歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

全南千徳里・懷德古墳群3号墳 6世紀前後の葺石を施した横穴式石室を持つ円墳と判明

2016年10月31日 | 韓国の遺跡・古墳など
 全南道によれば、全南和順綾州面千徳里懷德古墳群(천덕리 회덕고분군、全南道記念物192号)の3号墳を調査した結果、直径22.17m、高さ5.3mの6世紀前後に築造された円形古墳とわかった。
 封墳表面では葺石と横穴式石室が確認された。
 石室壁面と木棺には「永生不滅(영생불멸)」を象徴する朱漆装飾が施されていた。
 埋葬施設には50年の間に4人以上が追葬されたらしい。
 出土遺物は器台、高杯、蓋杯等土器類、刃物・斧・矢など鉄器類、金製耳飾り、玉(勾玉など)など100点余り。
 出土遺物などから、6世紀前後にこの地域に大規模勢力集団が存在し、百済、大伽耶、倭と活発な交流がされていたようである。
 今回の発掘は文化財庁の許可を受けて大韓文化財研究院が行った。
[参考:聯合ニュースなど]

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南あわじ市松帆地区 松帆銅鐸のひとつが出雲市・荒神谷遺跡出土銅鐸と同笵と判明

2016年10月27日 | Weblog
 南あわじ市教育委員会などが26日、昨年4月に南あわじ市で出土した「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期末~中期前半)のうち4個に、それぞれ同笵銅鐸があることが分かったと発表した。

 松帆5号銅鐸(高さ23.5cm)は、出雲市・荒神谷遺跡出土銅鐸6号(高さ23.7cm)と同笵と判明した。
  笵傷の付き具合から鋳造の順は、松帆5号は荒神谷6号より先と推定。
 松帆3号銅鐸(高さ31.5cm)と雲南市・加茂岩倉遺跡出土銅鐸27号(高さ31.4cm)が同笵。
 松帆2、4号銅鐸(高さ22.4cm、22.6cm)と南あわじ市の「中の御堂銅鐸」(高さ22.5m)が同笵。
  これらのうちでは、松帆2号銅鐸が最も後とみられる。
 また、松帆7号銅鐸は辰馬考古資料館(西宮市)所蔵の伊丹市中村出土銅鐸と同笵の可能性があるという。
[参考:神戸新聞、時事通信、共同通信、毎日新聞。読売新聞、南あわじ市HP]

南あわじ市 松帆銅鐸 新聞発表履歴
 2015年5月19日 南あわじ市(淡路島)で銅鐸7個が見つかる。
 2015年6月26日 銅鐸内に「舌」4本発見
 2015年8月13日 銅鐸にひもを初確認
 2016年2月7日 2号および4号銅鐸と江戸時代出土の中の御堂(なかのみどう)銅鐸が同笵と判明
 2016年10月14日 3号銅鐸と加茂岩倉遺跡の27号銅鐸が同笵と判明
 2016年10月26日 5号銅鐸と荒神谷遺跡の6号銅鐸が同笵と判明
         7号銅鐸と辰馬考古資料館(西宮市)所蔵伊丹市中村出土の銅鐸と同笵の可能性

過去の関連ニュース・情報
松帆銅鐸


淡路島で出土の4銅鐸 県内外に“兄弟”が存在

淡路と島根の銅鐸「兄弟」=流通解明の手掛かりに
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宮崎県えびの市・島内139号地下式横穴墓 鮫皮を巻いた「銀装円頭大刀」と古墳出土品のなかで国内最長の大刀を確認

2016年10月26日 | Weblog
 宮崎県えびの市教育委員会は24日、同市の島内(しまうち)139号地下式横穴墓に副葬されていた古墳時代後期(6世紀前半)の大刀に、ヤマト政権で高位の人物のみが身に着けることができた鮫皮(エイの皮)や高級織物の経錦(たてにしき)が使われていたと発表した。
鮫皮巻は高位の人物の持ち物であり、被葬者は朝鮮半島との外交などで重要な役割を果たし、政権との密接な関係があったとみられるという。
 同横穴墓は2014年に発掘され、被葬者は男女2人で、甲冑や弓矢、馬具などの副葬品約400点が確認された。市教委はこれらの保存処理と科学分析を、奈良県の元興寺文化財研究所に依頼していた。
男性被葬者の人骨の左側に置かれた鉄製大刀2点を分析したところ、

1点は長さ約15cmの柄(つか)に細かな粒状文様が特徴の鮫皮を巻いた「銀装円頭大刀」(全長約85cm)と判明した。鮫皮はエイの皮で、幅5ミリほどの銀線で固定されていた。
 この大刀は柄頭や鞘(さや)口などに施された銀の装飾の技術や形態から、朝鮮半島・百済製とみられる。鮫皮を用いた大刀では、聖武天皇(701-756)の遺品とみられる東大寺金堂(大仏殿)鎮壇具(奈良時代、8世紀)が知られるが、今回の大刀はこれを約200年さかのぼり、国内最古の例となる。東アジアでも実物が確認できる最古の例となる。

もう1点は古墳時代の刀剣としては国内最長となる142cm(復元すれば150cm)の「木装長刀」で、奈良県の藤ノ木古墳の大刀(136.5cm)より長い。鞘口に高級織物の経錦(たてにしき)が巻かれていた。6世紀前半では全国に4例しか確認されていない高級織物で、刀装具では初めての例という。そのため、大和政権のもとで作られ、大王周辺から贈られたものとみられるという。

 これらの刀は11月1日~12月25日、えびの市歴史民俗資料館で展示される。
[参考:宮崎日日新聞、南日本新聞、西日本新聞、共同通信、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞]

過去の関連ユース・情報
 えびの市島内地下式横穴墓


大刀2本の希少性判明 えびの・島内地下式横穴墓




キーワード:島内139号地下式横穴墓 、島内地下式横穴墓群139号墓、島内地下式横穴墓
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彦根市・稲部遺跡 邪馬台国時代の国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房跡が見つかる

2016年10月17日 | Weblog
 滋賀県彦根市教委が17日、同市の稲部遺跡(同市稲部、彦富両町)から国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房跡とみられる遺構が見つかったと発表した。
 大型建物跡は幅11・6m、奥行き16・2m。 同時期の纒向遺跡(奈良県桜井市)の大型建物跡(幅19・2m、奥行き12・4m)に次ぐ規模という。
 鉄器工房は一辺が3.5〜5.3mの方形の建物で、30棟以上が見つかり、そのうち23棟の床面から鉄片や鉄塊が見つかった。鍛冶や鉄を加工する際に使ったと思われる台石や、鉄製矢尻2個なども見つかった。
 東日本と西日本をつなぐ交通の要衝という近江の立地を生かした小国家があったことをうかがわせる。
 遺跡からは東海や北陸、山陰の土器も出土しており、各地との交流の要になっていたことがうかがえる。
 現地説明会は22日(土)午後1時半〜午後3時に開かれる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、産経新聞、京都新聞、時事通信]

過去の関連ニュース・情報
彦根市・稲部遺跡


古墳前期の超大型建物跡出土 滋賀・彦根の遺跡、クニ中枢か

邪馬台国時代、彦根に一大勢力存在か 稲部遺跡で国内最大級の建物跡、鍛冶工房跡出土

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南あわじ市松帆地区 「松帆銅鐸」3号銅鐸と雲南市・「加茂岩倉銅鐸」27号銅鐸 同笵鋳型製と判明

2016年10月15日 | Weblog
 奈良文化財研究所などへの取材で14日、昨春、兵庫県南あわじ市で見つかった「松帆銅鐸」7個のうち3号銅鐸(高さ31・5cm)が、島根県雲南市で1996年に出土した「加茂岩倉銅鐸」(39個、国宝)の27号銅鐸(高さ31・4cm)と同じ鋳型で作られた同笵(どうはん)銅鐸であることが分かった。
 ともに、型式は外縁付鈕1式で、文様は4区袈裟襷文。鋳造時に表面に付いた細かい傷の位置もほぼ一致した。松帆3号には「王」、加茂岩倉27号には「土」のような線の記号が同じ位置に確認できたという。
[参考:共同通信、神戸新聞]
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向日市・五塚原古墳 首長の4代目後の血縁者の埴輪棺が?

2016年10月13日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターは13日、「五塚原(いつかはら)古墳」(京都府向日市寺戸町)から、埋葬された首長の4代目の血縁者を納めたとみられる埴輪棺1基が見つかったと発表した。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 五塚原古墳
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平城宮跡 天平神護元年(765)木簡にペルシャ人役人? 「破斯清道(通を改める)」の名前

2016年10月06日 | Weblog
 奈良文化財研究所の調査で5日、平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが分かった。
「破斯=波斯」はペルシャを意味するとみられ、国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めて。
 木簡は1966年、平城宮跡東南隅の発掘で出土したが、当時は文字が薄いため全読できなかったが、今年、赤外線撮影したところ、「破斯」の文字を判読できたという。
 木簡は、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録で、「大学寮解 申宿直官人事 員外大属 破斯清通 天平神護元年」と書かれていた。「解 申宿直官人事」は、下級官司から上級官司への大学寮の宿直担当者に関する報告、「員外」は、令の規定する定員以外の官人。「大属」は大学寮の四等官制の最下級にあたる「属(さかん)」のうち、上位の者を意味する。
 続日本紀には、
■天平八年(736)八月廿三日。入唐副使從五位上中臣朝臣名代等。率唐人三人波斯人一人拜朝。
■天平八年(736)十一月三日。天皇臨朝。詔授(略)唐人皇甫東朝。波斯人李密翳等授位有差。
と記されており、遣唐使が連れ帰った唐の人三人、波斯一人が拝朝した(聖武天皇に会った)その後、この波斯人李密翳に位を授けたと解釈される。

 木簡は同研究所平城宮跡資料館(奈良市)で開かれる「地下の正倉院展」(月曜休館)で11月1~13日まで展示される。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、読売新聞、奈良新聞]

2016.10.13 追記
「破斯清通」と書かれた木簡は、解読を進めた結果、「破斯清道」に改められた。
また、同木簡出土場所から約70m北東で、同時期の外国人をとみられる顔を描いた木簡が見つかった。表に2つ、裏に一つ描かれ、いずれも伎楽で使われたペルシャ人の面に似ているという。
[参考:読売新聞]


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