歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

市川市・雷下遺跡 縄文時代早期の丸木舟の船底部分が出土 日本最古

2014年01月31日 | Weblog
 千葉県教委は31日、市川市の雷下(かみなりした)遺跡で、縄文時代早期(約7500年前)に作られた丸木舟の船底部分(全長約7・2m、幅約0・5m)が出土したと発表した。
 雷下遺跡は縄文時代早期の貝塚で、当時は海岸部にあたる場所。 昨年11月に土中に埋まった状態で見つかったという。 素材はムクノキで、石器で刳り貫ぬいて作ったとみられる。 放射性炭素年代測定をし、年代が判明。 国内最古とわかった。
 丸木舟はこれまで、鳥浜貝塚(福井県)や入江内湖遺跡(滋賀県)でほぼ完全な形のものが出土しているが、いずれも縄文時代前期(約5500年前)のもの。 
 見学会が8日午前11時から開かれる。
[参考:時事通信、読売新聞、産経新聞]

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 丸木舟


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高知市 真言宗 五台山竹林寺 木造阿弥陀如来立像の内部に徳川家康を供養する文字 山内忠義正室阿姫の寄進

2014年01月30日 | Weblog
 土佐山内家宝物資料館などが28日、四国八十八カ所霊場の三十一番札所、真言宗智山派 五台山竹林寺(高知市五台山)の「木造阿弥陀如来立像」の内部をX線透過撮影したところ、徳川家康を供養する内容の文字が朱書きされていることがわかったと発表した。
 仏像は竹林寺の位牌堂に安置され、ヒノキ材の寄せ木造りで高さ83cm。鎌倉時代の作とみられるという。 内部の胸から足元までの広範囲にわたり、1文字約1cm程度の大きさの裏書きが多数あることが判明。 胸には家康の官位で、戒名の一部でもある「大相国一品(だいしょうこくいっぽん)」(注1)。 脚に「元八 戌松平土佐守忠義」(注2)の文字が読み取れた。
 竹林寺には、家康没後の元和8年(1622)に家康の養女で土佐藩2代藩主山内忠義の妻・阿姫(くまひめ、1595-1632)の側近が当時の住職にあてて、「阿姫が家康の菩提を弔い山内家の繁栄を祈るため、如来様にその気持ちを裏書きして寄進したいと言っている」と伝えた書状が残り、今回の発見はこれを裏付けるものという。
(注1)徳川家康の戒名「大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士」か?
(注2)徳川家康は元和2年(1616)に亡くなっている。 阿姫は元和9年(1623)、娘喜代姫と次男忠直とともに江戸へ移った。 「元八 戌」 とは、元和8年壬戌のことであろう。 阿姫は、家康(母は於大の方)の父親違いの弟(松平定勝)の次女で家康の養女となり、慶長10年(1650)に土佐藩2代藩主山内忠義と結婚して土佐へ移り、元和9年まで過ごした。
 阿姫は、徳川、山内両家の末永い繁栄を祈る気持ちで書いたのではないかとしているが、江戸に下向する前年にそれを果たしたのであろう。
 土佐藩初代藩主山内一豊は、初め先祖からの宗旨である日蓮宗を菩提寺としていたが、遠江国掛川の領主であった頃、曹洞宗の僧・在川(ざいせん)に帰依し、土佐入封に伴い在川を開山として伽藍を建立し、後に山内家の菩提寺とした。 一方、阿姫は徳川将軍家と同じ浄土宗であったため、また江戸で亡くなったため、霊巌島の浄土宗道本山東海院霊巌寺に葬られている。
[参考:高知新聞、NHKニュース、読売新聞、朝日新聞]


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福岡市・元岡古墳群G6号墳 金象嵌の庚寅銘大刀 「作刀」の2文字を露出

2014年01月24日 | Weblog
 福岡市は23日、西区の元岡古墳群G6号墳(7世紀中頃)で2011年に出土した象嵌大刀(長さ75cm)に彫られた19文字(注1)のうち、露出に成功した「作刀」の2文字を公開した。
(注1) 大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果■ (■は練の他に、錬、湅の説がある。)
 一昨年には、「作」の一部の表面を、錆を落とし露出させたところ金(純度98%)を確認した。
 全国に8例ある古墳時代の銘文刀剣の中で、①埼玉県稲荷山古墳:辛亥年七月中、②東大寺山古墳:中平□年五月丙午、③七支刀:泰和四年 に続いて4例目の金象嵌文字と判明している。
 「作刀」2文字の大きさは、「作」が縦横各6mm、「刀」が縦4mm、横4.5mm。
 残りの17文字は26年度中に露出させる予定という。
 大刀は市埋蔵文化財センター(博多区井相田)で25日〜2月16日(月曜休館)、一般公開される。
[参考:毎日新聞、西日本新聞]

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 元岡古墳群G6号墳

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富山市・小竹貝塚 発掘調査の最終結果を発表 出土人骨は91体

2014年01月18日 | Weblog
 富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所が16日、富山市呉羽地区の小竹(おだけ)貝塚(縄文時代前期、約6750~5530年前)について発掘調査の最終結果を発表した。
■出土人骨は10年10月の発表時では71体が確認されていたが、さらに20体増えて91体となる。
 そのうち、性別が分かったのは53個体で、男性が35個体、女性が18個体だった。
 年代別では、現代の10代後半~20代にあたる青年が15個体。 胎児や新生児の骨もあり、当時は、若年層が多く死亡する厳しい環境だったとみられるという。 60歳以上の人骨もあった。
 男性の人骨22体のうち、当時としては高身長の1m65cm以上の人骨が6体見つかった。 平均身長は縄文後期の平均値(1m58cm)よりやや高い1m59cmだった。 一方、女性7体の人骨は縄文後期の平均値と同じ、平均1m48cmだった。
 年代の若い個体で、左右の側切歯や第2小臼歯が抜かれたものがあり、縄文時代中・後・晩期では生前に抜歯の風習が知られているが、縄文前期のこの地域でも同様の風習があった可能性を示す。
 人為的な損傷がある骨も複数見つかった。 いずれも墓穴を掘った際に、すでに埋葬されていた人骨が傷つけられたものとみられ、丁寧に並べて再び埋葬されたものもあった。
 頭上に直径約5cmの小さな土器を載せた状態で埋葬された人骨もあった。
 さらに、人骨のDNAを分析したところ、北方系と南方系の系統が混在していることが分かった。渡来系の弥生人や現代の日本人に多いタイプはみられなかった。
  北方系:バイカル湖周辺や北海道縄文人に多く見られる、 南方系:東南アジアから中国南部に多く見られる
■九州や伊豆諸島以南で採れる貝であるオオツタノハで作った腕輪が、縄文時代のものとしては初めて日本海側で見つかった。
■国内最古級のヒスイの作りかけの加工品も1点見つかった。装飾品として糸魚川方面から持って来たものではないかと考えられるという。
■関東地方や近畿地方、東北地方の型式の土器、日本最古のイノシシ型土器など日本各地で作られた出土品や模造品が見つかっており、地域間の交流が盛んだったことがうかがえるという。
■シバイヌほどの大きさの犬の骨21体も出土し、人と犬の深い関わりを裏付けた。
■尖った石器が刺さったイルカの肋骨の骨も出土。当時の富山湾ではイルカ猟が行われた可能性があるという。
■タイの歯を埋めた漆塗りの一部(1cm四方)が出土した。装飾品として使っていたとみられ、タイの臼歯の球面が上になるよう工夫されているという。

 今回の発掘調査の報告書を3月末に刊行する予定。
 県埋蔵文化財センター(富山市茶屋町)は今月18日から3月下旬まで調査結果をまとめたパネル展を開く。
[参考:富山新聞、北日本新聞、共同通信、読売新聞、朝日新聞、中日新聞、KNB北日本放送]

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 小竹貝塚
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宮崎市・生目古墳群1号墳 後円部に階段状の葺石を発見

2014年01月10日 | Weblog
 宮崎市教委は9日、宮崎市跡江の国史跡・生目古墳群1号墳(全長120mの前方後円墳、4世紀初頭)の後円部で、葺石が階段状に積み上げられているのが見つかったと発表した。 約20度の斜面を1mほどの間隔で平らな部分を作り積み上げていた。
 1号墳は51基ある古墳群の中で最も古く、古墳時代前期に造られた。 後円部は直径約60m、高さ約12m。
 葺石は斜面を覆うように置かれるのが一般的で階段状のものは全国でも珍しいという。
 現地説明会が2月2日(日)午前10時から、3回に分けて開かれる。
[参考:宮崎日々新聞、西日本新聞、読売新聞]

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金海市・鳳凰洞遺跡 伽耶時代船舶、倭(日本)の部材を使用

2014年01月10日 | 韓国の遺跡・古墳など
 嶺南文化財研究院は8日、2012年6月に慶南金海鳳凰洞で東洋文物研究院が収集した伽耶時代船舶部材(長さ390cm、幅60cm、厚さ2~3mm)の保存処理を完了したとして、部材の年代は放射性炭素年代測定の結果3~4世紀と確認されたと発表した。
 部材は、樟(녹나무)と杉(삼나무)であるが、樟は中国、日本のほか韓国では南海岸一部・済州道などで制限的に育つが、杉は日本固有樹種である。 そのため、船は日本で建造したか、あるいは金官伽耶(首都:金海)が材料(木)を輸入して建造したものと考えられる。
 実際の船の長さは8~15m以上と推定され、伽耶時代海上活動、特に倭(日本)との交易に使われたとみられる。
 この船舶部材が発見された鳳凰洞遺跡(봉황동 유적)は、当時南海岸を通して金官伽耶の港の役割をしたところと推定されている。
[参考:聨合ニュースほか]

過去の関連ニュース・情報
2012.6.26 金海市・鳳凰洞遺跡 
 金海市は25日、東洋文物研究院の発掘調査により慶尚南道金海市の鳳凰洞遺跡(史跡2号)から伽耶時代4〜5世紀のものと推定される船の一部が初めて出土したと発表した。 昌寧郡釜谷面飛鳳里の新石器時代の遺跡から出てきた船に続いて韓国2番目に古い船という。
 出土したのは、船舶本体の隔壁(長さ340㎝、幅60㎝)、櫓と錨(いかり)の石。
 船の全体の大きさは、長さ30m、幅10m以上と推定された。これは、35人程度の乗船が可能な規模としている。 伽耶の優れた船舶製造技術を見ることができ、海上王国伽耶の実体を証明する画期的な材料として評価される。
 今回の調査では、貝塚、高床建物跡、Y字型木柵設備なども一緒に発掘された。


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北上市・国見山廃寺跡 「手づくねかわらけ」は12世紀のもの、奥州藤原氏と密接な関係

2014年01月10日 | Weblog
 北上市立埋蔵文化財センターは8日、平安時代の山岳寺院跡・国指定史跡「国見山廃寺(くにみさんはいじ)」(同市稲瀬町)から34年前に出土した土器や陶器を専門家が再評価した結果、奥州藤原氏に直結する重要な場所であることが確実になったと発表した。
 国見山廃寺跡は、平安時代の歴史書「六国史」の一つ「日本文徳天皇実録」の天安元年(857)6月3日の条に記載されている「陸奥国極楽寺」跡の可能性がある。2004年9月に国史跡に指定された。
  専門家による鑑定の結果、鎌倉時代のものとされていた素焼きの土器「手づくねかわらけ」は、奥州藤原氏2代基衡(1105-1157)の頃と同時期のものであり、従来、別産地と思われていた陶器は、平泉以外では限られた場所でしか出土していない12世紀中頃から後半の陶器だった。
[参考:朝日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 国見山廃寺跡
 2009.10.16国見山廃寺跡 9世紀前半~11世紀にかけ造成 4回の盛土を確認


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慶南 南海郡古県面南峙里墳墓群 百済貴族の墓 を確認

2014年01月09日 | 韓国の遺跡・古墳など
 慶南発展研究院歴史文化センターは8日、昨年11月から進めている南海島の南海郡古県面南峙里(남해군 고현면 남치리)墳墓群の発掘調査で、百済系の石室を確認したと発表した。
 古県面は高麗大蔵経板(版)刻地と推定される場所で、南峙里墳墓群は古県面で唯一知られている高麗時代の墳墓群であるが、今回、百済系の石室が確認されることにより墳墓群が三国時代から造成されたことが判明したとしている。
全体で約10基の墓の中から、現在4基を発掘調査中。 このうち、盗掘により石室の壁石と蓋石の一部が露出した1号墳は、埋葬主体部が地下式の横口式石室で、入口は門柱石と門地枋石(敷石)を設け板石で入口を閉鎖した百済系石室と確認された。
 副葬品として百済の高位官・奈率(6品)以上が着用した銀花冠飾と冠環(注1)が出土した。このような副葬品は百済泗沘期の都である扶余地域を中心に12点だけ出土している重要な資料であり、1号墳の被葬者は百済の高位官とみられる。
[参考:聨合ニュース]

(注1)冠環か棺環か不明。

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昌原市鎮海区 伽耶時代4世紀半ば頃の家形土器が出土

2014年01月07日 | 韓国の遺跡・古墳など
 東亞細亞文化財研究院は6日、4世紀半ば頃の伽耶時代の家屋構造を窺わせる家形土器(가형토기)1点を慶南昌原市鎮海区(경남 창원시 진해구)の木槨墓から発掘したと発表した。
 この家形土器は、切妻造で正面2間、側面2間の9柱楼子式(楼閣形、高床式)建物を形象化している。烧成中による建物下部の柱がねじれている。 四面の壁を線文でリアルに表現しており、正面には出入りの扉を描写している。
 正面から見て右側面の屋根の部分に液体類を注ぐ注入口があり、正面切妻屋根の下に注出口を作ており、一種の注口附土器と判断している。 内部容量は約350㎖。
 この三国時代の家形土器は、韓国では約20点が報告されているが、慶州舍羅里古墳群、昌原茶戶里古墳群、機張龍岫里遺跡から出土した遺物を除けば、ほとんどの出土地は不明である。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
2012.1.18 釜山機張郡龍岫里 古墳から5世紀中後半の家形土器が出土
 5世紀中後半の家形土器(집모양 토기)が出土。 屋根は切妻造で、酒や水を注いで入れることができる酒杯形の形状(注1)。

(注1) 出土した家形土器(写真)を今回の出土品と比べてよくみると、欠けた注出口があるように見える。
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