東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

残された者の使命

2018年10月11日 23時24分12秒 | レース反省

 関東インカレ団体戦決勝。

 僕たちは負けた。

 目標としていた6位入賞に届くどころか全日本にさえ行けなかった。

 全日本圏内である8位の学習院と6点差、圏外である9位の千葉大とは19点差の7位で迎えた最終レース。団体戦は三艇の合計点で競うのだが、千葉大の前2艇は1マークで両方10番以内と爆発、途中で7位は諦め僕たちは学習院を抑えるレースをしていた。学習院に先行していた東大の前2艇は学習院の前2艇をカバーし、途中で学習院の残り1艇がトラブルでリタイアしたのを見て、僕は全日本行きを確信した。

 このチームで全日本団体戦を戦える。ペアを組んでいる西坂さんともっと上を目指し、八月末の全日本個人戦で負けた人たちにリベンジする。ここ数年では日本最高の未経験者ペアとして歴史を作り、来年以降につなげていこう。来年も楽しみだな、だとかそんな余計な事ばっかり考え、目の前のレースに集中していなかった。気持ちが緩んでしまったこの時点で、もう学習院には負けていたのだろう。

 フィニッシュ直後に東大内で1番順位の良かった4692がリコール(失格)していたことを知らされ、学習院もリコールしていたがリタイア艇と同一の船であったため、逆転され8位の学習院と4点差の9位に転落。一気に全日本圏外となった。


 曳航されハーバーに戻っている時、西坂さんとは何も話さなかった。全日本個人戦に連れていってもらい、秋季関東インカレを戦い抜き、全日本団体戦に向けてペアとしてもっと成長できると決意を新たにした次の瞬間に、もう西坂さんとヨットに乗ることはできないという事実を突きつけられ、僕にはとてもそんなこと受け入れられなかった。

 なにより、僕の中で伝説だった西坂さんの最終レースをあんなものにしてしまった自分に腹が立ってたまらなかった。なぜ最終レースの途中で、学習院がリタイアしたからもう大丈夫です、なんてこと言ってしまったのだろう。学習院だけ抑えて安全に安全にいきましょう、などと言ったのだろう。そんなレースが西坂さんには似合わないことを僕が一番わかっているはずだったのに。とにかく目の前の一艇一艇を抜いていく、西坂さんらしい見る者をしびれさせるレースをしていれば。

 最終日安定した北風の中4レースをこなし、三日間6レースで9位。この結果自体に悔いはない。実力通りだと思うし、僕たちの方が全日本に値したなどとは思ってもいない。ただただ最終レースの途中で気持ちを緩めてしまった自分に、西坂さんのクルーとして全日本に行く資格は無かったと思うだけだ。

 そんな自分が西坂さんより先に泣くべきではない。そう思いずっと涙を堪えた。


 しかし着艇後、西坂さんのご両親が西坂さんに

4年間お疲れさま。ほんとによく頑張ったね。

 と声をかけられたのを聞き、本当に終わったんだ。これでこの人は引退なんだ。そう実感し僕は顔を伏せて泣いた。


 西坂さんの最終レースをあんな失礼な気持ちで終わらせてしまった僕にも

1年間ありがとうね。

 と声をかけてくださった。申し訳ない気持ちでいっぱいになった僕には、とても西坂さんのご両親の顔を見ることはできなかった。


 小松コーチにも

西坂、よく走っていたじゃないか。良い思い出になったんじゃないか。

 と仰って頂いた。とてもじゃないけど僕には小松コーチと目を合わせることはできなかった。あれほど1レース1レースを大切にしろ、自然相手のヨットレースはどれが最後になるかわからないんだから、と言われていたのに。

 最後の最後にそれができなかった。

 もう誰にも顔向けできない、そう思い涙した。



 この一年を振り返れば、やるべきことはやったはずだった。

 昨年秋季関東インカレで、西坂さんは三年生ながら470チームを牽引し、東大は33年ぶりの両クラス全日本進出を決めた。その直後の葉山納会。ほぼ何もヨットを知らないサポートメンバーだった僕に、西坂さんは酒の勢いだったけれど

お前を全国の舞台に連れて行ってやる。

 そう言ってくれた。西坂さんはそのことを覚えていないかもしれないけれど、それ以来僕はその言葉を信じて頑張り続けた。

 一学期。学校があっても僕たちは必ず木金で自主練した。ヨットに本格的に乗り始めて半年かそこらの僕にとって、誰にも言わなかったけれど正直辛かった時もあった。言い出したらキリがないけれど、ぶら下がってるだけだし、西坂さんは誰と乗っても成績を残すと言われ続けた。西坂さんのクルーは自分じゃなくてもいいんじゃないかな、自分別に要らないんじゃないかな、と。でもまずは絶対全日本個人戦に出るんだ、あの言葉を信じついていった。

 そして迎えた関東個人戦。あの納会以来1番の目標にしてきた、全日本個人戦のかかった大会。いつも通りヘラヘラしていて表には出さなかったけど、今までのヨットレースで一番緊張した。
 第1レース。1マークを20番付近で回ろうとしたところで僕が落水。順位をだいぶ落とし焦っていた僕に、西坂さんは怒ることなくまだ大丈夫、落ち着いていこうと声をかけてくれた。
 最終レース。上有利の中上1即タックでセオリー通りのコースを引き、1マークは10番ほど。前にも後ろにも強豪校の名の売れた選手しかいなかった中、後半順位をさらに上げ、100艇近く出ているレースで6位フィニッシュ。関東17位で全日本個人戦への出場権を勝ち取った。
 この人についていってほんとに良かった、そう思った。

 待ちに待った全日本個人戦。この大会に備え週7でアホみたいに練習した。全日本デビューで緊張するかと思ったけれど、実際はめちゃめちゃ楽しかった。全国から予選を勝ち抜き結集した強者たち。少しのミスが命取りとなるシビアな世界で、2度の10番台をとり全国で25位と、自信をつけて葉山に戻った。

 葉山に戻ってからはトラブル続きであまり練習できなかったけれども、全日本個人戦での経験をチーム全体に上手く共有し、直前のコース練習でも手応え十分。チームとして関東で入賞を狙える力はあると思った。僕自身成長してブローもだいぶ見えるようになってきたし、動作の熟練度も上がって常に反対海面を観察する余裕もできた。

 そしてはじめにも振り返った秋季関東インカレ団体戦決勝。西坂さんは、たまに派手なレースをするのではなく、エースとして安定して良い成績を取り続けることを自らに課して臨んだ。結果は、ほぼ常に10番前後で安定し、個人成績11位。もし3艇共この成績であれば関東で4位入賞の成績だ。全日本に行けた、あと1ヶ月は西坂さんから多くの経験を吸収しつつ自分の弱点を改善していくことができる、もっと上にいける。残り1ヶ月が楽しみで仕方なくなった直後の9位転落という悪夢。

 こんなところで終わるはずじゃなかった。

 レース途中で全日本に行けると確信してしまったあの時。ほんの少しの気の緩み。そんな自分が許せなかった。お調子者の自分に下された天からの鉄槌。そう思った。

 最後は気持ち。今までバカにしていた言葉だけれども、結局はこの言葉通りになった。



 この1年間、西坂さんと一緒にヨットに乗って2人とも大学で始めたとはとても思えないような成績を出し続け、本当にただただ楽しかった。ここ数日、この一年を思い出す度に涙が止まらなくなって初めて、ヨットが知らぬ間に自分の中でこんなにも大きな存在になっていたことに気がつかされた。ヨットの楽しさ、奥深さを教えてくださった先輩方、特に西坂さんには感謝してもしきれない。

 宝物をありがとう。

 これまで、小松コーチ含め多くの方々に支えられてヨットに乗ってきた。それにも関わらず、結果はどうあれ最後の最後に気持ちを緩めてしまった自分がとにかく腹立たしくてたまらない。正直もう支えてくださった人たちに顔向けできないと思った。けれども、この1年僕はめちゃくちゃ楽しかった。この経験を後輩のみんなにも必ず味わってもらいたい。というか、味わせてあげたい。

 西坂さんと前を走った経験。一時代を築いた西坂惇之のクルーであり、関東470ベストクルー水石さおりの直系の後輩。まだまだ未熟だけれども、大きなものを背負うだけの覚悟はできている。

 今度は僕がみんなを楽しませる。

 それが残された者の使命。

 いつまでもクヨクヨしてはいられない。

 来年の秋に向けて。もう新しいチームは始まっているのだから。

東京大学運動会ヨット部2年
470クルー
天木 悠太