2008年11月27日、宮内庁と堺市は百舌鳥・古市古墳群の1つで、陵墓参考地・御廟山(ごびょうやま)古墳周囲から5世紀中頃の大量の埴輪片が出土したと発表した。
「3段に積まれた墳丘の1段目テラスの端に並んだ円筒型の大型埴輪(直径40cm)の列を検出。さらに1段目斜面の下部にも冑形、蓋形など埴輪の破片を多数確認。祭祀を行ったと考えられている造り出し部に近い場所では、家型埴輪が見つかった。
いずれも5世紀中期ごろの製造とみられ、近くにある仁徳天皇陵の埴輪よりやや古く、仁徳より古い応神天皇の陵墓としての可能性が残った。」としていた。[参考:2008.11.28産経新聞、時事通信、読売新聞]
今回、出土した破片の接合作業を進めた結果、家形埴輪と、塀状の囲形埴輪(かこいがたはにわ)の形状が確認されたことが発表された。王族級の被葬者が祭祀を営んだ施設を模したとみられるという。
家形埴輪(幅16cm、奥行き22cm、高さ50cm)は「千木(ちぎ)」、「堅魚木(かつおぎ)」などの飾りを備えた神社建築と同様の屋根飾りが施されていた。
囲形埴輪(幅55cm、奥行き約90cm、高さ41cm)は、円柱の間に塀を設けて形作られていた。
囲形と家形がセットで出土したのは、大阪府八尾市の心合寺山古墳(しおんじやまこふん)など数例。一部の埴輪には、屋内の床上に水を引く樋(とい)のような構造が共通してみられ、5世紀の大王や地域の首長が水にかかわる祭祀を営んでいたと考えられるとしている。
[参考:読売新聞]
備考:
平成22年9月18日(土)~10月17日(日)に、皇居東御苑内三の丸尚蔵館展示室にて「皇室の文庫(ふみくら)書陵部の名品」展が開催される。展示品リストの中に、囲・家形埴輪(百舌鳥陵墓参考地出土)1組がある。2008年に出土し、神社建築を思わせる特徴と、添付されている写真から、おそらく御廟山古墳出土の家形埴輪と思われる。
[参考:宮内庁HP]
追記:2010.11.10
今朝の産経新聞で「大阪・堺の御廟山古墳 国内最大の「囲形埴輪」だった」として記事が掲載されていた。御廟山古墳であらたに囲形埴輪が見つかったのかと思ったが、そうではなかったようだ。上記の皇居東御苑内三の丸尚蔵館展示室にて展示されていた囲・家形埴輪(百舌鳥陵墓参考地出土)1組、すなわち2008年に御廟山古墳から出土したものを、堺市博物館・百舌鳥・古市古墳群 世界遺産暫定一覧表掲載記念 特別企画展・「百舌鳥古墳群-その出土品からさぐる-」(平成22年11月14日(日)~平成23年1月23日(日))で展示しますという内容のようだ。
いずれにしても、三の丸尚蔵館展示室で見た実物は大きくて驚いた。大きさは1mを越えていたと思っていたが、90cmとなっている。囲いにある扉部分は実際に開閉できる構造になっており、囲いの内側に置かれた小型の家形埴輪は、神社建築と同様の屋根飾りで、堅魚木が3本見えるが、取り付けられている位置から元は4本だったかもしれない。千木は切り妻の屋根の両端に交差して取り付けられているが、内削ぎとも外削ぎとも判断できない。また、高床式ではなかった。
過去の関連ニュース・情報
2008.11.29 御廟山古墳・全長200mと判明
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いずれも5世紀中期ごろの製造とみられ、近くにある仁徳天皇陵の埴輪よりやや古く、仁徳より古い応神天皇の陵墓としての可能性が残った。」としていた。[参考:2008.11.28産経新聞、時事通信、読売新聞]
今回、出土した破片の接合作業を進めた結果、家形埴輪と、塀状の囲形埴輪(かこいがたはにわ)の形状が確認されたことが発表された。王族級の被葬者が祭祀を営んだ施設を模したとみられるという。
家形埴輪(幅16cm、奥行き22cm、高さ50cm)は「千木(ちぎ)」、「堅魚木(かつおぎ)」などの飾りを備えた神社建築と同様の屋根飾りが施されていた。
囲形埴輪(幅55cm、奥行き約90cm、高さ41cm)は、円柱の間に塀を設けて形作られていた。
囲形と家形がセットで出土したのは、大阪府八尾市の心合寺山古墳(しおんじやまこふん)など数例。一部の埴輪には、屋内の床上に水を引く樋(とい)のような構造が共通してみられ、5世紀の大王や地域の首長が水にかかわる祭祀を営んでいたと考えられるとしている。
[参考:読売新聞]
備考:
平成22年9月18日(土)~10月17日(日)に、皇居東御苑内三の丸尚蔵館展示室にて「皇室の文庫(ふみくら)書陵部の名品」展が開催される。展示品リストの中に、囲・家形埴輪(百舌鳥陵墓参考地出土)1組がある。2008年に出土し、神社建築を思わせる特徴と、添付されている写真から、おそらく御廟山古墳出土の家形埴輪と思われる。
[参考:宮内庁HP]
追記:2010.11.10
今朝の産経新聞で「大阪・堺の御廟山古墳 国内最大の「囲形埴輪」だった」として記事が掲載されていた。御廟山古墳であらたに囲形埴輪が見つかったのかと思ったが、そうではなかったようだ。上記の皇居東御苑内三の丸尚蔵館展示室にて展示されていた囲・家形埴輪(百舌鳥陵墓参考地出土)1組、すなわち2008年に御廟山古墳から出土したものを、堺市博物館・百舌鳥・古市古墳群 世界遺産暫定一覧表掲載記念 特別企画展・「百舌鳥古墳群-その出土品からさぐる-」(平成22年11月14日(日)~平成23年1月23日(日))で展示しますという内容のようだ。
いずれにしても、三の丸尚蔵館展示室で見た実物は大きくて驚いた。大きさは1mを越えていたと思っていたが、90cmとなっている。囲いにある扉部分は実際に開閉できる構造になっており、囲いの内側に置かれた小型の家形埴輪は、神社建築と同様の屋根飾りで、堅魚木が3本見えるが、取り付けられている位置から元は4本だったかもしれない。千木は切り妻の屋根の両端に交差して取り付けられているが、内削ぎとも外削ぎとも判断できない。また、高床式ではなかった。
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