歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

糸島市・篠原東遺跡群 戦国時代の木簡 「東・西・北・南・中央利養堅牢地神吉急々如律令」

2014年03月20日 | Weblog
糸島市教委は、篠原東遺跡群(糸島市篠原)の発掘調査で、戦国時代(15世紀後半~16世紀前半頃)のものとみられる木簡3枚が出土したと発表した。
 掘立柱建物跡の北西の角にある柱(直径16cm)の根元から出土した木簡(長さ17・2cm、幅2・6cm、厚さ0・35cm)には「東方慈父西方愛母北方長寿西方福徳中央 利養 堅牢地神急々如律令」と記されており、建築前の地鎮祭で使われた「呪符木簡」とみられる。
 2度目に出てくる「西方」は「南方」の誤りの可能性がある。
 建物跡の東側中央の柱は、正八角形であることがわかった。八角形の柱は通常、寺のお堂の中心柱などに使われるため、住居ではなく、特殊な用途の建物だった可能性もあるという。
 現地説明会が21日午前10時から正午まで開かれる。
[参考:読売新聞]

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 「呪符木簡」といっても、魔除けというより、四方中央そして地の恩恵や招福をすべて受けるための欲張ったお守りの感がある。
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天正遣欧使節・伊東マンショの肖像画をイタリア北部で発見

2014年03月17日 | Weblog
 安土桃山時代、ヨーロッパへ派遣された天正遣欧使節の正使、伊東マンショ(1569~1612)の肖像と記された油彩画(縦54cm、横43cm)がイタリア北部(個人所有)で見つかった。
 1585年、ベネチア訪問時の姿を、当時の大画家ティントレットの息子であるドメニコ・ティントレット(1560-1635)が描いたと位置づけている。
 2009年に伊トリブルツィオ財団の文書保存・管理担当職員、パオラ・ディリコさん(41)が確認し調査をしていた。
 スペイン風の衣装を着た東洋風の青年が描かれ、裏側に「D.Mansio」などと記されている。
[参考:読売新聞]

下記の朝日新聞に掲載された写真の伊東マンショはもみ上げを浅めに切り、口の周りの髭も薄いが、今回の絵は同じ年の絵ながら、もみ上げを長く伸ばし、口周りの髭も濃く長く伸ばしている。

過去の関連ニュース・情報
 2008.7.15 日向市塩見城跡 中山遺跡 国内初の土製キリシタン遺物が出土
 2005.11.29 伊東マンショの肖像が見つかる
 ローマ教皇グレゴリウス13世(在位1572-85)の子孫が所持している2枚の肖像画。そのうち1枚が襟付きの和服を着た少年を描いている。1585年の記載があった。
1582年2月、長崎を出発   (伊東マンショ13歳)
1584年8月、リスボンに到着 (伊東マンショ15歳)
1585年3月、ローマに到着  (伊東マンショ16歳)
1590年7月、長崎に帰着   (伊東マンショ21歳)
[参考:朝日新聞]

天正遣欧使節・伊東マンショの肖像、伊で発見(読売新聞) - goo ニュース



キーワード:伊東マンショ、伊東祐益

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京都市・京町屋跡 江戸時代初期の東南アジア産漆確認

2014年03月16日 | Weblog
 京都市中京区の江戸時代前期(17世紀前半)の町屋跡のごみ穴遺構で、2003~04年に出土したタイ(シャム)産とみられる「四耳壺(しじこ)」や木製のヘラ、刷毛(はけ)、日常生活用とみられる鶴亀文様の朱漆器椀などから、東南アジア産の漆の成分が確認された。
 国産漆は艶が少ないが、東南アジア産は黒い艶があり、厚く塗れる特徴があるという。 国内産とブレンドしていたとみられるとしている。 高級漆器の生産などに必要な大量の漆を賄うために輸入していたらしい。
[参考:朝日新聞]
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今治市・新谷森ノ前遺跡 前回より50年新しい竜を描いた絵画土器が出土

2014年03月08日 | Weblog
 愛媛県埋蔵文化財センターは6日、今治市新谷(にや)の新谷森ノ前遺跡から竜を描いた弥生時代後期(約1900年前)の絵画土器(高さ25.7cmの壺)が見つかったと発表した。
 同遺跡では昨年、今回より約50年古い時期の竜の絵画土器が出土しており、竜の土器を使った祭祀が長期間続けられていたことが分かったとしている。
 昨年には、2体の竜を描いた壺形土器と船を描いた鉢形土器が出土している。
[参考:愛媛新聞、読売新聞]
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橿原市・東池尻・池之内遺跡 「磐余池」候補地 L字型に屈曲

2014年03月07日 | Weblog
 橿原市教委は7日、同市東池尻町で「磐余池」とみられる人工池で、水をためるために築いた堤の幅が25~33mと巨大な規模であったと発表した。 遺跡名が「東池尻・池之内遺跡」と名付けられた。
「参考:共同通信、日経新聞」

過去の関連ニュース・情報
 磐余池
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香川県善通寺市・旧練兵場遺跡 弥生集落から銅鏡破片ほか祭祀道具片が出土

2014年03月07日 | Weblog
 弥生時代を中心に縄文時代から近代までの多様な出土品が確認されている旧練兵場遺跡(善通寺市仙遊町)の西端部分からから、銅鐸の破片1個や銅鏡の破片1個など新たに見つかった。
 善通寺市教委は、祭祀の行われた集落の中心部だった可能性が高く、これまで吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に匹敵する約45万㎡推定されていた遺跡規模が、さらに西側に拡がるとしている。
 現地説明会が9日(日)午前10時から開かれる。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 旧練兵場遺跡

追記 2014.3.10
 3/9の現地説明会後の記事が掲載されていた。 参加人数は不明。
 同遺跡は、これまでの四国最大級から西日本屈指の規模となるとしている。
 また、奈良時代の道路遺構が確認されたことも記されている。側溝が設けられた幅6mの大規模道路跡で、8世紀中ごろの公的な道路とみられる。同市内で見つかっている南海道(幅9m)に合流する道路だった可能性があるという。
[参考:四国新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 南海道
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下野市・甲塚古墳 機織り形埴輪2体(原始機および地機)を発見

2014年03月05日 | Weblog
 栃木県下野市教委は5日、同市国分寺の甲塚(かぶとづか)古墳(全長約80mの帆立貝形前方後円墳、6世紀後半)で機織をしている女性の埴輪2基を発見(復元)したと発表した。 ともに、全体の姿がほぼ完全に再現されており、機織り姿の埴輪の出土は全国初めてという。 2004年に埴輪の破片を発見し、復元作業を進めていた。
 一つは弥生―古墳時代後期に一般的な「原始機(ばた)」を模したもの(全長約45cm、幅約30cm、高さ約54cm)
 もう一つは結城紬(ゆうきつむぎ)の機織り機の原形とみられる「地機(じばた)」を模したもの(全長約73cm、幅約42cm、高さ約69cm)。
 2基は織機や糸、女性の着衣が、鉱物を含む顔料で赤や白、灰、黒の4色で彩色されていたことも分かった。
 2基は6日から23日まで下野薬師寺歴史館で、25日から5月6日までしもつけ風土記の丘資料館に展示される。
[参考:時事通信、共同通信、下野新聞、CRT栃木放送、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 機織

日本初出土、機織形埴輪の展示始まる 下野薬師寺歴史館(下野新聞) - goo ニュース

キーワード: 甲塚古墳
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奈良市・東大寺 大炊殿推定地で恭仁宮式文字瓦が10点出土

2014年03月04日 | Weblog
 奈良市埋蔵文化財調査センター(同市大安寺西2-281)で平成25年度春季発掘調査速報展(3日~28日)が開催されている。
 昨年度に調査された東大寺旧境内食堂院(じきどういん)地区と、今年度に調査された奈良町遺跡(同市今小路町)について、それぞれの成果と出土品が紹介されている。
 東大寺旧境内食堂院地区では、大炊殿(おおいどの)推定地から恭仁宮・東大寺法華堂・平城宮・平城京で出土している恭仁宮式文字瓦が10点出土している。
 文字瓦はいずれも奈良時代のもので、「真依(まより)」、「六人(むと)」、「東」、「長」、「東大」の文字が刻印されている。
 東大寺では法華堂に葺かれているが、法華堂の周辺以外でまとまって確認されたのは初めてという。

 奈良町遺跡については、13世紀前半のものとみられる鹿の角、15世紀前半のカイロ「温石(おんじゃく)」、安産や子供のお守りとみられる16世紀初めの犬形土製品などが展示されている。
[参考:読売新聞、奈良市HP]

過去の関連ニュース・情報
2009.11.18 木津川市・高麗寺跡 国が管理を裏付ける文字瓦が出土
 恭仁宮式文字瓦と呼ばれ、略字を交えて刻印した「太万呂」「乙万呂」。同じ名前が刻まれた瓦が恭仁宮跡と平城宮跡でも見つかっている。制作者を特定することで管理していたとみられ、市教委は高麗寺が国営の寺院に極めて近い重要な寺だったことを裏付ける史料としている。


キーワード: 恭仁宮式文字瓦
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福島県中島村・四穂田古墳 「短甲」が東北で初出土

2014年03月01日 | Weblog
 福島県立博物館などの調査で、中島村吉岡の四穂田(よほだ)古墳から鉄製短甲が東北地方で初めて出土していたことが分かった。
 同古墳は、阿武隈川左岸の河岸段丘上で発見された。 古墳の形や規模は不明、築造時期は約1600年前とみられる。 短甲1点のほか鉄製大刀3点と鉄斧、鉄製矢尻、槍鉋(やりがんな)、砥石、土師器などの副葬品が出土した。
 調査説明会が3月15日(土)午後1時半~3時、中島村生涯学習センター輝ら里(中島村大字滑津字二ツ山)で開かれる。
[参考:福島民報]




キーワード: 四穂田古墳、槍鉋、やりがんな、ヤリガンナ
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