歴歩

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大津市・中路遺跡 近江国府跡、勢多(瀬田)唐橋につながる東西一直線の道路跡を確認

2008年12月11日 | Weblog
 近江国府跡(大津市)から勢多唐橋(瀬田唐橋=せたのからはし)につながる東西一直線の道路跡が、奈良時代から平安時代にかけての近江国庁跡近くの中路(ちゅうろ)遺跡(大津市神領2丁目)で見つかったと大津市教委が11日、発表した。
 近畿から東北へ通じていた古代の官道・東山道の一部とみられる。路面幅は12~13mで、官庁街のメーンストリートと推定される。
 確認された道路跡は長さ約5m分だが、約800m西にある唐橋を向いている。2001年に国庁跡の南側で見つかった幅24mの南北道路と接続していたと推定される。
 路面の両脇に、深さ約1・8m、幅約2mの排水用の側溝がつく。南側の側溝は幅2m、深さ1.8m、北側は幅1m、深さ1mだった。
 周囲より約5m高い場所にあり、西側に坂道か階段があったと推測される。
 これにより、東西に並ぶ石山国分遺跡(推定保良宮跡)~勢多唐橋遺跡~堂ノ上遺跡(推定「勢多駅家」跡)~役所跡と見られる中路遺跡~倉庫跡がある惣山遺跡、を結ぶ大通りの存在が確実になったとする。
 また南東300mにある青江遺跡では、国司の館跡と、国庁を南北に結ぶ道路跡(長さ2m、幅20m)も発見。この道路は、近江国国司館(推定)と近江国庁を結ぶ約270mの官道の一部と考えられる。側溝を含めた道路幅は20mあまりに達し、西側には築地塀の跡(長さ9m、幅1.4m)もあった。
[参考:産経新聞、京都新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞]


キーワド:近江国府跡・国庁跡

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