとはこの世の中から消えるしかない、というところまで追いつめられていたのです

この作品のエピローグで、女性刑務官が馴染みのバーでテレビのニュース番組を観るシーンが描かれています。画面に映し出された容疑者の女の写真は、名前の横に表示された44歳という年齢よりも老いを感じさせる女ですが、隣席のカップルが次のような会話をします

男「悪そうな女」

女「なんかこの事件、前にもあったよね。っていうか、この女、見たことない?」

男「さぁ、どうだろう。そういうタイプなんじゃないの?」

女「タイプって?」

男「だから、なんていうかさ・・・・やってそうじゃん。いかにもさ」

この会話に対し刑務官は「全身の毛が震え、ハッキリとした敵意を抱いた」が、「全然違うかもしれないのにね」と、小声でつぶやいた。

「なんか いかにもだなってさ、私も間違いなくそう思ってたんだ。何も知らないくせに。自分勝手に決めつけて

この場面で、刑務官は一度は幸乃を凶悪犯罪者と決めつけていたことについて深く反省しているのです

翻って、自分自身のこととして捉えて、テレビに映し出された容疑者を「悪そうな女」とか「いかにも やってそうじゃん」と思ったことことはないのか、と自問するとき、そういうことはないとは言い切れない自分がいます 「疑わしきは罰せず」と言う言葉がありますが、刑が確定するまでは、あくまで「容疑者」であって「犯人」ではないし、事例によっては「冤罪」ということもあります

この作品は、人々の容疑者に対する何気ない偏見をたしなめているようにも思います

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