古賀市教委と九州歴史資料館(同県小郡市)は31日、古賀市の船原(ふなばる)古墳(直径約20mの円墳、7世紀前後)(注1)付近の埋納坑から出土した遺物から、馬冑(ばちゅ、馬用の冑(かぶと))を確認したと発表した。 九州では初の出土で、国内では大谷古墳(和歌山県)と埼玉将軍山古墳(埼玉県)に次ぎ3例目となる。
同古墳墓道入り口付近を昨年から発掘していたところ、6〜7世紀の金銅製馬具一式や弓などの武具、農具が大量出土。 同館で調査し、遺物は200点以上、うち金銅製馬具は40点以上と判明した。
馬冑は板状の鉄製で、幅18cm、長さ50cm。馬の頬を守る半円形の部分や、鼻筋を守る湾曲部分などから馬冑と判断した。
馬鞍の後方で旗立て用の「蛇行鉄器」(長さ80cmなど)も3点出土した。 これまで国内6遺跡でしか出土例がない。 いずれも新羅系の可能性が高いという。 他に金銅製の轡(くつわ)や飾り、青銅製大型鈴、矢尻の束十数点などが出土した。
さらにX線CTスキャナーによる調査では、馬体を飾る金銅製馬具の一つ「金銅装心葉形杏葉(しんようけいぎょうよう)」(縦10cm、横11cm)に左右一対の鳳凰が透かし彫りされていることや、裏面に繊維が付着しているのが分かった。 轡(くつわ)の金具に唐草文が透かし彫りされていた。
市教委は今回、埋納坑から約5m離れた船原古墳(注1)との関連性が明確になったとして、遺跡の名称を「谷山北地区遺跡群馬具埋納坑」から「船原古墳遺物埋納坑」に変更した。
[参考:共同通信、毎日新聞、西日本新聞、朝日新聞、読売新聞、福岡県HP]
(注1)船原古墳は3基からなる古墳群であったらしい。2基は全壊されており、3号墳だけが現存する。今まで、船原3号墳としていたが、今回は単に船原古墳としている。
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2013.6.8谷山北地区遺跡群 新たに武器、農具を確認
弓は馬具の下に敷き詰められ、見た目は黒い漆膜状だが等間隔に装着された飾り鉄製金具や、先端に取り付ける金具「弓弭(ゆはず)」が4点確認され、少なくとも6点、漆膜状の広がりから、それ以上あるとみられる。
2013.4.19谷山北地区遺跡群 船原3号墳に隣接した埋納坑から古墳時代後期の金銅製馬具が一式出土
圃場整備の途中で、船原3号墳の墓道入り口から5m離れたところに埋納坑があり、馬具がまとめて納められていたのが発見された。
鉄製の壺鐙や輪鐙、金銅張りの鞍、紐を連結する辻金具や轡引手(くつわひって)、雲珠(うず)や杏葉(ぎょうよう)、鈴などの馬装飾のほか、馬冑(ばちゅ)や馬甲(ばこう)と見られる鉄製品も多数あった。 鞍や鐙の数から2セット以上の可能性もある。
2009.6.3 韓国・慶州市 チョクセム地区で5世紀前半頃新羅の完璧な鎧セットが出土
主槨では馬甲を底に敷き、その上には将帥が着たと考えられる札甲が置かれた状態で発見された。 副槨では馬冑、鞍装具・鐙子・轡・杏葉などの馬具付属品が多量に出土した。
蛇行状鉄器
キーワード:谷山北地区遺跡群、船原古墳群、船原3号墳、蛇行状鉄器、糟屋屯倉(かすやのみやけ)、鹿部田渕遺跡