今なにしてる         (トミーのリペイント別館)

カメラ修理などについてご紹介します。
富塚孝一
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連休明けはPENからの巻

2020年08月18日 18時10分00秒 | ブログ

とうとう一日も休めませんでした。たまにはバイクにも乗りたいけど、この猛暑では外に出ることも危険ですからね。で、連休明けは溜まったPENをやります。三光ではない初代PENとD2が来ていました。まずはPENですけど程度は悪いですね。何十年も放置された個体ですが、そのような場合、問題なのはレンズです。特に後玉が問題ですが案の定です。

後玉を取り出してみました。かなり曇っていて、この状態ですと撮影は困難かと・・

 

 

PENのレンズは3群4枚で、この後玉は2枚合わせになっているんですね。表面のコーティングも劣化していますが、問題は合わせ内側の曇りです。ここは分解が出来ないのですね。オーナーさんに確認してからにします。

 

残念ながら初代PENはオーバーホール断念となりました。では次のPEN-D2 #1638XX (シャッター完成、昭和40-1 本体完成1965年3)です。D2としてはレンズはきれいな方で致命的な欠点はありませんが、露出計が不動です。また、シャツターは低速1/8が止まります。全体的に遅いです。気になるのは過去に分解を受けていますが、あまり上手ではない印象です。

まず、各部のネジがすべて緩み加減なのが気になります。巻き戻しレバーのバネが表裏逆に組み込まれていました。また、駒数計の針やワッシャーがすべて欠品しています。

 

シャッターも当然分解を受けていますが、カム板を留めるリングナットの締め込み位置が工場で組んだ時と大きく異なっていますね。(赤ペイント)作動による摩耗もあるので、工場位置がら僅かに締め込み方向になることはありますが、大きく異なることはありません。工場でのオリジナル調整を無視してはいけません。また、シボ革の剥がし方ですが、なんでこんなに塗装を傷だらけにするのでしょう。私は全く無傷で分離します。分解することによる傷や劣化を気にしない感性の方は修理には向かないと思います。

裏蓋の上下モルトが劣化した古いオリジナル部を取り除かずに上から貼っていて、それがベトベトに劣化していてもう大変状態。完全に撤去するのに時間が掛かりました。すべて洗浄をしたところ。では、シャッターユニットから始めます。

 

シャッターユニットの疲労は少ない方です。基本的にはPEN-Sと同系式のシャッターですが、仕様変更による追加部品でリングだらけになり、気がついたら重くなっちゃったというシャッターです。シャッター羽根は6枚入っているのに注意。

 

電池室からのリード線は芯線が劣化して導通抵抗も大きいですから新品と交換して行きます。

 

 

電池の要らないPEN-Dの基本設計ですから、厳しいところを通していますね。

 

 

この個体は電池の液漏れが殆ど無く、留めネジ3本の状態は良かったです。液漏れの侵されたネジは腐食が進みボロボロになっていて緩めることが出来ません。

 

本体側の2軸を組み込んで、完成させていたシャッターユニットを取り付けます。

 

 

問題の露出計です。本当に動きませんねぇ・・

 

 

Cdsは生きていましたので回路をやり直して行きます。スイッチの不良も意外に多いのです。何とか動かしましたよ。

 

しかし、感度はEV2段ほど低下しています。基板がかなり厳しい・・調整抵抗を交換することにします。

 

ファインダーを清掃して本体にセットしました。では、欠品をしていた駒数計の針やワッシャーを調達します。

 

D系のトップカバーは中央の開口部が大きいため、画像のようにシャッターボタン側が反り返る変形が見られます。

 

この個体の場合、変形によって角部分の材料が伸びてしまい、それを無理に抑えるため内側に変形しています。これは修正をしておきます。

 

最後に清掃をしたレンズを取付けて完成です。

 

 

レンズはランタンクラウン系の新種ガラスが採用されていると取説に記載されています。

 

 

元々は消耗も少なくレンズの曇りも軽微で良い個体だったのです。かなり良いコンデションになりました。意外にD2の良品は少ないのです。若い頃に所有していたカワサキ・マッハⅢと記念撮影。私のは右側のガンメタ色タンクで、一文字ハンドルを付けていました。筑波サーキットなどて完全レーサーを追い回していました。ハセガワから新金型のマッハⅢが発売になったようですが、画像を見るとかなり良いプロポーションをしています。作りたいですが時間がありません。マッハⅢは未だに夢に出て来るオートバイですが、「曲がらない止まらない」オートバイでしたので今再び乗ればどんな印象を持つでしょうね。

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4 コメント

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マッハⅢ (鍾馗)
2020-08-22 10:10:46
当時マッハⅢにお乗りだったんですね。昔の特撮番組に”白いカラス”というマッハIIIが出ていて好きな人間にはたまらないバイクです。羨ましい限りですね。しかしハセガワがバイク模型を発売してたとは知りませんでした。
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マッハⅢ (TOMY)
2020-08-22 12:35:20
はい、乗ってました。白いカラスは知りませんが、キカイダーでサイドカーがありましたが、あればマッハベースですね。うちのクラブの年上の方が映画の仕事をしていまして、あのマシンに乗ったり、黒い悪役(なんていうの?)の役をやってました。残念ながら車の事故で若いうちに他界しましたが。
私のマッハは70年式だったか極初期型のピーキーでアクセルを開けるとフロントが浮くような性格ではなく、多少ディチューンをされていたと思います。しかし、パワーバンド以下の回転数では「ブォ~」と吸気音がするだけで全然回転が上がらず、回転が上がってくると突然目覚めたようにフル加速するという性格は変わりませんでしたね。当時はじゃじゃ馬って言われましたからね。

ハセガワはバイクのプラモデルは昔から出してますよ。タミヤのシリーズより早かったと思います。現役当時のヤマハDT1やXS1もラインナップされて製作した記憶があります。その後、タミヤが大きなスケールのCB750やダックスを出して来ました。北米向けのCB750ロードレーサーも作りましたが中々の迫力でした。それまでは、レベルのCB77やヤマハR2とかレーサーではイタリアのプロターぐらいしか無かったです。
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キカイダーです (鍾馗)
2020-08-22 18:10:15
よくご存知ですね。その黒い悪役が”ハカイダー”で”白いカラス”というマッハに乗ってました。なので自分らの世代にとってマッハは特別なのです。キカイダーのバイクスタントの方はやたら上手い印象がありましたが、事故でお亡くなりになったんですか。とても残念です。ご冥福をお祈りいたします。
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キカイダー (TOMY)
2020-08-22 23:24:07
あぁ、そうでしたか。私の年代ではドラマについては興味はなく、ただ、マッハのサイドカーが使われているので知っているという程度です。先輩は時代劇の小姓の森蘭丸を演じたらピッタリの小柄な美青年でした。マッハは撮影の休憩時間に乗った程度で本業はそのハカイダー? だったようです。無くなった経緯は可哀想すぎるので書きませんが、ツーリングの写真もありますがやめておきます。学生の頃はヤマハのXS1で役者になってからはBMWのポリス仕様に乗ってました。
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