歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

今年は親鸞の高弟・是信房の750年忌

2015年09月30日 | 盛岡
 家内の実家の遺品を整理していた時に、思いがけないものが出てきた。
 是信房650年紀念の時の集合写真である。写真に右上に押されたスタンプには、「彦部村石ケ森 大正四年十一月廿日 舊十月十四日」と記されている。 背景を見ると、彦部村本誓寺跡か是信房の墓の前であろう。
先の年月日からすると、今年は是信房750年忌(平成27年11月25日)である。

 


過去の関連情報
 2011-12-04 盛岡市・石森山 本誓寺


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鳥取県南部町・浅井11号墳 古墳時代前期の山陰最古の前方後円墳か 

2015年09月27日 | Weblog

 島根根大考古学研究室が24日、鳥取県南部町の標高約65mの山の頂上付近にある浅井11号墳は、築造時期が3世紀末~4世紀初め(古墳時代前期)で、山陰地方で最古の可能性がある前方後円墳と分かったと発表した。
これまでは本高14号墳(鳥取市、4世紀初め)が山陰最古の前方後円墳とされていた。
 前方後円墳が山陰地方に導入された時期を知る手掛かりになるという。
 明治時代に中国製とみられる画文帯神獣鏡が出土していたが、詳細は分かっていなかった。

墳丘の測量結果は
 全長約45m、後円部の直径約26mの前方後円墳。二段築成。後円部には、長さ約5・5m、幅0・8mの竪穴式石室がある。 
 板石を積んで石室の壁としており、石室に粘土を多用するなどの構造から築造年代を推定。
 祭祀に使ったとみられる土器のほか、副葬品とみられる鉄剣の破片も出土した。
 現地説明会は26日午後1時から開催された。
[参考:日本海新聞、共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]

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寝屋川市・小路遺跡 邪馬台国期の集落跡が見つかる

2015年09月19日 | Weblog
 寝屋川市教育委員会が17日、同市の小路(しょうじ)遺跡で邪馬台国時代(2世紀後半~3世紀半ば)の集落跡が出土したと発表した。
 北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてとしている。
 約4000㎡を発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認し、ごみ捨て穴などから、2世紀後半~3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300m、東西200mの範囲に広がると推測している。土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれていた。
 同遺跡の南東500mには忍岡(しのぶがおか)古墳(全長87mの前方後円墳、4世紀初め)があり、集落と関連する可能性があるとして,北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになると評価している。また、同遺跡からは、弥生時代末期の前方後方形周溝墓(墳丘長22.7m、後方部長12.2m、幅10.2m、前方部長10.5m、前端幅7m)が見つかっている。(注1)
 現地説明会は26日午後1~3時に開かれる。

[参考:読売新聞、(注1)「大阪平野における3世紀の首長墓と地域関係」(待兼山論叢史学篇、福永伸哉 2008.12.大阪大学)]






キーワード: 小路遺跡、忍岡古墳
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奈良県高取町・森ヲチヲサ遺跡 大壁建物内に柱跡が見つかる 

2015年09月16日 | Weblog
 高取町森の森ヲチヲサ遺跡で、今年7月に見つかった約13・5m四方の大壁建物跡(5世紀後半ごろ)の内部から、南北2間(約8m)、東西3間(約10m)の掘っ立て柱の穴(10個)を検出した。柱穴は直径約25cm、現存の深さ約60cm。
 建物跡内に完全に収まり、主軸も一致する。大壁建物の屋根は壁で支えられるが、今回の建物跡は従来の掘っ立て柱建物との折衷で屋根を支えたのではないかとしている。(倭韓折衷の大壁建物) 大壁建物跡から同様の柱穴を確認するのは全国初。
 また、「オンドル」の遺構で、焚口から約8m離れた位置から煙突跡も確認した。
 調査区では、この建物跡を最新のものとして大壁建物跡計9棟を検出。周辺には遺構が広がっているようだ。
[参考:奈良新聞、読売新聞]

過去の関連ユース・情報
 2015.8.1奈良県高取町・森ヲチヲサ遺跡 5世紀後半、最大級の大壁建物跡が出土
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胎内市・城の山古墳 「前方後円墳」の見解を訂正し、元の円墳に戻す

2015年09月08日 | Weblog
 新潟県胎内市の城の山古墳(4世紀前半)について昨年11月12日、全長62mの前方後円墳の可能性があると報じられたが、同市教育委員会は7日、継続調査の結果、前方後円墳の可能性を示す要素はなかったと見解を訂正した。
[参考:共同通信、日経新聞、産経新聞、毎日新聞、読売新聞]

関連ニュース・情報
 城の山古墳
  2014.111.2 城の山古墳 前方後円墳の可能性
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