歴歩

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奈良県斑鳩町・春日古墳 素粒子ミューオンで内部を透視し石室を確認

2018年02月28日 | Weblog
 斑鳩町の春日古墳調査検討委員会で27日、奈良県立橿原考古学研究所、町教委、名古屋大未来材料システム研究所の調査で斑鳩町の未発掘の春日古墳(直径約30m、墳丘高さ6mの円墳、6世紀後半~7世紀初め)に石室とみられる空洞があることが報告された。
 宇宙から降り注ぐ「ミュー粒子」という放射線を利用して内部を「透視」する新しい手法で確認した。墳丘の中心部に奥行き6・1m前後の土が薄い部分を確認した。高さ約2m、幅約1・8mの空洞と想定される。
 春日古墳は藤ノ木古墳のおよそ150m北東にあり、造られた時期も藤ノ木古墳とほぼ同じ時期と考えられている。 墳丘の南裾に小祠があり春日明神を祀っている。 民有地にあるためこれまで発掘調査は行われていなかったが、側面から露出した岩が内部の石室の一部ではないかと考えられてきた。
[参考:NHK,共同通信、奈良新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞]

春日古墳に長さ6メートルの空洞 石室?素粒子調査で判明
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奈良市・唐招提寺 境内に窯跡 整備時の補修用の瓦を焼く

2018年02月26日 | Weblog
 奈良市の唐招提寺で修復中の御影堂(みえいどう、重要文化財)の敷地を発掘調査していた県立橿原考古学研究所(橿考研)は22日、かつて見つかっていた瓦を焼く窯跡が奈良時代末~平安時代初頭(8世紀末~9世紀初頭)に築かれたとわかったと発表した。
 御影堂は1650年に建てられた興福寺旧一乗院の宸殿で、1964年に唐招提寺に移築された。前年の63年、県教委が用地を調査し、瓦窯跡が出土したが、調査期間が短く、詳細な時代は特定できなかった。その後、樹脂を塗って埋めずに床下で保存されていた。今回、御影堂の昨年春からの修理に伴い、同研究所が昨年10月から再調査し、出土した土器などから年代を特定できた。
 唐招提寺は鑑真(688~763)の創建で、鑑真の死後、金堂や東塔などの伽藍整備が本格化した頃の瓦を作るために使われたとみられる。記録に残る最後に造られた建物は810年の東塔だったとされる。
 窯跡は「有畦式平窯」で、全長4・2m、最大幅2・2m。薪などを入れる焚きた口や、平瓦を積み上げて築いた窯の本体の側壁などが出土した。瓦が出土したが、どの建物に使われたかは不明。
 調査地には瓦窯跡は1基しか見つからなかった。
 現地は御影堂の保存修理事業が続いており、説明会はない。
[参考:2018.2.23読売新聞、朝日新聞、産経新聞]

関連ニュース・情報
2017.11.9 興福寺再建用の瓦窯発見 南都焼き打ち後に生産
 興福寺(奈良市)の旧境内で、1180年の南都焼き打ち後に再建用の瓦を焼いたとみられる窯の跡が見つかった。調査地は興福寺五重塔から約400m北で、県庁の裏側。明治初期まで寺の敷地だった。出土した瓦の特徴から興福寺用の窯と断定した。見つかった窯跡は9基。「有畦式平窯」と呼ばれ、1つの窯の内部にあぜ状の土台が数カ所あり、その上に瓦を置いて焼く構造。中世では一般的な窯という。[参考:日経新聞]

唐招提寺


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熊本県御船町・小坂大塚古墳 径54m(推定)の県南最大級円墳と判明

2018年02月25日 | Weblog
 熊本県と御船町教委は23日、小坂大塚古墳(熊本県上益城郡御船町小坂下原)で深さ2m、幅15mの周溝の一部が確認され、墳丘も元々は直径54m、高さ10.5mあったと推定されることが分かったと発表した。
 同古墳は古墳時代中期(5世紀)、直径36m、高さ8mの円墳とみられていた。
 墳丘と外部をつなぐため周溝には6mの幅で掘り残して通路とした「陸橋(りくきょう)」も確認された。
 現地説明会が3月4日午前10時~正午と午後1~3時の2回、開かれる。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、熊本県HP]


<小坂大塚古墳>県南最大級円墳と判明 幅15メートルの周溝確認 墳丘直径は推定54メートル /熊本
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明日香村・飛鳥寺西方遺跡 供宴施設の大型建物跡を発見か

2018年02月21日 | Weblog
 明日香村教委が21日、「槻の樹の広場」(日本書紀では「槻樹之下」)跡とされる飛鳥寺西方遺跡で新たに、東西19.2m以上、南北4.8mの大型建物跡が確認されたと発表した。飛鳥寺西門跡から約140m西にあたる。
 日本書紀には7世紀中ごろ以降、寺の西側で外交使節をもてなしたとあり、供宴施設だった可能性が高いという。
今回の調査と合わせ、広場では4棟の建物跡が確認されたことになり、広場は従来の想定からさらに西に広がった。
 現地説明会は25日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 /飛鳥寺西方遺跡


宴会施設か、飛鳥時代の建物跡が出土 蝦夷や隼人招待?

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鹿児島市・鶴丸城跡 本丸跡からキリシタン瓦「花十字紋瓦」が出土

2018年02月20日 | Weblog
 鹿児島市の鶴丸城跡の本丸部分から、「花十字紋」の入った軒丸瓦1点が出土していたことが分かった。
 キリシタン瓦とみれれ、本丸での発見は初めて。 2009年に二之丸跡で確認されたキリシタン瓦と類似し、直径15cmほどで、江戸時代初期のものとみられる。
[参考: 2018.02.17 南日本新聞]

過去の関連ニュース・情報
 鶴丸城跡キリシタン瓦




キーワード:鶴丸城跡キリシタン瓦
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福岡市・比恵遺跡群 3世紀後半の石製硯が出土

2018年02月18日 | Weblog
 福岡市は16日、同市博多区の比恵遺跡群で古墳時代(3世紀後半)とみられる石製硯の破片(長さ5.4cm、幅4.7cm、厚さ0.8cm)が出土したと発表した。
 同遺跡群は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「奴国」の中枢遺跡であり、邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見としている。
 破片は板状で、石材を長方形に切ったとみられ、片面が研磨されて擦った跡があった。
 奴国は中国の「後漢書」東夷伝にも登場し、紀元57年(建武中元2年)に中国・後漢に朝貢した記述がある。
   建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
 光武帝が57年に奴国からの朝賀使へ賜った印が「漢委奴國王」の金印(国宝)とされる。
 弥生時代の硯が出土した遺跡は4例あるが、古墳時代前期(3世紀後半)の硯の出土は国内で初めてという。
  [弥生硯出土遺跡]
    福岡県筑前町・薬師ノ上遺跡
    福岡県筑前町・中原遺跡
    松江市・田和山遺跡
    糸島市・三雲・井原遺跡(2例)
[参考:西日本新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 弥生硯
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阿南市・若杉山遺跡 赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂を採掘していた坑道を発見

2018年02月01日 | Weblog
 徳島県と阿南市教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての若杉山遺跡(阿南市水井町)で赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂(しんしゃ)を採掘していた坑道が太龍寺山(標高618m)の斜面・標高約250mの地点から見つかったと発表した。
 入り口付近から辰砂が付着した石22点の他、採取に使ったとみられる石杵なども見つかった。
[参考:徳島新聞、共同通信、産経新聞、読売新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 若杉山遺跡



<若杉山遺跡>「辰砂」採掘の坑道跡 奥行き14メートル、横穴発見 阿南 /徳島
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