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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

柏原市・鳥坂寺跡 金堂跡近くから埴輪が出土、古墳を整地し造営か

2010年08月05日 | Weblog
 柏原市教委は4日、7世紀後半に建立された鳥坂(とさか)寺跡(同市高井田)の発掘調査で、金堂跡南側に造成地が確認され、前期古墳時代のものと見られる埴輪や石材が出土したと発表した。古墳を壊して盛り土をし、金堂や講堂を建設したとみられるとしている。
 鳥坂寺は「続日本紀」にも記録が残る寺(注1)で、聖武天皇や孝謙天皇とゆかりが深い、河内地方にあった「河内六寺」の一つ。
  注1: 続日本紀 天平勝宝八年(756) 2月25日 天皇幸智識。山下。大里。三宅。家原。鳥坂等六寺礼佛。
 大正14年(1925)から昭和元年にかけて行われた近鉄大阪線の敷設で遺跡が見つかり、昭和58年(1961)および翌年の調査では金堂(基壇縦15m、横18m)と講堂(同縦20m、横32m)、塔の跡(同8m四方)を確認し、井戸から「鳥坂寺」と書かれた土器が見つかった。
 造成地には中門が建てられていたと推定され、これまでにも金堂の南西約80mの塔跡からも、前期古墳時代の石が出土していた。
 現地説明会は、7日(土)午前10時から開かれる。

過去の関連ニュース・情報
 2009.10.27 柏原市・鳥坂寺跡 国史跡指定へ向けて再調査 金堂階段などが再び姿を現す
 2008.12.02 東近江市・金貝遺跡 奈良時代後半~平安時代初期の荘園開発跡

2011.11.26 追記
 今月18日に開かれた国の文化審議会で、府内からは、応仁の乱で戦場となった烏帽子(えぼし)形城跡(河内長野市)▽孝謙天皇が難波宮に向かう際に立ち寄った河内六寺の一つ、鳥坂(とさか)寺跡(柏原市)--が国史跡の指定を答申された。
過去の関連ニュース・情報
 鳥坂寺
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韓国・泰安馬島沖 高麗時代沈没船「馬島2号船」の調査、梅瓶を蜜壺として使用

2010年08月05日 | Weblog
 国立海洋文化財研究所は昨年6月、忠南泰安郡近興面馬島(태안 마도)海域で水中発掘調査を実施した結果、2隻の沈没船を発見。1号船(長さ10.8m、中央幅3.7m)については遺物を引き揚げ11月4日に発表した。沈没した時期は1208年と判断された。
 現在、2号船(長さ12m、中央幅5m)について調査中であり、同研究所は4日、今年の海底発掘成果を公開して、蜜壺として使った高麗時代象嵌青磁梅瓶(상감청자매병)をはじめとする各種陶磁器と穀物、木・竹製品を発掘したと明らかにした。
<主な遺物および成果>
■象嵌青磁と陰刻青磁の高麗青磁梅瓶(고려 청자매병)2点が、竹荷札がかけられたまま出土した。
 1点の竹荷札の前面には「重房都将校呉文富」、裏面には「宅上精密盛樽封」と書かれていた。
 「梅瓶(めいびん)」という名前は中国文献でも清朝時代17世紀になって現れる。今回、竹荷札には梅瓶は、「樽」または「盛樽」と書かれ、蜜が入れられていたことがわかった。梅瓶は、酒壺としてたくさん使われたと推測するが、梅瓶を発見した時、柏と推定される葉で口を密封した跡があった点から推測して蜜壺として使われたことが明らかとしている。
 梅瓶2点はともに高さ39cmの大作の部類で、豊満な肩からやや胴長の締まった腰にかけて流麗な曲線を描く。
 象嵌青磁梅瓶は太い縦縞6個を入れて胴をマクワウリのように作り、菱花窓の枠組み中に柳・葦・竹・牡丹・菊花・黄蜀葵(おうしょっき、トロロアオイ)花等を精巧に象嵌している。花の上には蝶々を、下には鴨を刻んだ。
 陰刻青磁梅瓶(青磁陰刻蓮花折枝文)は肩には雲模様、胴には蓮華文を精巧に飾っている。
 梅瓶の代表作として澗松美術館(ソウル特別市)が所蔵する国宝68号「青磁象嵌雲鶴文梅瓶」(高麗時代13世紀、高さ42cm)がある。

■中米、太(豆)、魚卵の塩辛などの荷物の種類、数量、発信者、発送地が書かれた木簡約30点が発見され、馬島2号船も、前回調査された馬島1号船と同じ税穀運搬船である可能性が高いようだ。
 注目すべき木簡は「大卿庾宅上古阜郡田出中米壹石入拾伍斗/次知 畏祐」。茂松庾氏の中に、3品で大府卿を歴任した庾資諒(1150~1229)がいる。

 馬島2号船に対する調査は、今年11月まで行われる予定。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.5 韓国・泰安馬島沖 1208年に沈没した高麗船から竹簡、木簡、陶磁器など1400点以上の遺物を引き揚げ

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御所市・中西遺跡 弥生時代の埋没林を発見 伐採痕が残る切り株も

2010年08月05日 | Weblog
2010.8.8追記
 8月7日に現地説明会が行われた。見学者は800人とのこと。
[参考:毎日新聞]

2010.8.5掲載分
 奈良県立橿原考古学研究所が4日、御所市の中西遺跡で弥生時代前期(約2400年前)の大洪水で埋まったとみられる水田跡の隣に、埋没した広葉樹林の跡が見つかったと発表した。
 見つかったのは森林域約3千㎡、水田域約1700㎡。大洪水時に厚さ1~1・5mの土砂により埋まり、真空パックのような状態で埋没した時点の状況をそのまま残している。
 埋没林からは人間や動物の足跡、狩りに使う矢尻、弥生土器片やサヌカイト片などが見つかった。削り易くするためか、火で焦がしながら石斧で伐採した痕跡が残るエノキの切り株(直径約1m、高さ約0.8m)も初めて確認された。
 森林域では22種以上の樹木約200本が見つかり、うち186本の樹種、ヤマグワ44本、ツバキ39本、カエデ21本、イヌガヤ12本、コクサギ10本、オニグルミ、カシ、エノキ各7本などを確認した。
 現地説明会は7日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、読売新聞]

弥生の足跡くっきり、木の周り歩いた森林跡出土(読売新聞) - goo ニュース

過去のニュース・情報
 2009.12.8 中西遺跡 奈良県最古級の水田跡
コメント (2)
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