英国のある女性議員が当時のチャーチル首相を批判してこう言ったそうだ。「私があなたの妻なら、きっとコーヒーに毒をいれるわ」。チャーチルは答えた。「万が一、あなたが私の妻ということなら私はそのコーヒーを飲むだろう」。女性議員の悔しそうな顔が浮かぶ▼米国作家ラッセル・ラインズの悪口を優雅に受け止める方法を池澤夏樹さんがエッセーで紹介していた。最も優雅なのは無視。無視できない場合は最初の悪口を上回る悪口。それもできない場合は笑い飛ばせ。チャーチルのは二番目か▼どこの誰かが分かった相手との言い合いなら、この対処法も有効だろうが、SNSでの匿名による誹謗(ひぼう)中傷の「洪水」には無力だろう。耐えきれなかったか。若い女子プロレスラーが亡くなった。SNSでの悪意ある言葉を苦にしていたという▼無視しろと言われても気になるだろう。下手に言い返せば、事態はさらに悪化する。笑い飛ばせる状況ではなく、チャーチルも青ざめる▼有名人に限らぬ。誰もがこうしたネット上のリンチの対象になり得る時代である。高市総務相が発信者の特定を容易にする制度改正を検討すると表明したが、まずは、ネットの誹謗中傷の恐ろしさを認識したい▼匿名で人を傷つけ、追い込む。臆病で、卑劣なやり方にチャーチルが使った別の悪口を連想する。「羊の皮をかぶった羊」である。
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