東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

いつかまた

2018年11月12日 01時15分01秒 | 引退ブログ

こんにちは、4年の西坂です。

 

前回の記事で引退ブログを匂わせていましたが、こっちが本当の引退ブログです。

一番伝えたいことだけをスパッと短く伝えられる人は本当にかっこいいと思います。

ただ、自分にはその能がないので、だらだらといろいろ書いていきます。基本自分語りなので恐縮ですが、よろしくお願いします。

 

 

 

2018/11/4。蒲郡の地にて、無事引退することができました。

あっという間だったというにはあまりにいろいろありすぎた4年間、でも長かったかと問われると、本当に楽しくてあっという間だったような気もします。

 

入部を決意したのは、4月の最初の試乗会、入学式よりも前でした。

ヨットについて楽しそうに魅力を語る部の雰囲気が良くて、青木さんと霜山監督におだてられていい気になっていた自分は、簡単に入部を決めてしまいました。

もちろんその選択は正解だったと胸を張って言えます。4年間をかけるつもりで入部した場所ですが、思っていた以上に4年間をかける価値があったし、その選択をしなかった自分を想像すると恐ろしいです。

入部当初のブログを読むと「将来的にはヨット部の全日本出場に貢献し、そのヨット力で部員を牽引できるような選手になれるよう努力していこうと思います。楽しみにしていてください!」なんて書いています。どうなんでしょうか、過去の自分の期待には応えられたのかな。結果はどうであれ、青春を海に投げ捨てたことは自分の誇りです。そこに一切の悔いはないです。

 

4年間で得たものはたくさんあります。

ヨットの技術はもちろん、死と隣り合わせのスポーツだからこその安全管理のシビアさにふれたりだとか。今までなんだかんだ言って実感してなかった、自然のおそろしさ、偉大さを身をもって経験して。

組織運営というのも初めてでした。合宿生活も新しかった。能天気な自分は人間関係に悩むことは幸いなかったですが、24時間他人と一緒にいるっていうのもなかなかできない経験ですよね。そして、歴史ある組織に所属するという意味。伝統の重み。

いろいろなことを学びました。

 

 

ほんとうにいろいろあったなぁ。

 

 

一年生の冬、初めて東大に小松さんが来て。スキッパー始めたばかりのころの自分はコーチングしてもらえるレベルではなかったですが、小松さんが来てから少しずつチームが戦う集団に変わっていくのが、下級生ながら印象的でした。

 

二年生の夏の東大主幹だった七大学戦は、一つのポジションを任されて、初めて人の上に立つことがどういうことか深く考えた瞬間でした。漠然とリーダーは人を引っ張る人という認識だったのが、リーダーはどうあるべきか自分の中のリーダー像が定まったように思います。

 

二年の秋は、入部以来お世話になり続けてきた海野さんの代が引退して。みんなで悔し涙を流したのをはっきりと覚えています。引退するまであの日の涙は自分にとってずっと大きな原動力で、7位で関東を突破できなかったことに対する申し訳なさ、そこだけは現役生活に思い残すことです。あの日をかろうじて知っている小野の代に託すしかありません。

 

代替わり後は、4年生スキッパーが3人抜けて。急に自分が最上級生スキッパーになりました。一個下には経験者の塚本と小野がいて。急に自分が一番先輩になってコース練習とかでも負けられなくなったのに、下二人は自分よりヨット歴が断然長いから当然負けたりして。プレッシャーに耐えられなくて、自分はエースじゃなくてもいいや、なんて思ったりもしました。

 

三年の夏前、それまで470リーダーを務めていた主将の角出さんから470リーダーを任されることとなりました。急なことでしたが、いろいろ海上でも考えることが増え、ヨットがうまくなるきっかけになってくれました。みんなに何かを説くのなら自分はそれに反することは絶対にできないという緊張感も、プレッシャーに強くなるきっかけだったかもしれません。エースであることにこだわり出したのもこのあたりからです。チームの4年生だった角出さん、中田さんはもどかしい思いを何度もしたかもわかりません。それでも、辛抱強く自分をリーダーに起用し続けてくれたことは、本当に感謝しかありません。4年生の前でミーティングするのはかなりのプレッシャーでしたが笑。

 

三年の秋、33年ぶりの全日本両級進出を決めました。入部した直後に、関東の予選で敗退していた東大のチームを知っている自分にとって、それは本当に信じられないくらいうれしいことでした。東大ヨット部が強くなってからではなく、強くなる課程で在籍できて良かったと思いました。初めての全国の舞台は、周り皆がうまく見えて。大会の名前に圧倒されすぎていたように思います。

 

そして、自分たちの代が一番上になりました。打ち出したスローガンは「強い東大」。結果を見ると、去年より悪くなってしまっていますが、組織としては強くなる下準備は出来てきたのではないかと思います。去年は全日本を目指して、関東インカレにすべてをかけていた。今年は、全日本に焦点を置いて関東インカレは通過点だった。強風の日は「蒲郡はこんなもんじゃない」が部員の口癖だったし、トレーニングをさぼるようなことがあれば諭す文句は「そんなんじゃ蒲郡で走れないよ」でした。常に部員は蒲郡に目を向けていたように思います。そこは決して間違っていなかった、と思っています。

新体制は大変でした。新4年生5人、新3年生3人、新2年生たくさん。みんなよく頑張って成長したのではないかと思います。

 

4年夏の七大学戦は、大会不成立に。4年生になって七大同期とガチンコでやりあえることを楽しみにしていただけに、ヨット競技の儚さを改めて目の当たりにして、帰りの帆走中人知れず涙を流しました。来年は名古屋が復活参戦するらしいです。羨ましいですね。

それでも、七大学の友達は特別で、他水域のレース結果に力をもらったり、蒲郡のハーバーでブログ読んだよって声かけてもらったり。自分にとってはいい刺激になる友人たちでした。

 

4年の夏は、全日本個人戦にも出場しました。絶対に自分が出たかった大会。この大会は3年の全日本と違って、ハイレベルのレースを全力で楽しめました。もう一回全国で戦いたいと強く思いました。いろんな人が結果を褒めてくれましたが、すごく悔しかった自分にとってそれは若干拍子抜けで、小松さんのもと自分たちがより高い意識でレースに臨めていたことがわかりました。もう一年やらせてもらえたら自分はもっと上手くなれるのに、と思いつつ、4年間で散りゆくから楽しいんだろうなぁともなんとなく思いつつ。

 

そして、4年の秋は以前ブログに記した通りです。

 

それから、ついに引退。引退したら解放感とかあるのかなとか思っていましたが、実際はそんなこともなく、毎週八景島に行きたいくらい。今は新体制が頑張っている時期ですから、行きたい気持ちをぐっと押さえて、現役に求められたら行こうと思います。

 

 

 

ここには書かなかったことも本当にいろいろありました。

 

 

そこで思うのは、この経験をしっかり下の代に伝えられているのか。

小松さんがいなかった時代を知っている現役はもういません。スナイプが復活したばかりのころを知っている現役ももういません。何が変わってどんどん強くなってきているのか。そこをしっかり下に伝えないと、衰退の道を歩んで行ってしまうように思います。

ここ数年LB会の援助があって、新しい船、新しいセール、最高のコーチと、本当に恵まれた環境でやらせてもらっています。今の自分たちはそこに甘えているだけ。何かが欠けたら、全日本には到達できなかったのは確かです。いつまでもこの環境が続くわけではないですから、その恩恵を一番受けた自分が現役を支えていかなければと思います。

 

 

後輩たちには無念を託すことになります。

ただ、自分は自分たちの目標を達成できなかったという無念を託したいという思いはあれど、その目標の内容を強制するつもりはありません。

現役のみんなが本当に目指したいところを考えて、自分たちと一緒に頑張ってきたみんながその目標を最後に叶えることができたなら、それで自分たちの代も報われるような気がします。

そんなきれいごとにはいかないのかな。どうなんでしょう。未来の自分のみぞ知ることではありますが、今はそういう思いでいます。

まぁでも、自分たちの無念を晴らすためにみんなが同じ方向を向く材料の一つになってくれるなら、それはそれで素敵なことだなとも思います。

 

 

そういえば、今年の一月のリレーブログで「引用句」という記事を書きました。他大、部内で意外と好評で、自分でも力作だと思っているのですが(笑)、そこに、「現在の自分は、未来の自分が作る」というものがあります。この無念を、どう料理してこうかしっかり考えていきたいですし、自分たちの真価は後輩たちの活躍次第というところでもあるので、皆よろしく頼んだぞ。笑

 

 

月並みな表現になってしまいますが、今までたくさんのひとに支えられてきました。特に多大なる支援、指導をしてくださった監督含むLB会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。最後まで至らぬ4年生で、ご期待に添う事も出来ず申し訳ありません。

 

小松コーチには本当に献身的に指導していただきました。小松コーチに出会えたことはヨット部に入った大きな成果の一つです。人間として本当に尊敬でき、いつか小松さんのような人になりたいです。本当は小松さんの最高傑作になるのが目標でしたが、それは叶わずとも、小松さんの言う「派手さはないけどそつのない選手」には近づけたのではないかと思っています。また、今年の後半は本当に選手として小松さんが自分を信頼してくださっているのがわかり、すごくうれしかったです。頑張ってきたかいがありました。小松さんと来年は若手コーチとして西宮に来るよなと約束したので、しっかり約束を守ろうと思います。そうでなくても、小松さんと出会って自分は選手育成という部分にすごく興味を持ったので、近い将来小松イズムの伝承者としてヨット部に戻ってくる所存です。

 

自分とオーバーラップしている先輩方の存在は本当に心強かった。十川さん、海野さんの代はちょくちょく練習に来てくれ、特に青木さんはことあるごとにメッセージをくれました。ずっと気にかけてくださっていることが、非常に嬉しく、頑張ろうと思ってきました。角出さんの代は、何回も部活に顔を出してくれ、うまく言ってない時はよくご飯に誘ってくれました。自分もこういうOBになりたいと思いつつ、遠慮しないでもっと部活に来てもらえばよかったというのが本心なので、ぜひ後輩たちは遠慮せず呼んでくれたらなと思います。

 

多大のライバルたちの存在も大きいです。七大のライバル、関東水域のライバル。みんなで意識しあって高め合ってきた。そして、ずっと一緒に練習してくれた早稲田大学。日本一のチームと一緒に練習できて、本当にありがたかったです。今年の日本一が決まった時、本当に嬉しかった。

自分を信じてついてきてくれた470チーム。特に、小野と塚本はずっと3人一緒でずっと切磋琢磨してきた大切な存在。かわいい妹分の小野と、お互いリスペクトしているけど弱みを見せたくない男兄弟みたいな塚本。来年彼ら二人が楽しそうに前走るところをみたい。太朗、大橋は短い間だけどペアを組んだ。もっといろいろ教えてあげたかった。教えてあげられてない分はまた八景島で。松前は、自分を目標にしてくれているかわいい後輩だった。自分よりもっともっと活躍する選手になってほしい。

 違うチームだったけど、仲よくしてくれたスナイプチームの後輩たち。妙に頼りがいがあった。全日本の経験を無駄にしないでほしい。

 マネージャーのみんな。たくさんの気遣いが本当にありがたかった。特にみくちゃん。スーパーマネージャーとしてうちの代に欠かせない存在でした。

一年生のみんな。まだヨットのことよく分からないと思うけど、これからも必死に頑張ってほしい。ヨットはうまくなればなるほど、違う楽しさがどんどんわかっていくスポーツ。大変でも頑張る価値はあります。

 

同期のみんな。なんだかんだ残ったメンバーで必死に頑張ってきた。入部当初は関係性がドライと言われたり。それでも、みんなで協力して乗り切ってきた4年間は自分の宝物です。もっと、しっかりみんなとぶつかっておけばよかったっていうのが後悔です。

 

今年一年間ペアを組んでくれた天木。何とか天木を育てなくてはと必死で、常に高い要望を与えてきたけど、よく頑張ってついてきてくれました。本当にうまくなった。技術だけじゃなくて、リーダー艇としての振る舞い、レースへの臨み方、いろいろなものを見せてきたつもり。将来チームの主軸となってくれるであろう天木を育てたのが、数少ない自分の成果だと思っています。これからに期待してますよ。

 

チーム内唯一の同期の水石。3年の時の一年間、お互い初めてのレギュラーでペアを組んで。最初のレースでは沈するわ、冬は異常に沈するわ、ダメダメだったけど、秋にはエース艇に成長できた。水石と組んでいる時の艇内の雰囲気は最高で、一番リラックスしてレースに臨めるペアでした。水石はよく俺のレースメンタルを絶賛してくれるけど、それは水石との絶対的な信頼関係があったからです。同じチームでずっと支えてきてくれて、蒲郡3日目何もできない自分が悔しくてメンヘラになっていた俺の気持ちを汲み取ってくれたり、最後までずっと助けられっぱなしでした。自分にとってのベストクルーです。本当にありがとう。

 

愛艇4579。2年秋から丸々2年タッグを組んできた。最初は船に見合うスキッパーではなかったけど、79に育てられて最後は79の魅力を発揮できるスキッパーになったのではないかなと思います。酷使してごめん。後輩たちは、大切に使ってあげてください。

 

そのほか、部活にずっと理解を示してくれていた家族、応援してくれた友人たち、みんなにお礼が言いたいです。

本当にありがとうございました。

 

 

 

次ヨットで泣くときは、自分が歩めなかった未来を歩む後輩たちが羨ましくてうらやましくて仕方なくて悔しくて、そして何よりも嬉しくて涙を流したい。

将来後輩たちがすごい選手になって、そんな選手に関われたことを誇りに思いたい。

そんな新しい夢を持ちながら、これから先絶対に自分の体から引き離すことができないヨットと付き合っていきたいです。

 

自分はヨットが嫌いになってヨットをやめるわけではありません。

ヨットが大好きです。

またこれからも長いヨット人生を歩んでいきます。

 

話が飛んだりして無茶苦茶なように思いますが、、、

これで引退ブログとさせていただきます。

4年間自分を育ててくれてありがとうございました。

お世話になりました。

 

 

東京大学運動会ヨット部 前副将

西坂惇之

 

 


全日本所感。

2018年11月12日 01時12分39秒 | 全日本インカレ2018

ついに最後のブログとなりました。

全日本でのこと、今までのこと、これからのこと。

書きたいことはたくさんあるように思います。

それでもなかなか筆がすすまないのは、最後のブログなのに伝え残しがないか、言いたかったことをちゃんと言えているかいちいち考えてしまうからで。

そんなことを考えていてもきりがないので、田原ではないですが、徒然なるままに、書いてみることにします。

                                                                                                                              

 

 

…と思っていましたが、書いてみたら全日本のパートが長くなってしまったので、今回は全日本のブログです。引退ブログは次の記事です。ご容赦ください。

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こんにちは、4年の西坂です。

 

今からちょうど一週間前、第83回全日本学生ヨット選手権大会が閉幕し、自分たちの代は引退する運びとなりました。

 

すでに秋の関東インカレで現役選手として引退していた自分は、今回の大会はサポートとして臨みました。

秋インカレで敗れたときの感情はもちろん吹っ切れているわけはありません。その時の感情については、その当時ブログで書いた通りなので割愛します。それでも、その時の悔しさだったりとか、無念だったりとかが今大会に臨むうえで自分にとって強い原動力となっていました。

負けて改めて気づく勝ちへの執念。関東で負けたからこそ、代の引退を迎えるこの全日本の舞台では絶対に勝ってやろうと。自分にはサポートしかできないなら、勝ちたいという思いはチームで一番強く持ってやろうと、思っていました。

サポートという役回りをしたのは、二年生の秋以来二年ぶりでした。サポート能力はずっとサポートをしてきてくれていた後輩たちが優秀で、自分は自分にしかできないことをやろうと思っていました。セーリングに関するアドバイス、注意喚起をしてやってくれ、ということはコーチや先輩から頼まれていました。ただ、自分が一番やるべきことはサポートチームの士気をいかに高められるか。レースメンバー以外の全員を集めて、士気が高まるような言葉がけを意識して話してみたり。自分はこんなにサポートに本気なんだぞっていう姿勢を見せるように意識していました。

でも、やっぱり強い学校のまとまり具合はうちのチームよりはるかに上で、個人個人がそれぞれ自分の役割、やるべきことをはっきり認識できていることがはたから見てもわかる。

即興でサポートに回った自分の非力さを痛感しました。

 

そして、海上ではもっともどかしい思いをすることになります。

レース艇と接触できる機会は限られていて、海上にいるほとんどの時間、自分は何もすることができない。できることと言ったら、回航順位を取ったり、レース展開を観察したり、海面の情報を集めようとしてみたり。でも、自分が直接レースを助けてあげることはできない。なにも出来ない自分が悔しくて仕方がない。なんてサポートってつらい役回りなんだろうって思いました。

でも、そこであることに気が付きます。自分はレギュラーである時、サポートメンバーの心情を推し量ったことがあったのか。なぜ今初めて気が付くのか。

自分は、レースメンバーであったとき、サポートのみんなも同じ方向を向ける、全員が本気で勝ちたいと思える、そんなチームであったらいいなと思っていたし、強いチームとはそういうチームだと思っています。確かにそういうチームであったらいいと思っていたはず。

でも、もし本当にそういうチームだったとしたら、一番つらいのはサポートメンバーのはず。直接海上で戦っているレースメンバーよりも、勝ちたいと強く思っているのに、陸上でその戦いを見られない陸番のメンバーや、直接戦えないサポートボートメンバーの方が、辛い思いをしていたはず。

自分は、レースメンバーであったとき、サポートメンバー1人1人にまっさきに感謝の言葉とねぎらいの言葉を伝えていたのか。一部の人に伝えることはあっても、合宿所のミーティングで全員にまとめて伝えることはあっても、着艇後すぐに全員には伝えてこなかった。

サポートメンバーがいるから、自分たちはレースに集中できるし結果が残せると、感謝しているつもりになっていた。でも、見えていたのは実利的な部分だけで、最後の最後まで何も気が付かなかった自分が恥ずかしい。

こんな人間が理想とするチームを作れることがないのは、あとから考えれば明白です。

チームのメンバーには未熟者の先輩を反面教師として、これから強い、全員のためのチームを作ってほしいです。

 

 

今回の全日本でもう一つ痛感したことがありました。

片クラスで戦わなくてはいけない難しさです。

たまに「東大片クラスにしたら強いんじゃない?」って言われることがあります。確かにレギュラーは3,4年でも余るくらい層は厚くなるなぁとは思いますが、スナイプ、仰秀を復活させた先輩方を見てきた身としては、どんなに人数が少なくても両クラスで戦って総合を目指すことが東大ヨット部のプライドだと思ってきました。

でも、今回初めて両クラスで戦えないレースを目の当たりにして、両クラスで戦うことの大切さを今まで以上に実感しました。

今回、スナイプチームは孤独に戦っているように映りました。おそらく、同じ海面で違うフリートで戦っている仲間がいるというのは、与える安心感が大きいと思います。

実際関東のインカレなどでは、自分自身スナイプチームの結果を気にしながら戦い、違うフリートで戦っている仲間を思うことで、自分たちも頑張ろうと思っていた。オレンジ旗が上がってしまってからもそう。サポートボートが近づけない状態で、近くにいる仲間と健闘を祈りあう時間はすごく心強かったように思います。

自分はサポートボートに乗りながら、自分はサポートボートに乗っているよりも470であの海面に一緒に浮かんでいる方がよっぽどスナイプチームの力になれるのに。そう思っていました。

実際スナイプチームがどう思っているかはわかりませんが、両クラスであることの意味は、それぞれのチームに与える結果という面でも、重要だと思います。

来年以降は、なんとしても両クラスで全国の場に立って、助け合いながら上を目指してもらいたいです。

 

 

全日本で久しぶりにサポートをして、思っていたことを書いておこうと思ったら長くなってしまいました。

頑張って戦ってくれたスナイプチーム、サポートチームは、本当にお疲れ様でした。

(次記事に続く)

 

4年前副将

西坂惇之