歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

福島県川俣町・前田遺跡 縄文時代中期、国内最古の「火切り臼」が出土

2019年03月29日 | Weblog
 福島県教委が26日、川俣町小綱木の前田遺跡から出土した、縄文時代中期(約4500年前)の「火切り臼」(火おこしに使われた道具)や漆器を報道陣に公開した。
 発掘調査は昨年7~12月に実施。
 県教委によると、出土した火切り臼は約5cmの木片。 縄文時代前期から、木の板の凹み(火切り臼)に垂直に棒を立てて回転させる火おこし「錐揉み(きりもみ)法」が行われていたと考えられている。縄文時代では、北海道小樽市の忍路土場(おしょろどば)遺跡(縄文後期)、石川県能登町の真脇遺跡(縄文後期・晩期)に続く3例目の出土で、国内最古とみられる。
 このほか、漆塗り製品も出土した。 赤の漆で塗られた土器の側面や縁の部分には、黒の漆で模様が描かれていた。
 取っ手が付いた木器など木製品も多く出土した。水玉や縞模様が描かれた土器の破片などもあった。
[参考:福島民友、共同通信、河北新報]


国内最古「火切り臼」出土 川俣・前田遺跡、縄文の重要な資料

漆塗り縄文土器が出土 「際立つ装飾性、概念が変わる可能性」 福島・川俣の前田遺跡
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大阪市・大坂城 豊臣の大名屋敷跡が見つかる 佐竹義宣の屋敷跡か

2019年03月20日 | Weblog
 大阪府教委は20日、大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣秀吉が整備した「大坂城三ノ丸」にあたる場所で、豊臣家六大将(徳川、前田、島津、毛利、上杉、佐竹)の一人、佐竹義宣(佐竹氏19代当主、1570-1633)の大名屋敷とみられる建物跡や、豊臣方が大坂の陣に備えて作った火縄銃の弾が見つかったと発表した。
 三ノ丸は慶長3年(1598)から整備が始められた。 礎石立ちの建物跡が2棟見つかり、そのうち1棟は東西約20m、南北約15mと規模が大きい。 建物近くで佐竹氏の家紋「扇に月丸紋」がある瓦が3点出土した。 豊臣時代の「大坂城」の周辺から当時の大名屋敷跡が見つかるのは今回が初めてという。
 建物跡は現在の地表から約2~3m下から見つかったが、徳川氏による大坂城再築工事で埋められていた。
 現地説明会が23日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHKニュース]


豊臣六大将・佐竹義宣氏邸宅か 大坂城西側で出土

豊臣大坂城三ノ丸に大型建物 武将・佐竹義宣の屋敷跡か

大坂城に豊臣家重臣の大名屋敷跡 佐竹義宣か、火縄銃の弾も
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奈良市・平城京左京六条三坊十二坪 東堀河の荷揚げ場 舟入遺構か

2019年03月19日 | Weblog
 奈良市教委員会埋蔵文化財調査センターの昨年4~5月の調査で、奈良市大安寺2丁目の平城京跡で、運河「東堀河」の東側で船の荷揚げ場「舟入(ふないり)」とみられる遺構が見つかった。
舟入遺構は東西16m、南北6m以上、深さ0・8m。西側で幅4・3m分検出した東堀河跡と幅約2m、長さ約1m、深さ0・6mの溝を介して接続されていた。
 古代の都城跡で同様の施設が確認されるのは初めて。
 出土遺物は、同市大安寺西2丁目の同センターで開催中の平成30年度春季発掘速報展(~29日まで)で展示されている。
[参考:奈良新聞、奈良市HP]

過去の関連ニュース・情報
奈良市・平城京左京
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神埼市・吉野ケ里遺跡 弥生後期の硯が出土 有明海沿岸で初

2019年03月15日 | Weblog
 佐賀県教委は13日、吉野ケ里遺跡(同県神埼市吉野ケ里町)で出土した石製品が弥生時代後期の硯(すずり)とみられると発表した。有明海沿岸では初めての出土。
 硯は、1993年に弥生後期の竪穴住居跡から出土した。長さ7・8cm、幅5・2cm、厚さ1・0cmの長方形の板状で、全ての側面が磨かれているため、完成品とみられる。墨が付着した痕跡は確認されていない。
 また、1995年に遺跡内の溝跡で出土した石製品は、墨をすりつぶすための研石(長さ3・8cm、幅3・5cm、厚さ0・5cm)とみられ、硯と研石が佐賀県内で見つかったのは中原遺跡(同県唐津市)に次いで2例目という。
 県教委は14日から4月上旬(予定)まで、吉野ヶ里遺跡展示室(国営吉野ケ里歴史公園内)で速報展示会を開催する。
[参考:西日本新聞、日経新聞、NHK佐賀、佐賀市教委HP]

過去の関連ニュース・情報
 吉野ケ里遺跡
 弥生硯
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大和郡山市・平城京南方遺跡 「十条」条間北小路とみられる道路遺構が見つかる

2019年03月15日 | Weblog
 大和郡山市教委が13日平城京羅城門の南にある平城京南方遺跡(同市野垣内町)で、道路遺構が見つかったと発表した。
 九条大路の南側でも道路遺構の発見がみられ、造営当初は十条大路まであった可能性があるという。
 市教委が2月から、羅城門跡の南西150mの109㎡を発掘調査したところ、幅6mの東西道路跡が見つかった。
 九条大路と並行する「十条」条間北小路と西一坊坊間西小路と交差する地点よりやや西側の場所に当たる。
北側に2本の溝跡があった。内側の溝(幅1・8m)を埋め戻した後に外側の溝(幅2・6m、奈良時代中頃)を削ったらしく、道路の幅を7・6mに広げていた。
 羅城門や城壁と一体的に機能させるために一帯を再整備した可能性が高いという。
 続日本紀に、天平十九年(747)六月十五日己未 於羅城門雩。 (羅城門で雨乞いをした)
とする記述があり、この時期までには羅城門は築かれていたとみられる。
 現地説明会が16日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、奈良新聞、産経新聞]

過去の関連ユース・情報
2018-6-9 大和郡山市・平城京南方遺跡 平城京南端とされる九条大路より南側で、奈良時代の道路遺構が2カ所見つかる
2012-12-24 大和郡山市・平城京南方遺跡 京域が九条までだった可能性を示す溝跡が見つかる


「羅城門」南西で新たに道路跡 京の玄関口と一体整備か 平城京

平城京外に「十条」道路跡? 奈良・大和郡山
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三重県・斎宮跡 飛鳥時代の宮殿一部か

2019年03月07日 | Weblog
 斎宮歴史博物館(三重県明和町)が6日、国史跡・斎宮跡(同町)で、7世紀後半から8世紀初めの飛鳥時代に建てられた宮殿の一部とみられる建物遺構が見つかったと発表した。
 最初の斎王は天武天皇3年(674)に派遣された天武天皇の娘、大来皇女(661-702)とされ、今回見つかったのはそれに続く時期の遺構。
 「日本書紀」の記述を裏付ける重要な発見としている。
[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
2019,1.5 三重県明和町の国史跡・斎宮跡で、飛鳥時代後半(7世紀後半~8世紀初頭)の斎宮の中心施設である、方形区画と多数の建物跡が見つかった。天武天皇の娘で初代斎王・大来皇女の就任に伴い造営されたとみられる。
現場は国史跡範囲の西部に位置する。2018年度の発掘調査で、区画の北東隅とみられる直角に折れた塀跡が見つかり、過去に発掘された塀跡と合わせて東西約40m、南北約60m以上の方形区画が存在することが分かった。区画内では脇殿とみられる掘立柱建物跡が4棟、さらに区画外の西では、3間×4間の大型総柱建物を含む倉庫跡が7棟あることが確認された。
[参考:読売新聞、斎宮歴史博物館HP]

斎宮跡


斎宮跡で飛鳥時代の宮殿一部か 伊勢神宮奉仕の皇女過ごす
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阿南市・若杉山遺跡 水銀朱の原料となる辰砂の坑道跡を最古となる弥生後期と確認

2019年03月01日 | Weblog
 阿南市と徳島県教委が1日、赤色顔料「水銀朱」の原料となる「辰砂(しんしゃ)」が採取されていた若杉山遺跡(阿南市水井町)の坑道跡が、土器片の年代から弥生時代後期(1~3世紀)の遺構と確認されたと発表した。
坑道跡は太龍寺山(たいりゅうじざん、標高618m)の斜面・標高約250mにあった横穴。全長12.7m、高さ0.7~1.2m、幅3m。
 これまで最古とされてきた山口県美祢(みね)市の長登(ながのぼり)銅山跡の坑道(8世紀)を約500年さかのぼり、国内最古の坑道という。
[参考:共同通信、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
若杉山遺跡


徳島に国内最古の坑道 弥生土器出土、朱を採掘

徳島に最古の鉱山遺跡か 卑弥呼も入手?「朱色」の原料
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