歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

三重県・「斎宮跡」御館地区 11棟の掘立柱建物跡と一辺が1mの柱穴を確認

2011年07月29日 | Weblog
 斎宮歴史博物館(明和町)は28日、斎宮跡の172次発掘調査で、内院の西側とされる御館地区(多気郡明和町斎宮字御館(みたち)地内)から、平安時代初期から中期にかけて建てられたとみられる11棟の掘立柱建物跡を確認しと発表した。 中には一辺が1mに及ぶ柱穴もあったことから、相当規模の館があったとみている。
 一帯からは、土師器の皿・甕・椀、須恵器の杯・椀、灰釉陶器椀などが出土し、墨書や線刻がある土器も見つかった。
 現地説明会が、31日(日)午前10時~11時半まで開かれる。
 現地説明会終了後、13時30分~16時まで、いつきのみや歴史体験館(明和町斎宮3046-25)で「第4回 斎宮跡の史跡整備を考えるつどい」が開催される。
[参考:毎日新聞、三重県HP]

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 「斎宮跡」
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木津川市・上狛北遺跡 女性名を記した荷札木簡などが出土し、恭仁京の一部を裏付ける

2011年07月28日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)が27日、木津川市山城町上狛(かみこま)の上狛北遺跡で出土した奈良時代の荷札木簡に女性名が記されていたと発表した。女性名が記された納税のための荷札木簡としては極めて珍しいという。
 荷札木簡(長さ15・8cm)は、恭仁京(740-744)の造営の際に掘られたと考えられる穴から他の約40点の木簡や墨書土器とともに出土した。
 多くは文字の練習用の木簡であったたが、注目される木簡は、下記のようなもの。
■ 「海戸主海八目戸服部姉虫女米五斗」と書かれ、海部に住み海八目(あまはちめ)が戸主を務める一家の服部姉虫女(あねむしめ)が米5斗を送るという内容。 女性名が登場するのは極めて珍しいという。
■ 「讃岐國鵜足郡少領□」(長さ19cm、幅1・1cm)と書かれたものもあり、地方役人(少領)との交流をうかがわせる。
■ 「草萬荒蘇」など字の練習に使われたとみられる木簡

 木簡は向日市文化資料館で8月20、21日に展示。 8月20日午後1時半から向日市民会館で調査員・筒井崇史氏による成果報告も行われる。

 上狛北遺跡の昨年度の発掘調査で、恭仁京に都が置かれていた時代の長さ約100mの溝跡や建物跡、大量の須恵器などが見つかった。 恭仁京の関連施設跡の可能性もある。 恭仁京の構造については、続日本紀に「鹿背山を挟み、左京と右京に分かれる」との記述がある。 発見された溝跡は恭仁宮跡の西約5kmに位置し、鹿背山(同市)の西側にあり、恭仁京の右京の遺構ではないかとみている。
[参考:京都新聞、産経新聞、共同通信、前出]

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 2011.1.21 木津川市・上狛北遺跡 恭仁京の京域の遺構か 溝跡が見つかる
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神奈川県寒川町・倉見川端遺跡 竪穴住居跡から県内3例目の乳文鏡が出土

2011年07月26日 | Weblog
 寒川町は25日、かながわ考古学財団が発掘調査している、相模川の左岸の微高地(自然堤防)に立地する倉見川端遺跡(寒川町倉見)で、古墳時代の竪穴住居から県内で3例目となる青銅製の乳文鏡が出土したと発表した。 乳文鏡は直径6.7cm、外縁部厚さ2.2mmで、突起が8つある。
 8月6日に、近接する宮山中里遺跡(同町宮山)で行われる現地見学会で、両遺跡の出土遺物とともに乳文鏡も公開される。
見学会は午前の部が10時開始、午後の部が14時開始。
[参考:神奈川新聞、かながわ考古学財団HP]
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大津市・石山国分遺跡 藤原宮の瓦製作跡を発見

2011年07月22日 | Weblog
 大津市教委が22日、同市田辺町の石山国分遺跡から藤原宮(694~710年)で使われていたものと同様の特徴を持つ瓦と瓦窯跡2基が見つかったと発表した。 石山国分遺跡から藤原宮までの直線距離は約50kmあり、瀬田川、宇治川、木津川を使い運搬したとみられるという。
 窯跡は、ともに全焼成部が階段状で、全長6・7m、最大幅は1・5mだった。 天井部は削られていたが、トンネル状になっていたらしい。 近くで廃棄された瓦が数百枚見つかった。
 藤原宮の瓦を製作したとみられる窯は淡路島や香川県でも見つかっている。
 万葉集(注1)には、田上山の桧乃嬬手(檜の荒材)を八十氏河(宇治川)などに浮かべ流して、泉乃河(木津川)を経由して運んだという記述があり、瓦も同様に、主に水路で運ばれたのだろうとみている。
 見つかった瓦は7月26~29日と8月1~5日に大津市役所市民ギャラリーで、8月6~28日に同市歴史博物館ロビーで展示される。
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、産経新聞]

(注1) 万葉集巻1 (50) 藤原宮之役民作歌
八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 
神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 
物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 
水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 
泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須良牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

右日本紀曰 朱鳥七年(693)癸巳秋八月幸藤原宮地 八年(694)甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮

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207.10.25 大和郡山市・西田中瓦窯 藤原宮の瓦生産の登り窯跡が出土
 大和郡山市教委は24日、藤原宮の瓦を生産した7世紀末ごろの登り窯跡3基が同市西田中町で出土したと発表した。
 出土したのは「西田中瓦窯」と呼ばれる登り窯跡で、平成16年の試掘で6基を確認し、このうち3基を調査したところ、内部にあった軒瓦が藤原宮の朝堂院などの瓦と一致した。
 斜面に並んだ3基は同時期に使われていたとみられる。 窯跡はいずれも斜面がトンネル状に掘られ、燃焼室と階段状の焼成室、頂上部の煙道で構成され、全長約5m、幅1.5m前後で、30度ほどの傾斜角で築かれていた。
 周辺では、西田中瓦窯の南西約250mにある「内山窯跡」でも同形式の瓦と窯跡4基が確認されている。
 藤原宮の瓦を生産した窯としては、奈良県内では日高山瓦窯、県外では香川県の宗吉瓦窯などで確認されている。
[参考:産経新聞、読売新聞、毎日新聞、橿原市教育委員会HP]
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高島市・天神畑遺跡 平安時代後期から鎌倉時代初期の杏葉轡?が出土

2011年07月21日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が21日、高島市の天神畑遺跡で、平安時代後期から鎌倉時代初期に武士が騎乗した際に使ったとみられる鉄製轡(幅約23cm)が出土したと発表した。 中世の武士が実用したとみられる轡の出土は初めて。
 出土した轡は、2連の銜(はみ、長さ約14.5cm)の両端に、引き手(長さ13cm)などが付いており、形が中世の絵巻物に描かれた杏葉轡に似ている。
 付近には源頼朝が土地を寄進したと伝わる神社(注1)があり、武士が戦勝祈願のため馬具を奉納していた可能性があるとしている。
 出土品は24日から10月23日まで県立安土城考古博物館で展示される。
[参考:時事通信、産経新聞]

(注1) 志呂志神社(滋賀県高島市鴨2276)のことか。
 祭神: 瓊々杵尊 玉依姫命
 宝亀元年(770) 創祀、 文治3年(1187) 源頼朝が社領を寄進

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 2011.5.12 天神畑遺跡 国内最古・古墳時代前期の大壁造り建物跡が出土
 2010.2.20 天神畑遺跡 金剛般若波羅蜜経38枚を含む「こけら経」115枚が見つかる 「見せ消ち」も初確認

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小田原市・府川諏訪ノ前遺跡から銅鏃、別堀前田遺跡から銅鏡が出土、ともに古墳時代前期

2011年07月18日 | Weblog
 酒匂川の西にある、府川諏訪ノ前遺跡(ふかわすわのまえいせき、同市府川)から古墳時代前期の銅鏃4点が出土した。大きいもので長さ5.6cm、幅1.3cm、小さいものは長さ3cm、幅1cm。 昭和41年(1966)に本地点付近で実施された調査でも銅鏃5点が出土しており、合わせて9点が出土したことになる。 祭祀に伴って使用されたものと考えられるという。
 市内では、千代仲ノ町遺跡で1点、小田原城跡八幡山遺跡群で2点出土している。

 酒匂川の東(森戸川の西)にある、別堀前田遺跡(べつぼりまえだいせき、同市別堀)から銅鏡1点(直径10・4cm)が出土した。 くちばしを開いた鳥らしき文様と、乳(円形突起)が交互に6個ずつあり、獣形鏡の一種で、古墳時代前期の倭鏡である可能性が高いとみられる。 市内で出土した古墳時代の銅鏡は、これまで、永塚下り畑遺跡、千代北町遺跡、高田南原遺跡の3例があり、すべて集落内からである。 これら4例は、いずれも森戸川右岸(西側)の直径1.5kmの範囲に集中している。
 神奈川県内では44面が出土している。
[参考:神奈川新聞、東京新聞、小田原市HP]

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 2010.5.18 府中本町・武蔵国府関連遺跡出土、異形石製品(琴柱形石製品)について
  永塚下り畑遺跡(小田原市)
 2008.10.10 小田原市No.271 遺跡(下堀地区)発掘調査見学会資料
  永塚下り畑遺跡、高田南原遺跡
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大津市・西教寺 観音菩薩立像の足ほぞに「法橋行快」の墨書

2011年07月15日 | Weblog
 大津市歴史博物館は15日、同市坂本5丁目の西教寺(注1)の木造阿弥陀三尊像の一つ「観音菩薩立像」(像高59cm)に、鎌倉時代の仏師快慶の弟子だった行快の名前が墨書されていたことが分かったと発表した。 現存する行快の名前が記された仏像では最古という。 三尊像のうち阿弥陀如来立像(像高81cm)も作風から行快作とみられという。
 仏像の足を台座に挿す「足ほぞ」と呼ばれる部分に「巧匠 法橋(注2)行快」と記されていた。法橋は僧侶の位だが、仏師にも与えられた。 行快が法橋の地位にあったとみられる時期から1216〜27年に作られたとみられる。
 行快の仏像は今月20日から大津市歴史博物館常設展示で展示される。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、NHK大津]

(注1) 天台真盛宗総本山 戒光山兼法勝西教寺: 聖徳太子の創建と伝わるが、定かでない。
(注2) 法橋、法眼と位が上がるが、法眼は1227頃に授かっている。

過去の関連ニュース・情報
 2010.11.10 河内長野市・金剛寺 不動明王坐像の胎内から墨書が見つかり、行快作と判明
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東近江市・蛭子田遺跡 古墳時代後期の木製の壺鐙が出土

2011年07月15日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が14日、東近江市木村町の蛭子田遺跡(えびすだいせき)の地下約2mの川跡から5世紀後半~6世紀前半(古墳時代後期)の木製壺鐙(つぼあぶみ)が出土したと発表した。
 右足用とみられ、高さ20cm、幅14cm、奥行き16cm。 材質は針葉樹で、1本の木を刳り抜いて作っていた。 壺鐙上部には鞍から、紐で吊るす穴を開けた「鐙頭(あぶみがしら)」と呼ばれる突起がついている。国内で作った可能性が高いという。
 乗馬の風習は5世紀前半に朝鮮半島から日本に伝わり、5世紀後半~6世紀に普及したといわれ、初期の馬具を考える上で重要としている。 榎田遺跡(長野市)から出土した鐙が5世紀中頃~6世紀初頭のもので最古といわれるが、これに次ぐあるいは同時期のものとみられる。
 現地説明会が16日(土)13:30に開かれる。
[参考:京都新聞、共同通信、毎日新聞、滋賀県文化財保護協会HP]

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武市半平太が獄中で書いた漢詩の墨書が見つかる

2011年07月15日 | Weblog
 高知市立龍馬の生まれたまち記念館は14日、土佐勤王党首領の武市半平太(1829-1865)が、獄中でしたためた漢詩の掛け軸(高さ120cm、幅28cm)が、同館に寄託されたと発表した。

 獄中で作った漢詩集「泣血録」の中から一つを選び、切腹する前年の元治元年(1864年)頃の墨書。
 漢詩は、1行7文字、4行の七言絶句の形式で、「夢上洛陽謀故人 … 恨無限 只聴隣鶏報早晨 … 瑞山」 (京都に上り、同志と計画を謀り、巨奸を倒す夢を見た。夢から覚めるとびっしょりと汗をかいていて、恨み限りなく、夜明けに鶏の鳴き声を聞く)という内容。 瑞山は武市半平太の号で、武市瑞山とも称した。
 土佐藩の実権を握っていた元藩主・山内容堂への恨みが、強くうかがえるという。

 由来書によると、武市に心酔していた牢番・門谷(かどや)貫助(1843-94)の頼みで書かれた。門谷の知人の手に渡り、その子孫が他の資料とともに記念館に預けた。
 歴史家で高知県佐川町立青山(せいざん)文庫名誉館長の松岡司(まもる)氏が、筆跡や書体などから半平太の直筆と鑑定した。
 半平太が漢詩を作ったのは、獄中の2~3カ月に限られ、50近くを残したとされる。
 25日から8月24日まで同館の企画展「龍馬ゆかりの上町・小高坂の勤王志士たち」で一般公開する。
[参考:NNN高知放送、時事通信、読売新聞、産経新聞、朝日新聞]

武市半平太の獄中の書見つかる 切腹に「恨み限り無し」(朝日新聞) - goo ニュース
改革果たせず「恨無限」…半平太、獄中の漢詩(読売新聞) - goo ニュース
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御所市・秋津遺跡 縄文時代晩期後半の翡翠の管玉が出土

2011年07月13日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が13日、御所市の秋津遺跡で、縄文時代晩期後半(2800〜2500年前)のノコギリクワガタが見つかった同時期の大型の翡翠の管玉(長さ約4cm、太さ約2cm、21.8g)が見つかったと発表した。
 両端から貫通する孔(径8~1.6mm)があり、首飾り一部と見られる。色合いなどから糸魚川市周辺で産出した可能性が高いという。
 また、近くに未発見の大規模集落があった可能性があるとしている。
 出土した管玉は、16日から始まる平成22年度発掘調査速報展「大和を掘る」(~9月4日、橿原考古学研究所付属博物館)で展示される。
[参考:共同通信、奈良新聞]

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 2011.5.24 秋津遺跡 縄文時代のノコギリクワガタがほぼ完全な形で出土
 2010.11.27秋津遺跡 塀の部材? 先端が尖った杭が出土
 2010.11.24秋津遺跡 4世紀前半最大級の施設群が見つかる
 2010.1.20秋津遺跡 4世紀前半の巨大祭祀施設の塀跡が出土
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東京・文京区・椿山荘 登録有形文化財・三重塔 改修完了

2011年07月13日 | Weblog
 竹中工務店は13日、椿山荘(東京都文京区)庭園内にある登録有形文化財「椿山荘三重塔」の改修と耐震補強工事が完了したと発表した。
 椿山荘三重塔は、大正14年(1925)に平安時代の歌人・小野篁(おののたかむら、802-853)に縁のある東広島市の篁山竹林寺(たかむらやまちくりんじ)から移築された。平清盛(1118-1181)が第1回の修復を執り行ったとの言い伝えがあり、移築後初めての改修工事という。
 今回の改修工事にあたり年輪年代測定法で調査した結果、1420年頃(室町時代前期)の部材が使われていることが判明したという。
[参考:2011.7.13産経新聞、椿山荘]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.18椿山荘 三重塔 改修へ
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安中市・人見西中原遺跡 幅約10mの古代道路状遺構が出土

2011年07月13日 | Weblog
 安中市松井田町の人見西中原遺跡で、幅約10mの両側側溝をもつ古代の大規模道路状遺構が出土した。
 遺構は、約1300年前頃の造成とみられ、横野台地を北西から南東方向に向けてほぼ一直線に横切り、これまでに長さ約。5kmが確認されている。道の両側には幅約1m、深さ70cmの側溝が掘られていた。
 付近では牧場の跡(東西方向約3km、南北方向約1.5km)も出土している。
 発掘調査現地説明会が、7月23日(土)午前9~11時30分に開かれる。集合場所は、安中市松井田町人見字西中原(第6工区内)。
[参考:産経新聞、安中市学習の森HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.20 安中市・人見地区の西横野東部・中部地区遺跡群 縄文中期後半の列石が見つかる
  2008.9.21安中市・人見地区の2遺跡 説明会100人出席
 2008.9.19 富岡市・下高田上原遺跡 奈良時代の大溝跡と住宅跡が見つかる

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明日香村・川原寺裏山遺跡 1974年以来のせん仏を埋めた穴を再度確認し、新たに遺物を発見

2011年07月09日 | Weblog
 川原寺裏山遺跡を調査した明日香村村教委と関西大文学部考古学研究室は8日、約40年前の調査で大量の塼仏などが出土した穴(直径3~4m、深さ2m)を再度確認し、新たに塼仏の破片(最大13cm四方)約70点や緑釉塼、塑像の螺髪(らほつ)など数百点の遺物が見つかったと発表した。
 飛鳥時代の川原寺(7世紀中頃)が火災に遭った際、仏像や塼仏などを片付けて埋納した跡とされている。
 同遺跡は1974年に発掘調査し、川原寺跡の北西約50mの山裾から、焼けた方形三尊塼仏や塑像片、金属製品など約1万4000点の遺物が出土した。 さらに、銅銭の承和昌宝(じょうわしょうほう)(承和2年(835)初鋳)が含まれていたことなどから、平安時代に火災に遭い、埋納されたらしい。
 現場は既に埋め戻されている。 明日香村埋蔵文化財展示室で速報展が9~31日の午前9時~午後5時に開かれる。
[参考:読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
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青森市・三内丸山遺跡 縄文中期の土器片にシャーマンを描いた人物画

2011年07月09日 | Weblog
 青森県文化財保護課が8日、三内丸山遺跡(青森市)で出土した縄文時代中期(4300年前)の土器片から、人が踊る姿を描いたとみられる絵が見つかったと発表した。 シャーマン(呪術師)を描いた国内最古級の出土品の可能性があるという。
 この土器片は93年11月に遺跡中央の北盛土(もりど)から発掘されていたもので、大きさは縦約8cm、横約6cm。職員が先月、人物が描かれているのを見つけた。絵は縦約4cm、幅約3cmの大きさで、鳥の羽根のような飾りを頭につけ、右手に祭具か弓矢のような道具を持ち、両足を広げ踊るような姿で、直径1mmほどの棒のようなもので刻み付けたとみている。 人を描いた縄文土器はまれで、動きのある表現も珍しいという。
 土器片は9日~11月20日、遺跡に隣接する展示施設「縄文時遊館」で公開される。
[参考:朝日新聞、共同通信、東奥日報、毎日新聞]

シャーマン最古の例?三内丸山遺跡の土器片に人物画(朝日新聞) - goo ニュース
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牧之原市・宮下遺跡 六角形状の卒塔婆 同形状では日本最古と確認

2011年07月07日 | Weblog
 今年3月9日に発表された、牧之原市坂部の宮下遺跡で出土した六角形状の卒塔婆(六角卒塔婆)が、墨書のある六角塔婆としては日本最古(12世紀後半~13世紀前半)であることがわかった。
 卒塔婆は今年2月に遺跡北東で発見された。 木(モチノキ) 製で、全長67・3cm、幅9・3cm、1面の幅が3・8~5・5cm。六つの面のうち、五つには墨書による文字が確認された。
  三つには梵字と仏の名前の一部分(不動明王、金剛界大日如来など)を示すが記されていた。
  一つには「尼」という漢字が確認でき、法名が記されていたと推測されるという。
  ほかに、墨で「南無」などの文字が記されていた。
[参考:読売新聞、中日新聞、朝日新聞、毎日新聞、静岡新聞、2011.3.10付ニュース]

この六角卒塔婆は、(00shizuoka静岡観光おでかけガイド)さんの
「呪符木簡、墨書土器、木橋が出土 平安時代から鎌倉時代 柱穴内礎石建物群が見つかった 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会(見学会)」 に詳しく紹介されています。

過去の関連ニュース・情報
 2011.3.10 宮下遺跡 平安時代末から鎌倉時代初期の県内最大規模の「柱穴内礎石建物跡」が見つかる

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