歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

兵庫県神河町・堂屋敷廃寺 飛鳥期の「播磨犬寺」?が見つかる

2018年09月28日 | Weblog
 兵庫県神河(かみかわ)町教委は27日、7世紀後半の遺跡「堂屋敷廃寺跡」(同町福本)から寺院の土台とみられる遺構が見つかったと発表した。周辺からは複数の瓦や規則的に並ぶ柱の穴の跡も見つかった。
 中世の文献に記載がありながら、所在が分かっていなかった「播磨犬寺」跡の可能性が高いという。「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」(1322元亨2年)によると、播磨犬寺は、播磨と但馬の国境に住む枚夫長者(まいぶちょうじゃ)が自身の命を救った2匹の愛犬の供養に建てたとされる。枚夫長者は蘇我入鹿のために都に呼ばれた豪族で、町教委は「今回の寺院跡と創建時期が合致する」とする。
 昨秋と、今年9月の2回の発掘調査で、県指定史跡「福本遺跡」(神河町福本)の瓦窯で飛鳥時代後期~奈良時代初期に焼かれた瓦と同じ模様の瓦などが出土した。「基壇」も見つり、南北11m、東西15m以上の規模の主要な建物とみられる。寺院の敷地は推定100m四方で、「七堂伽藍」だったと考えられる。
 29日午前10時半から一般向けの現地説明会が開かれる。
[参考:神戸新聞、産経新聞、朝日新聞]


飛鳥時代の寺院跡発見 蘇我氏勢力「播磨犬寺」の可能性 兵庫・神河

愛犬供養伝説、飛鳥期の寺跡か 兵庫で柱穴や土器発見

7世紀後半・古代寺院の遺構確認、後世の文献記述と重なる部分も 兵庫・神河
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2018.9.27 藤田嗣治展に行ってきました

2018年09月27日 | Weblog

 混雑していそうな情報があり、今朝入場開始9:30に間に合うように行ってきました。
 まあまあの混雑でした、中は結構スムーズに移動できました。
 ただ、展示点数が多くて早見の私でさえ1.5時間も要しました。混雑していれば、2時間は必要でしょう。

 藤田嗣治展は過去にBUNKA村、東京国立近代美術館、目黒美術館でも観ました。
 藤田の絵のサインはFoujitaですが、2点だけFujitaのサインを見つけました。
 藤田の父・嗣章を調べていくと、森鴎外、後藤新平などとつながっていき興味が増します。
 藤田嗣章は、明治元年から大正11年に東京大久保町に転籍するまで館山の北条町に本籍を置いていたというので、藤田嗣治はどうだったのか知りたいところです。(広報誌たてやま4月―昭和61年 No.421より)
  安房郡北条村 → 明治22年 北条町 → 昭和8年 館山北条町
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船橋市・取掛西貝塚 縄文時代早期から弥生時代中期の竪穴住居跡が見つかる

2018年09月21日 | Weblog
 発掘調査が進む船橋市飯山満(はざま)町1の取掛(とりかけ)西貝塚西側で、縄文時代早期から弥生時代中期の竪穴住居跡が見つかった。縄文早期前半が7軒、縄文前期が3軒、弥生中期が6軒。
 20日に報道機関向けの現地説明会があり、市教委は「一帯は大規模集落だったことが確認され、貝塚を伴う約一万年前の縄文遺跡では全国最大級としている。 
[参考:東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
取掛西貝塚


「縄文期で全国最大級」竪穴住居跡 取掛西貝塚で見つかる
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淡路市・五斗長垣内遺跡 復元鍛冶工房建物

2018年09月19日 | Weblog

五斗長垣内遺跡(淡路市黒谷1395)を見学してきました。
写真は、復元された鍛冶工房建物です。右写真は建物内部です。
7本柱の茅葺屋根で、内部の直径が8.5mの円形竪穴建物です。

過去の関連ニュース・情報
五斗垣内遺跡




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函南町・瓢箪山古墳 墳丘長87mの前方後円墳と確認

2018年09月19日 | Weblog
 筑波大の滝沢誠准教授と東京大、静岡大などを中心とする研究チームが、静岡県函南町平井にある天地神社近くの丘陵に、墳丘長約87m(推定)の前方後円墳「瓢箪山古墳」があることを結論付けた。
 瓢箪山古墳の存在は以前から知られていたものの、本格的な調査が行われたことはなく、2016年9月と11月に測量調査が実施された。その成果、同古墳は墳丘長約87mの前方後円墳である可能性が高いと判断された。
 築造時期は、古墳時代前期後半ごろと考えられる。西側斜面を下方に拡張している状況が窺え、西側からの見映えを意識したつくりとなっているという。
[参考:伊豆新聞、KAKEN 伊豆半島の前期古墳と東日本太平洋岸域の拠点形成に関する基礎的研究]

参考古墳
高尾山古墳(沼津市東熊堂)全長62mの前方後方墳、古墳時代最初期(230年頃)
向山16号墳(三島市北沢)全長約70mの前方後円墳、古墳時代前期前半築造
浅間古墳(富士市増川)全長約90mの前方後方墳(注1)、古墳時代中期(4世紀後半)築造




2018.11.29 訂正 (注1)前方後円墳 → 前方後方墳、
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橿原市・藤原宮跡 大極殿の北門跡を確認

2018年09月15日 | Weblog
 奈良文化財研究所(奈文研)は13日、奈良県橿原市の藤原宮跡(奈良県橿原市)で、天皇が重要儀式を執り行う「大極殿」を四方に囲む回廊の北門跡を確認したと発表した。
 北門の北側には天皇の住まいである内裏があり、天皇が政治を行う大極殿と内裏を行き来する際に利用したらしい。
 発掘調査では、門の4つの柱のうち南東隅の柱を据えた柱穴を確認した。門の南北規模は約5・8m、東西規模は約4・7mとみられる。 南門(東西約35m、南北約10m)、東門と西門(ともに南北約29m、東西約6・6m)よりもかなり小規模。
 また、大極殿院の回廊の東西規模は約116mと推定通りだった。
 現地説明会は15日午後1時半から行われる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞、NHK,MBS毎日放送]

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 藤原宮


奈良・橿原の藤原京跡で「大極殿北門」跡を確認 天皇の公私の空間分ける重要な門

大極殿院の北門を確認、藤原宮跡 奈良・橿原、排水で苦労も
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羅州市・丁村古墳 出土した矢筒から栄山江流域と大伽耶が交流していた証拠

2018年09月13日 | 韓国の遺跡・古墳など
 2014年に全南羅州伏岩里丁村古墳(나주 정촌고분)で、金銅靴とともに出土した矢筒(화살통)が栄山江流域と大伽耶交流を立証する遺物であるという説が、国立羅州文化財研究所が14日に開催する「古代韓国・日本の矢筒と装飾刀」というテーマの学術大会で発表される。
 矢筒は盛矢具(성시구)ともいう。
[参考:聯合ニュース、国立羅州文化財研究所]

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 丁村古墳
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栃木県壬生町・愛宕塚古墳 5か所の地点から「盾持人埴輪」を確認

2018年09月04日 | Weblog
 栃木県壬生町教委は3日、東京学芸大、茨城大などが8月20日から18年度末までの予定で実施している愛宕塚古墳(壬生町壬生甲)の発掘調査で初めて周堤上の調査地点5カ所の地点から「盾持人埴輪」が確認されたと発表、これまでの調査成果を説明した。
 「盾持人埴輪」は盾を構えた人物の形をした埴輪で、古墳を守るために配置されると考えられている。 この埴輪は県内でも小山市内の桑57号墳と飯塚35号墳、下野市内の甲塚(かぶとづか)古墳でしか確認されていない。 同じ特徴がある古墳が見つかっている群馬県とのつながりを示す可能性があるとして、注目される。
 同古墳は6世紀後半に造られたとされる前方後円墳。昨年、両大の発掘調査団の発掘調査などで二重の周溝を備えた古墳であることが初めて確認され、周堤上から円筒埴輪、盾持人などの人物、馬の形の形象埴輪が発掘された。堤の上に並べられた円筒埴輪の間に数多く配置されていたことがわかり、このような事例は県内では初めてだという。
 昨年の調査では、埴輪が墳丘の平坦な部分と周溝外側の土塁に計2列あり、墳丘全体を囲んでいたと推定していたが、今回、墳頂部にも列があり、三重に配置されていたことが分かった。また、昨年は1カ所で確認された葺石が、今回の調査で3カ所で確認。前方部南側斜面に明確に残っており、群馬県にある古墳の影響を受けた特徴がみられる。
 現地説明会は8日午前10時と午後1時の2回行われる
[参考:下野新聞、産経新聞、NHKニュース]

過去の関連ニュース・情報
2017.9.7  [参考:東京新聞]
 前方後円墳を大小の埴輪が2重に取り囲んでいる状態が良好な状態で残されていることが分かった。
 古墳は六世紀後半の築造とされ、墳丘部は全長約82m。墳丘部の周りに溝があり、その外側に土塁があり、その外側にも溝があり、二重の周溝を備えた古墳であることが初めて確認された。
 埴輪の列は墳丘の平坦な部分と、周溝の外側の土塁の二列あった。円筒埴輪が立った状態で出土。墳丘全体を囲んでいたと推定される。古墳の墳丘部と外側の土塁上で規格の違う埴輪列があるのは、今城塚古墳(大阪府高槻市)でも確認されているが、全国的に例は少ない。
 墳丘部の斜面表面に葺石が並んでいたことも判明。

2018.2.13  [参考:産経新聞]
 愛宕塚古墳で出土した埴輪を復元し、稲葉地区公民館(同町上稲葉)の「みぶ愛宕塚古墳出土はにわ展」で展示している。同古墳から出土した円筒埴輪9点と石見(いわみ)型埴輪、盾持人埴輪の計11点を展示。

 盾持人埴輪
 壬生町


周堤上に「盾持ち人埴輪」 栃木県内で初、複数の地点から確認 壬生・愛宕塚古墳

「盾持ち人埴輪」複数確認 「変遷知る手がかり」 栃木・壬生の愛宕塚古墳
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