東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

夏の幻

2020年10月19日 15時00分00秒 | 引退ブログ

4年スナイプスキッパーの永田です。

 

台風により3日間ともノーレースとなり、翌週に持ち越しとなった、スナイプの秋イン決勝。関東470と併催というイレギュラーな状況の中、またしてもかなりの強風で3レース行われました。

 

結果は11位。ボーダーとは57点差。

完敗。

 

決して、自分たちの実力が全然発揮出来なかった訳ではありませんでした。ベストとはいえなくても、納得いく走りは割と出来ていたはず。特に、追い込まれて崖っぷちの第3レースは、自分史上最大に集中できていたと思います。

それでも、蓋を開けてみればFinishは半分以下の順位に。死力を尽くした結果がこれなのか。自分の実力不足を痛感するとともに、自分の引退が確定しました。

 

レース前、小松さんや470チームのみんなから、「自分を信じて走り続ければ、きっといい順位で帰って来れる」、とエールを貰いました。

実際、強風には大きな自信がありました。秋イン決勝直前の2週間ほどの自主練、ほぼ毎日練習に参加し、赤旗に近い強風だろうと臆することなく海に出て、確かな感触を得ていました。クローズは308418よりも速いスピードで走れたし、ランニングも数々のアドバイスを頂いた結果、十分通用するだけの速さを得たと思っていました。

しかし、結果はそんなに甘いものではありませんでした。強豪校はもちろん、ボーダー争いする各校にもクローズでは走り負けていたようでした。ランニングはある程度通用したとはいえ、クローズの差を強く感じました。

 

着艇後、みんなが口々に言っていたのは、

「練習不足」

このコロナ禍で満足に練習の出来なかった今季。ヨット部の中でも比較的遅い、7/31まで練習自粛となっていました。自粛期間も毎週複数回ミーティングを行い、セーリング動画やタクティクスの研究など、やれる事はやってきたつもりです。再開後も真摯に練習に取り組んできましたが、結局感じたのは練習不足・実力不足。惜しくもなんともなく、悔しいという気持ちすら抱けませんでした。変な話かもしれませんが、悔しいと思えなかったことが、悔しかったです。

 

僕はレースメンバーの中でも特に練習不足でした。というのも、7/31に再開した直後、大学院入試の院試勉強のために、我儘を言って8月末まで休部させて貰っていました。航空の入試は非常に難関とされており、さすがに両立は不可能だと考えて決断しましたが、部に多大な迷惑をかけることにもなるので、非常に苦しい思いの日々を過ごしていました。院試が無事終わり復帰したら、人一倍努力して取り戻さなければと強く決心していました。

(余談、というか謝罪ですが、院試で完全に失敗したと喚き散らして勝手に病んで数日体調不良で寝込んだ挙句、結局合格しているという完全なる「落ちた落ちた詐欺」をしてしまったことに関しまして、関係者各位には深くお詫びいたします。)

 

復帰後、精力的に練習に励んだ結果、動作など拙い点は多少ありましたが、それなりに感覚は取り戻せて、好調になってきたなと感じるようになりました。その最たる例が、江ノ島スナイプでの上マーク1位回航でした。

 



本船付近からいいスピードで飛び出して即タックし、右の風を掴んで返したらトップでした。70艇を従えて回航する爽快さは、今でも鮮明に覚えてますし、一生忘れることはないでしょう。

 

そんな中で臨んだのが、先日の関東個人戦。全然ダメでした。当日朝にメインハリのロープが切れて出艇が遅れるなどのトラブルから、無意識のうちに焦ってしまっていたのでしょうか。動作がぎこちなく咄嗟の判断のミスなどもたくさんあり、全く自分の力を出せませんでした。最終レース後、喜びのガッツポーズをする418308の姿を見て、思わず涙腺が緩みました。悔しい、そして自分だけ散々だったという、不甲斐ない気持ちで苦しかったです。

 

もう悔し涙は流すものか、という強い決意を胸に、残り僅かの練習を頑張ってきました。そして、関東団体戦決勝。ミスは多少ありましたが、今回のレースは思い残すことなく全てやり切りました。小松さん曰く自分が東大を教えてきて初めてだという、3艇とも完全にノーケースノートラブルノー文字で終わることもできました。しかし、それは最低条件。全日本に確実にいく、そして関東や全国で入賞するならば、さらに何ステップも必要なのだ、と痛感しました。

 

 

全日本出場は幻となり、葉山の海に消えていきました。でも、ふと思うんです。もしかすると、近年のスナイプチームの成長に足りなかったのは、この敗北の味なのかもしれないな、と。この敗北のキズを長岡主将をはじめとする後輩たちも強く味わったと思うので、ここからもう一度「ブレイクスルー」して、さらなる「高みへ」と向かっていき、花咲かせてほしいです。

僕も、葉山に見た幻を再び追いかけたいので、出来るだけ練習を見にいきたいし、教えられることがあれば全て教えていこうと思います。

 

 

振り返ってみれば、僕のヨット部人生は順風満帆というより紆余曲折でした。1年の時はスナイプチームでしたが、2年の春から秋までクルーザー班にいってイタリアワールドに行き、秋からスナイプに復帰したものの、冬には肩を怪我して3ヶ月近く乗れず、そこから死ぬ気で頑張って復活して全日本インカレのレギュラーをとったかと思えば、今度は春先からコロナ禍で自粛。何回もタックを繰り返して、沈したりゲインしたりまた沈したりと、本当に忙しいヨット部人生でしたが、本当に夢中になって頑張ってこれた、幸せな4年間でした。

でも、まだ上マークにも辿り着いてないのかなと。ヨット部というレースは終わってもヨット人生のレースはまだまだ先が長いので、もう少し走り続けてみようかな、と思います。

 

 

最後になりますが、4年間支援して下さったLBの方々、たくさんの指導をして下さった小松コーチや先輩方、最後まで一緒に戦ってきた同期たち、支え続けてくれた頼もしい後輩たち、いつも応援してくれた家族、本当に感謝しております。そして、こんなにも素晴らしい部活に出会えたことを誇りに思います。

 

4年間、ありがとうございました。

 

 

東京大学運動会ヨット部  永田裕之



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