歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

芦屋市・打出小槌古墳 二重周濠を発見

2010年08月30日 | Weblog
 芦屋市教委が30日、同市打出小槌(うちでこづち)町の打出小槌古墳(前方後円墳、5世紀後半)の後円部を囲む濠が二重になっているのが見つかったと発表した。
 また、周濠部を含めた全長は75mで、築造時期は古墳時代中期の490年頃と推定されるという。周濠は盾形で、外側の堀は幅1.2m、深さ0.4m。
 すぐ東にある金津山(かなつやま)古墳(全長55mの前方後円墳、460年頃、)でも二重周濠が確認されているため、河内地方から畿内と九州との交流の玄関口にあたる地域へ勢力を拡大してきた、2世代にわたって強い政治勢力を持つった大豪族がいたと推定している。
 現地説明会は9月2日(木)午後1時~3時半に開かれる。市打出教育文化センター(阪神打出駅北)に集合。
[参考:産経新聞、毎日新聞]



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長崎県小値賀島・前方湾海底遺跡 12世紀前半の中国の白磁などが新たに見つかる

2010年08月30日 | Weblog
 アジア水中考古学研究所(福岡市)は20日から、北松浦郡小値賀(おぢか)町の前方湾海底遺跡の発掘調査を行っていて、12世紀前半の中国の白磁などが新たに見つかるなど、12~13世紀にかけ、五島列島北部を支配していた在地豪族が中国と私貿易をしていたことを再確認した。
[参考:長崎新聞]

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愛媛県鬼北町・興野々寺山遺跡 県内最大級の弥生集落跡

2010年08月28日 | Weblog
 愛媛県北宇和郡鬼北(きほく)町興野々(おきのの)の興野々寺山遺跡で、2世紀前半頃とみられる県内最大級の弥生集落跡が見つかったことが27日、町教委員への取材で分かった。
 同遺跡は広見川近くの丘陵地にあり、町教委が町内の遺跡分布を調べるため7月1日から調査していた。3.4~4.4m四方の方形住居跡が少なくとも6棟見つかり、住居跡などからは土器片も多数出土した。
 非田園地帯から大型集落跡が見つかったのは予想外という。
[参考:愛媛新聞]



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坂井市・豊原寺跡 無届工事で土器を多数破壊 発掘調査へ

2010年08月28日 | Weblog
 坂井市教委は9月下旬から、泰澄大師が大宝二年(702)に開いたとされる同市丸岡町豊原の豊原寺(とよはらじ)跡で発掘調査を行う。
 今月初旬に地元の森林組合が森林伐採の作業道を造成した際、寺跡内の白山神社跡近くで、土師器の皿など千枚以上の土器片が見つかった。大きさは7cmから10cmを超えるものまであった。調査期間はおよそ2週間。

 豊原寺は、勝山市の白山平泉寺とともに、白山信仰の拠点として栄え、中世には「豊原三千坊」と呼ばれるほど、多くの寺院が立ち並んでいたと伝えられる。だが、天正三年(1575)に織田信長に焼き払われた。
[参考:中日新聞]

過去の関連ニュース・情報
■2010.8.5朝日新聞より
豊原寺跡の一角で無届け工事、土器を多数破壊 坂井森林組合
 飛鳥時代から白山信仰の拠点として栄えた豊原寺跡の一角に今春、地元の坂井森林組合(あわら市)が文化財保護法に基づく届け出をしないで作業道を造成し、中世の土師器多数を破壊していたことが4日、分かった。
 4月21日に市文化課の職員が作業道を見つけ、県文化課と実態を調査。山肌を約5m削った場所もあり、現場には中世のものとみられる土師器片が多数散らばっている。

勝山市白山平泉寺
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浜松市・木船廃寺 白鳳時代の幻の寺の位置が確定

2010年08月28日 | Weblog
 浜松市は27日、「幻の寺」とも呼ばれていた木船(きぶね)廃寺の位置が確定されたと発表した。
 8月16日からの、保育園ルミーナ・プレスクール(同市東区和田町315)の建て替え工事に伴う発掘調査で、数千点の古代瓦が出土し、その形状や型式の特徴から、木船廃寺が同所にあったことが分かった。また、7世紀後半から8世紀後半まで100年近くの間、存続していたことも明らかになった。
 瓦はこれまで知られていたものとは異なる形の「軒丸瓦」や「軒平瓦」が発見された。奈良の有力寺院や平城京に使われていた瓦と似た、当時としては最新のデザインと技術を使っていることから、木船廃寺を建立し、維持した当地の有力者は中央政権と密接な関係を持っていたことがうかがえるという。
 現地説明会が29日(土)午前10時からと午後1時30分からの2回に分けて開かれる。
[参考:中日新聞]

過去のニュース・情報
 2010.2.21 楠木遺跡 市内で2番目の廃寺跡 多量の瓦片が出土

2011.10.4追記
 浜松市HPにて、現地説明会資料(PDF)が公開されている。
 主なポイントは、
□過去に、礎石が確認されている。
□古代の長田郡(長上郡)の役所に付随する施設とみられる。
□これまでに出土した瓦は飛鳥時代後期の特徴を備えていたが、今回出土した瓦には、奈良時代後半(8世紀後半)に下るものが含まれる。
 山田寺式、川原寺式、石川寺式、平城宮式、遠江国文寺に似た特徴の軒丸瓦が出土して、中央政権と密接な関係をもっていたことがうかがえるとしている。



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中国・法王寺 釈迦舎利蔵誌「円仁の石板」は偽物か?

2010年08月27日 | Weblog
 今朝の読売新聞で『「円仁の石板」偽物の可能性』とのタイトルで、先月に公表された法王寺(河南省登封市)新発見の石板は、寺側が所有している拓本とは別物であるが分かったと報じている。指摘したのは書道史研究者の飯島太千雄さん。
 ①公表された石板の写真(文字面縦約40cm、横約59cm)と ②栃木県大慈寺に法王寺から贈られた拓本(文字面縦38cm、58cm)では、文字面の大きさに差がみられること、そして、外枠の文様と文字の間隔が異なるとしている。
 ①は、法王寺の門の右横の塀にほかの石板とともに嵌め込まれており、入り口から右側2番目、上段に「円仁の石板」がある。
 ②は、出版されたほうの拓本としているので、香港延仏国際慈善基金会発行『大法王寺国宝仏骨舎利』の中にもある拓本と推定される。
 ①は、中国网络电视台からインターネットで動画配信されている「法王寺古刹秘史」から、その石板の映像が得られた。
 ②は、7月16日(金)に國學院大學にて行われた、「第11回入唐求法巡礼行記研究会」(注1)の報告会にて配布されたA3資料と同じ推定される。
 ①、②を比較すると、確かに前述のとおりであるし、一番初めの文字『釋』と外枠の文様との位置関係が大きく違っていることがわかる。
 飯島さんは、「石板は捏造品を作るための試作品とその完成品なのではないかと」と推測している、とする。
 「円仁の石板」は舎利物の発掘調査で見つかったものでなく、十数年前前後に寺の人間によって出土し、価値がわからずしばらくそのままになっていたとし、さらに、出土時に担当していた僧侶が亡くなっていて追跡が難しいようだが…。
[参考:読売新聞、(注1)での配布資料、中国网络电视台・動画「法王寺古刹秘史」]

「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物(読売新聞) - goo ニュース

過去の関連ユース・情報
 2010.7.16法王寺/釈迦舎利蔵誌と円仁、迦陵頻伽盒
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久留米市・神道遺跡 第26次発掘調査で新たに13基の埋甕を発見

2010年08月27日 | Weblog
 久留米市は26日、同市御井旗崎1丁目の神道遺跡(しんどういせき)から、新たに12基の埋甕(うめがめ)を発見したと発表した。 過去の出土分を合わせると18基で、1カ所の遺跡からの埋甕出土数は県内最多となった。
 埋甕は鉢形の土器を地面にそのまま埋めたもの。今回出土した埋甕の大きさは深さ約50cm、最大直径約40cm。
 これまで、縄文時代の縦穴住居や幅約5mを溝などが見つかっている。
 遺跡の近くには高良山があり、わき水が豊富にあったとみられ、3000年以上前から人間が生活拠点にしていたと考えられるという。
 28日午前10時~11時、地域住民向けに現地説明会が開かれる。
[参考:毎日新聞、福岡県庁HP]



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松江市・キコロジ遺跡 平安初期の「賀太」と書かれた墨書土器が多数出土

2010年08月27日 | Weblog
 松江市教委は26日、キコロジ遺跡(同市朝酌町)で、平安初期(9世紀頃)の墨書土器29点や漆器の皿3点、土製の馬などが見つかったと発表した。
 墨書土器は、直径約12cm、高さ約1.3cmの須恵器。「賀太」と書かれている土器が大半を占めており、「出雲国風土記」など古代の文献には見られず、複数の筆跡があるため、地名か人名などの固有名詞の可能性が高いという。ほかに、「南」「草」の字など。
 墨書土器は、国府跡など役所の跡から見つかる例が多いが、集落跡などでまとまって出土するのは希という。
 このほか、古墳時代後期(6世紀後半頃)の漆塗りの刀の柄頭2点も出土した。1点は未完成品のため、周囲に工人がいた可能性がある。緑釉陶器なども見つかり、周辺に豪族などの有力者が住んでいたことを示す貴重な発見とする。
 ほかに、田下駄や火おこしの道具などの木製の生活品も多く見つかった。
 同遺跡は、長善寺(ちょうぜんじ)ため池改修に伴い5月から調査。低湿地にあり、周りの平地から転落したものが遺物として残ったとみられる。
 出土品の一部は28、29両日9時~17時、朝酌公民館(同市朝酌町92-1)で展示される。午前10~11時には調査担当者による調査結果の発表もある。
[参考:読売新聞、山陰中央新報、中国新聞、NHK、松江市HP]
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舞鶴市・中山城跡 16世紀代の主要な郭の遺構が出土 一色氏城主説強まる

2010年08月27日 | Weblog
 府埋蔵文化財調査研究センターは23日、舞鶴市中山にある中世の山城「中山城跡」(面積約9千㎡)で、平坦地「郭(くるわ)」を斜面に階段状に設けて防御を固めた16世紀代の主要な郭の遺構が見つかったと発表した。
 主要な郭跡は標高約60mにあり、南北約40m、東西約17mの規模。西側の斜面に階段状に3つの郭を設けて、1つには近くを流れる由良川を見張るためのものとみられる建物を建てて、防御を固めていたらしい。
 山頂の郭から、住居や倉庫として使われた掘っ立て柱建物4棟と柵2条の跡見つかった。由良川に面した斜面の郭には見張り台跡とみられる深い柱穴が掘られており、由良川を往来する船舶を監視したものとみられるという。 郭からは武具や陶器など約150点も見つかった。戦国の山城らしく、刀の柄頭や甲冑の部品のほか、唐津焼のすり鉢や香炉、料理を盛ったとみられる明代の染め付け皿、天目茶碗片、碁石として使っていたとみられる黒い石なども見つかった。

 出土土器から戦国時代後半の16世紀前半に築城され、16世紀後半に郭の平坦面を広げるなど改変を行い、17世紀初頭に廃絶したという。
 発掘調査で築城時期や郭の構造が確認されるのは初めて。中山城跡は史料から、城主は丹後の守護大名の一色氏だったとも考えられているが、今回の出土品の内容や年代から一色氏の可能性が強まったという。
 現地説明会が28日午前10時半から開かれる。
[参考:朝日新聞、産経新聞、(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター]



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奈良市・大安寺 東塔跡周辺に2本の溝跡が出土し、「塔四面の大垣」裏付け

2010年08月26日 | Weblog
 奈良市教委は26日、南都七大寺の1つ大安寺(同市東九条町)の旧境内で、東塔跡東側から築地塀に伴う礫敷き2本の溝跡と溝跡からは鎌倉時代の瓦などが見つかったと発表した。
 基壇東側の階段を飾る化粧石から東約2mと約4・5mで平行に掘られた2本の雨落溝(ともに幅約1m、深さ約0・1m)が見つかった。2本の溝の間には築地塀などがあったと推定される。
 文献史料「大安寺別当次第」に大安寺の別当となった宗性(そうしょう)が1253年に塔を修理し、1266年に「塔四面の大垣を築いた」と記されていることから、溝の間にあったと想定される築地塀が『塔四面の大垣』で、整地も宗性によるものではとしている。
 出土した瓦には「大安寺塔」や「大安寺寶塔」との銘があり、形態から13世紀中ごろのものとみられる。
 同寺には七重塔とされる東西両塔跡が残り、2001年から調査を実施している。東塔跡は礎石やその抜き取り穴から、塔本体は一辺約12mで、奈良時代以降の塔では東大寺に次ぐ規模と判明している。
 現地説明会が28日(土)午前10~12時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.11 大安寺 奈良期の錦幡を新調し再現
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京都・大山崎町・松田遺跡 13~14世紀の建物跡と中国・南宋から輸入?の白磁や青磁も出土

2010年08月26日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは25日、6月から実施している大山崎町の松田遺跡(同町円明寺松田)の小泉川東岸の発掘調査で、13~14世紀(鎌倉後期-室町前期)の掘立柱の建物跡3棟や柵列跡などが見つかったと発表した。
 3棟の建物跡のうち、最大のものは縦5・5m、横10・4m。柵列跡は調査区域の南端にあり、9つの柱穴が東西19mにわたり並んでいた。
 建物跡に並行して南北に走る溝からは、白磁の「合子(ごうす)」の蓋の一部が見つかった。牡丹の花文様が刻まれており、藤原頼通の娘・寛子が創建した白川金色院跡(宇治市)の敷地から出土した合子と同型(注1)という。
 各遺構からは、中国・南宋(1127-1279)から輸入されたとみられる白磁や青磁のほか、青銅製の水入れや硯、土師器の皿なども出土しており、皇族や貴族と縁のある領主の屋敷だったと考えられるという。
[参考:京都新聞]

(注1) 白川金色院跡(経塚)からは、青白磁の子持ち合子(12世紀)が出土しており、このことか? 2009.4.23付共同通信ニュースにて「青白磁刻花牡丹文子持合子」とある。
 松田遺跡出土のものと写真を比べると瓜二つではないようなので、同じ時期に同じ窯で作ったもので、生地、釉薬、文葉、彫刻がそっくりということだろう。共に入手ルートに興味がある。

過去の関連ニュース・情報
 2008.8.1 京都・大山崎町 松田遺跡 継体天皇ゆかりの地で古墳時代後期の集落跡

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大津市・惣山遺跡 倉庫群跡に大規模「版築」工法による整地跡が見つかる

2010年08月26日 | Weblog
 大津市教委が25日、近江国庁の関連遺跡国史跡・惣山(そうやま)遺跡(同市大江)で、奈良時代(8世紀)に「版築」工法で大規模に整地した跡が見つかったと発表した。
 倉庫群跡の西約50mの約200㎡を発掘したところ、東西15m、南北20mにわたり、当時の地表から約1.2mを版築を用いて土を積み上げていることが判明し、棒で突いた痕跡も残っていた。版築で固めた土からは遺物が出ていないことから、倉庫群を建設する際に一帯が造成されたと推測。
 同遺跡では計12棟の大型倉庫群が南北300mに一直線で立ち並んでいたことが判明しており、倉庫建設に伴う造成跡か、さらに何らかの施設を建てようとした場所ではないかとみている。
 現地説明会は28日午後1時半から開かれる。
[参考:読売新聞、産経新聞、BBCびわ湖放送]

過去の関連ニュース・情報
 惣山遺跡
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福岡県みやこ町・国作八反田遺跡 銅戈が出土

2010年08月26日 | Weblog
 みやこ町教委は25日、同町国作の弥生後期の集落跡「国作八反田遺跡」で「銅戈」が見つかったと発表した。みやこ町一帯を含む京都平野では、銅戈の一部とみられる銅片1枚が行橋市で見つかっているが、はっきりと形のわかる銅戈の出土は初めてという。
 銅戈は破片8枚が見つかり、復元したところ、鎌のような形状で、刃渡り約40cm、厚さ5mm。
 集落は3世紀前半に形成されたとみられ、9軒の竪穴式住居跡や1棟の掘立柱建物跡、土器の窯跡のほか、南側には祓(はらい)川に繋ながっていたとみられる水路跡(幅約20m、深さ約0.8m)が見つかった。
 出土遺物展示説明会が28日(土)午後1時から2時30分、みやこ町歴史民俗博物館仮収蔵庫前(同町豊津)で開かれる。
[参考:読売新聞、みやこ町HP]



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大津市・近江国府跡 国府北側から遺構出土、地鎮祭祀跡と緑釉陶器があり役所関連施設か? 

2010年08月26日 | Weblog
 大津市教委は25日、「近江国府跡」(大津市大江)で10世紀中頃(平安時代中期)の掘立柱建物2棟の遺構が出土したと発表した。
 これまで国府の一部とみられていた惣山(そうやま)遺跡や中路(ちゅうろ)遺跡などは国府の南側に位置するが、今回見つかった遺構は北側にあり関連施設とみられる。
 2遺構は国庁跡から北東約350mにあり、ほぼ同時代の柱の跡が複数確認された。何らかの理由で前の建物がなくなった後、新たに建てられたとみられる。前に建てられた遺構は東西9・5m、南北4・4m、柱穴50~55cm、後に建てられた遺構は東西10・8m、南北4・1m、柱穴30~40cm。いずれの遺構も中央部分に土師器が5~10枚重なっていた。周辺には炭の跡があり、地鎮のために執り行った祭祀跡とみられる。緑釉陶器や瓦も見つかっており、役所の関連施設だった可能性が高いとしている。
                    
 一方、大津市教委は、国庁南東側の惣山遺跡(同市大江)で約3千㎡にわたって、「版築」技法が使われたことも明らかにした。県内では最大規模という。
 現地説明会は28日(土)午後1時半から開かれる。近江国府跡、惣山遺跡の順で回る。
[参考:産経新聞、読売新聞、毎日新聞BBCびわ湖放送]

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.27 大津市・中路遺跡 古代官道「東山道」の関所の可能性
 2009.6.26 大津市・近江国府跡 国庁北側から建物跡が出土、役所跡か
 2008.12.11 大津市・中路遺跡 近江国府跡、勢多(瀬田)唐橋につながる東西一直線の道路跡を確認


キーワード:近江国府跡・国庁跡
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多気町・相可出張遺跡 飛鳥時代後期の「石組遺構」が出土

2010年08月25日 | Weblog
 三重県埋蔵文化財センターは24日、多気町の相可高校敷地内で発掘調査を進めている相可出張(おうかでばり)遺跡で、飛鳥時代後期(約1300年前)の「石組遺構」が見つかったと発表した。
 地面に掘られた溝(幅8m、深さ2mほど)の底面や側面に、こぶし大から直径30cm位の自然石が使われ、石垣状の「石積」、斜面に並べた「石貼(いしばり)」、平らな面に「石敷」で出来ている。溝には水が流れていた湧水(ゆうすい)の形跡があり、禊(みそぎ)など水にかかわる祭祀に使われていたのだろうと推測する。
 今回発見された遺構のように自然石を並べる方式は、飛鳥時代以前の遺跡に見られるといい、近くの斎宮との関係が今後の研究課題とする。
 現場説明会が29日(日)午前10時から午後3時まで行われる。
[参考:中日新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去のニュース・情報
 2010.7.2 多気町・相可出張遺跡 鎌倉時代の鍋が墓の副葬品として出土


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